Part2 終末の大鋼人
女性の一人歩きは危険――そんな風に言われていたのは、もう何百年も昔の事だ。
今時、月が一番高い頃に子供が一人で遊んでいても、わざわざ通報されるという事はなくなっている。
六年くらい前には、リムーヴァータによるコンバット・テクター強盗などが発生したが、これもとうに解決しているという事である。
だから俺は、別にぬいぐるみを抱いて歩くような女の子と、朝靄の中ですれ違った所で、どう思う事もなかった。
彼女も、この皮膚に張り付く乳白色の霧の空気を楽しんでいるのだろうと、俺は勝手に考えた。
だが彼女は不意に足を止めた。俺と、五メートルくらいの距離を開けて。
俺からすれば、彼女が霧の中から現れたように見えるが、向こうからすると逆だろう。だから驚いて、足を止めてしまったという所だろうか。
俺は彼女を気にしないように足を踏み出そうとしたのだが、少女は俺の事をじぃっと見つめると、胸に抱いていたぬいぐるみを俺に突き出して来た。
その妙な行動に、首を傾げていると、少女はあどけない表情を妖艶に歪めた。
どんぐりのように大きな瞳が、刃物のように細められた。
ぞくりと、悪寒がめくるめく。
「おにいちゃん……」
声の高さは、外見通り、四期生から六期生くらいのものだが、そのトーンというか、粘着質な空気の振動のようなものが、彼女を熟れた女に見せている。
「あなたに、じごくを、みせてあげる……」
「じごく?」
すると、少女が突き出したぬいぐるみの口がぱかっと開き、内側から大量の粒子が噴出した。
金属の粒子だ。
コンバット・テクター!?
それは朝靄を浸食するようにして天を目指して伸び上がり、辺り一面を染め上げた。
一人分のテクターへと蒸着される量ではない。どう見積もっても、三〇体以上のテクターが同時に着甲する時のような量であった。
「何だと……」
周囲の風景を、どす黒い粒子が呑み込んでゆく。大量の粒子は天高く渦を巻き上げて、やがて巨大な影となって顕現した。
それはまるで建物であった。歴史の教科書の中でしか見た事がない、超古代の政治家や偉大な宗教者の墓のような塊である。
だが、それは建物ではない。地響きと共に、二の脚で立ち上がる――巨人だ。
遥か上空に、赤く光る二つの眼が見えた。
コンバット・テクターなのか……!?
この巨大なものが……。
それはその余りの大きさに、言葉を失った。
すると、その超巨大コンバット・テクターは、足元の俺に向かって右足を踏み出した。
ずぅぅぅぅぅ……
空気が唸り、俺の前に、分厚いという表現ではとても足りない厚みの金属の塊が、振り出される。
俺は横に跳ぶようにして逃げた。
それまで俺がいた場所を、巨大テクターの足が踏み付ける。
俺が同じ事をやっても、半歩も進んだように見えない動きだったが、四〇メートル近くの巨人がそんな事をすれば、地面が大きく陥没し、風が巻き上がり、俺の身体は木の葉のように舞い上がった。
「うげっ……」
俺は芝生の地面に、したたかに打ち付けられた。どうにか受け身を取って、ごろごろと転がり、立ち上がる。
上空で、赤い光が俺を追うように動くのが見えた。
踏み下ろされた右足が、再び持ち上げられて、爪先を俺の方へ向ける。
何だ?
俺を狙っているのか!?
周りを見ても、他に人はいない。
あの少女が言った“おにいちゃん”とは、俺の事だ。
俺に“じごく”を見せると言ったのだ。
俺には“じごく”というのが何であるのか、文学的表現以外に分からないが、あの超巨大コンバット・テクターで俺を踏み付ける事が“じごく”というのであれば、それは考えるだにおぞましい痛みと苦しみの事だろう。
冗談じゃないぜ!
俺は腰部デポジショナル・マーカーベルトのサイドバックルからカプセルを取り出し、コンヴァータを起動して装填した。
「着甲!」
俺の方に正面を向けた巨大テクターが、再び右足を踏み下ろして来る寸前、俺の身体に紫と赤の粒子が絡み付き、〈パープル・ペイン〉の姿となった。
俺は背中のブースターを吹かし、前方へ進んだ。
あの巨体だ、〈パープル・ペイン〉の加速に追い付く事は出来ないだろう。
そう思っていると、バイザーの内側に、後方への注意を喚起するアラートが鳴り響いた。
俺は地面すれすれに飛行していたのだが、各部のバーニアを巧く操作して、低空で仰向けになった。
俺の前に、無数の圧縮ゴム弾が迫っている。
巨大テクターの腰の辺りから、左右併せて六つの棒状の器官が飛び出しており、これが回転する事でゴム弾をばら撒いていたのだ。
機関砲だ。
俺は肘を右に向け、ホットリップスから火を噴かせた。他のバーニアノズルも同じ方向にやり、俺の身体が地面と平行に横へ移動する。
それで機関砲の雨から逃れた瞬間に、背中のブースターと、全身のバーニアを下に向けて、地面と垂直になりながら高く上昇した。
その俺目掛けて、巨大テクターが腕を振り回した。
俺の身体くらいならば、簡単に収めてしまいそうな掌が、質量のある風を吹き付けながら迫り来る。
あんなもので叩かれれば、比喩ではなく、俺ははたき落とされる蚊トンボになるだろう。
俺はその腕の下に降下し、巨大テクターの右腕の外側に移動すると、頭部を目指して更に上昇した。
霧に浮かび上がったのは、髭を蓄えた男性のような鉄の大首である。
赤い眼が、俺を睨んでいた。
その眼に向かって、俺は太腿から引き抜いたインパクトマグナムを発射した。
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