Part4 解毒不能
そうしていると、歯磨きをしながら親父が二階から降りて来て、
「何やってんだ、お前は」
と、呆れたように言った。
俺がイツヴァに置いてゆかれるのは、別に珍しい事でもないから親父はこれをスルーして、そうなるに至った経緯について素早く察したようである。
「はははっ、一晩中そいつと向かい合っていたのか。それで、名前は決まったか?」
「まだ……」
「ふふん、そういう所は、母さんに似てるんだな。お前の時もイツヴァの時も、ああでもないこうでもないってだいぶ拘っていたからな。だが、あんまり考えすぎるのも良くないぞ。取り敢えず風呂に入って、飯を食って学校へ行くんだな」
親父はチェンバーに歩み寄ると、手前のコンソールのスイッチを押した。するとコンバット・テクターがメタル・プレートとスキン・アーマーに分解されて金属粒子へと昇華し、コンソールの下にマウントされた二つのカプセルに納められた。
紫と赤、二つのカプセルを取り外した親父が、俺が家に帰って来て外した腰部デポジショナル・マーカーベルトのサイドバックルに、これを仕舞い込んだ。
俺は軽くストレッチをして、凝り固まった身体をほぐし、親父の言うように風呂に入って飯を食ってから学校へ向かう事にした。
そうなると遅刻だ。授業途中で教室入りするのも中途半端だと思って、二限目の始まる前に時間を合わせて、学校へ行った。
一限目の授業は、クラスの担任のツァ・ボミ先生だったので、次の教室に向かう所に出くわして遅刻届を出して置いた。
「今日は遅かったじゃない、イアン」
と、ルカちゃんが言った。
ルカちゃんが立っているのは、アキセくんの隣である。アキセくんは昨日してやった湿布とかは外していたが、まだ顔の痣が痛々しく残っていた。
「ちょっと寝坊してな」
「なーに、不健全ねぇ。夜遊びも程々にしなさいよ」
「何だそりゃ」
「この人、モテるのよぉ。女の子に不自由した事ないくらいに」
ルカちゃんは、俺の事をそんな風にアキセくんに紹介した。
変な事を言うな、と俺は思ったが、アキセくんはふぅんと頷いて、
「テクニケルスさんは、格好良いからね」
と、素直に受け取ってしまったらしい。
「よせよ、全く。それと、イアンで良いって言っただろ、友達なんだからさ」
俺は自分の席に座った。
ルカちゃんは、アキセくんに色々と、学校や勉強の事をぽつぽつと教えている。
その間、俺は、アキセくんの横顔を盗み見るようにして観察していた。
顔に残った紫色の痣……あそこまで殴られているのに、アキセくんはスペルートたちに抵抗するそぶりを見せなかった。
彼我の実力差がどれだけあっても、あそこまでやられたなら、反撃するか、逆に縮こまってしまうかするのが、普通だろう。それなのに彼は、スペルートたちがやりたいようにやらせて、抵抗や、そればかりか逃亡の意思までも、全く捨てていたように見えた。
その理由が、スペルートたちを傷付けるのが怖いから――と、妙な事を言う。
つまり、ああやってやられていたのはポーズで、本当ならばアキセくんは、あんな連中など簡単に蹴散らしてしまえるような実力を持っているのか?
少なくとも、身体付きを見るには、そうは思えない。
では、ルカちゃんの言うように、RCFの技術か何かで優れているのだろうか。
何にしても、彼の言葉を信じるなら、彼が自ら積極的に、暴力を受動するのを肯定したという事になる。
俺には、理解し難い感覚だった。
アキセくんの事を、俺は何も分からないが、彼がそうするだけの矜持のようなものを、そのひ弱な胸の中に秘めているというのは、間違いなさそうであった。
と、アキセくんが俺の視線に気付いたのか、こちらに眼を向けた。
「あ、あの……僕の顔、何か、付いています……?」
そう言ってから、痛てて、と痣の辺りを押さえるアキセくん。
「まだ痛むのか?」
「平気です、慣れてますから」
「俺が言うのもなんだけど、そんなもの、慣れるようなものじゃない」
「――」
「自分から痛い目に遭う事を肯定するなんてのは、普通、しなくたって良い事なんだからな……」
「――そうですね、きっと」
アキセくんは、俺に向かって薄く笑い掛けた。
「普通なら……」
と言った時のアキセくんの眼の奥に、昨日も感じた、彼独特の鋭さが光った。
見る人間の胸のど真ん中に、針のように小さく、けれども毒のように残る痛みを、打ち込むような光だ。
「アキセ……」
何を言おうとしたのか、俺は分からなかった。しかし俺の言葉を遮るように、次の授業が始まるチャイムが鳴った。ルカちゃんは席に着いて、アキセくんもタブレットを取り出し始めている。
俺も、そのようにした。
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