Part4 龍の乱るるは絶えることなし

 俺が目覚めたのは、病院のベッドの上であった。

 白い天井に、白い壁。

 心電図の音だけが、静寂を切り裂いて機械的に響いている。


 全身がやたらと痛むと思ったら、俺の身体は拘束帯によってベッドに括り付けられていた。


 何だ、これは――


 俺が状況を分からないでいると、遠くでドアの開く音がする。

 殊更に壁との距離が遠い訳ではなかったのだが、他にベッドがない事を見るに一人部屋なのだろう。それにしては随分と、ドアが遠い場所にあるように思われた。窓もない。


 これでは病室と言うより監獄だ。


「お兄ちゃん」


 物悲しそうな顔をしたイツヴァが、俺の顔を覗き込む。

 イツヴァは俺の二つ下だから、今年、一〇期生に上がる事になっている。


「俺は、どうして、こんな所に……」


 口の中が乾いていた。ざらざらとする舌を、唾で潤すと、乾燥した表面が剥がされるような感覚があって、痛みとなって舌の根元まで突き刺した。


「憶えてないの、お兄ちゃん……お兄ちゃんは、お父さんを……」

「親父……」


 イツヴァがそこまで言って、はたと思い出した。


 そうだ、俺は……


 五年前に工場に預けられたコンバット・テクターの修理が終わったので、親父がテストをすると言った。それで俺が、あの白いテクター……〈ククルカン〉を装着して、親父の〈ブラック・コルベット〉と戦ったのだ。


 テクターの運用テスト役は、慣れている。その時に、親父とどういう戦い方をするのかも、分かっている筈であった。


 しかし、途中から俺は、いつもの俺でなくなった。

〈ククルカン〉の特殊なシステムが、発動したのだった。


 リュウゼツラン――


 意識を失う直前、俺はそんなOSが起動するのを見た。

 モニター画面が赤く明滅して、俺の身体に喰い込んだコンバット・テクターから、巨大な力が全神経に流し込まれたようであった。


 俺の神経は真っ赤に燃え、稲妻のような感覚が脳を突き刺し、大雨のように脳内麻薬が分泌され、俺は自分自身を制御出来なくなった。


 嵐が如く荒れ狂う、強烈な破壊衝動が、俺の中から滾々と溢れたのだ。


「……っ、親父は!?」

「――」


 イツヴァは俺から眼を逸らした。

 笑って済ませられるような怪我ではなかったらしい事が、それだけでも分かる。


「これ、預かってるから……」


 イツヴァはトランスフォンを差し出した。そのタッチパネルを操作して、モニターから空中に映像を投影する。


 しかし仰向けになった俺の顔の前に現れた画面には、sound onlyの文字。

 やがてトランスフォンから、ノイズ交じりの音声が流れ始めた。


『イアン……』


 親父の声だった。

 しかし、元からしゃがれているにしても張りがなく、一気に何十歳も歳が過ぎてしまったかのような声だ。


『すまなかった、お前にあんなものを使わせて……。あいつに組み込まれたリュウゼツランシステムは、俺やお前には、到底、使いこなせるものでは、ない。お前が優れた、コンバット・テクター使いであればあるだけ、リュウゼツランは、お前を、狂わせる。いや、お前でなくても……殆どの、コンバット・テクターを使用する人間にとって、あれは、麻薬になるだろう。だから、今回の事、お前が気にする必要は、ない。悪いのは、それを分かっていて、お前に使わせた、俺だ……』


 そこで親父は、一つ、深く息を吸い込んで、再び話し始めた。

 声に、ひゅ……という擦過音が混じっているのは、歯が抜けているからだろうか。


『けれど、イアン、俺は、信じている……。この世界には、きっと、リュウゼツランを使いこなせる、人間も、いる。その人間は、恐らく、俺や、お前や、この世界の多くの人たちのように、大きな何かを成し遂げたいとか、思っている人間では、ない。強い気持ちで、自分を律して、決して折れずに、生きてゆける、人だろう……。心の底から、湧き上がる、闘争心や、功名心、そういうものに囚われず、愛と、優しさに基づいて、生きてゆく事が出来る人だと、俺は、思う……。若しイアン、そういう人と、お前が信じられるような人と出会ったなら、あのテクターを渡してやってくれ。……もう一度言うが、イアン、お前は悪くない。だから、気にするな……』


 メッセージはそこで終わった。

 まるで、遺言だった。


「……イツヴァ!」


 俺は、イツヴァに訊いた。

 お前が眼を逸らしたのは、そういう事なのか!?


「生きてるよ、お父さんは。……でも……」


 もう、前みたいには生活出来ない――


 水の中で声を聞くように、イツヴァの声が聞こえた。

 それからも親父の身体の事を、イツヴァは説明していたが、俺の頭には入って来なかった。


 俺がやった……

 俺が、親父を……


 幾ら、やられた本人が、気にするなと言ったって、幾らこの俺に、その時の記憶がないからって――この手は覚えている。この身体は、その症状を聞くたびにあの感触を思い出す。


 俺が、親父を、どのようにして、壊したのか。

 その時に、どう、感じていたのか。


 ――気持ち良かった……。


 それは、相手が誰であろうと、変わらなかっただろう。

 相手がタクマでも、ルカちゃんでも、アミカちゃんでも、イツヴァでも、アキセでも……


 脳のリミッターを外して、倫理とか常識とか友情とか家族愛とか、そういうものを度外視して、強力なコンバット・テクターの力を行使するのが、快感であった。


 その瞬間を思い出してみれば、哭き出してしまいそうな嫌悪感がある。自分の父親に、自分に実力の上で遥かに劣る相手に、思い付く限りの暴虐を尽くす。それを悦べる人間など、死んだ方が世の中の為だ。


 でも、あの瞬間、確かに俺は愉悦した。

 他人の生命を、自分の手で好きなように弄ぶ事に、射精する時のような快楽があったのだ。

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