命の器 Ⅰ

 場に漂う魔素。痛みに呻く声。裂けた消化管から漏れる臭気。

 カドはバジリスクから目を離さず、〈死者の手〉で押さえつけながら肌で感じ取る。


 なるほど。凄惨な状況は理解した。彼らは精一杯の努力をしてくれたが、やはり少なくない損害があるらしい。

 守れる範囲であれば守る。エイルにそう言ったというのにこの状況だ。傷ついた彼女が視線を向けてきているのは感じるが、これは顔を合わせにくい。


 けれど被害を勘定するのは後だ。今すべきなのは、ハルアジスの排除である。


『そう、そうだ。貴様がいた。儂は何故、貴様の存在を忘れ、このような場で命を燃やしていたのかっ……!』

「くっ……!」


 同じことはあちらも思っているのだろう。ここぞとばかりに力が増してくる。

 精一杯の魔力を込めて魔法を維持するが、バジリスクに力負けしつつある。クラスⅠという下級魔法の耐久性、出力では限界があるのだ。魔力をこれ以上注げば、熱湯を注いだガラスのように破綻する。けれど、何もしなければ力負けは必至だ。

 何かしらの手段はあるかとカドは逡巡した。


 黒山羊さえ戻せば十分に殴り合えるが、それではバジリスクとの戦いで力を使い果たして後続の魔物の群れに蹂躙されて終わってしまう。

 ここは自分の力でハルアジスを凌ぐしかないが、カドには真っ当な攻撃手段がない。

 せめて詠唱時間を稼げる壁役でもいなければ、トドメの一撃を用意するための時間を作れないのが非常に悩ましかった。


 その心を見透かすように、ハルアジスの声が響く。


『無駄だ。死霊術の真髄を学ぼうともしなかった貴様に今の儂を殺しきれるものかァッ!』


 そうとも。クラスⅡ、Ⅲの詠唱時間と威力のバランスがいい攻撃魔法でもあれば話は違っただろう。

 バジリスクが吼えるように大口を開けるといよいよ押さえが利かなくなり、体勢を返された。その勢いのまま地面を転がって距離を取ろうとしたところ、瞬時に発動された石化の魔眼が追尾してくる。

 視線の軌跡がびきびきと石化する様は、まるで機銃の射撃が追ってくるようだ。


「〈影槍(シャドウランス)〉!」


 すんでのところで短文詠唱し、魔法を発動させる。バジリスクの顎下に何本もの〈影槍〉が突き立ち、上体を反らせた。

 相も変わらずの頑強さで、骨を断つことはできないが間は稼げただろうか。


 次の一手を早く――


『〈影刃(シャドウエッジ)〉!』


 思考を遮るように、ハルアジスの詠唱が耳を掠める。地面が闇で濁ったかと思うと、幾本もの刃が射出されて〈影槍〉をへし折った。

 十中八九、これは〈影槍〉の上位に当たる魔法だろう。バジリスクの体勢が元に戻り、中途半端に再生したゾンビのような顔がこちらを睨みつけてくる。


 すぐさま襲い掛かってくるわけではない。

 こちらを誘うかのように待ち構えている雰囲気すらある。


 そうだ。ハルアジスは自分の家系が継いできた死霊術が全ての人間だった。

 それを潰した原因とも言えるカドと単なる殺し合いをするだけでは満たされないだろう。

 彼が固持した死霊術は、下賤の人間一人に敗れる物ではなかった。それを証明しなければ、死んでも死ねない。そんな思いを抱くことに何の不思議がある?

 バジリスクの死骸に憑依してなおその未練を持ち続けるなんて最早、死霊以上だ。


 魔法を放ってこい。それを正面から凌駕してやろうと、目が口ほどに物を言っている。

 誘いの承諾に言葉はいらない。魔法を練るために魔力を高めればそれが合図だ。


「〈死者のデッドハンズ〉!」

『〈冥府の領域レルムオブザヘル〉!』


 巨人の手のような影がいくつも地面から浮かび上がり、バジリスクに迫る。

 けれどもそれらは地面から現れた異形の手により掴み止められた。

 沼地のように足を取る地表から出現した異形の手は、〈死者の手〉より小柄ながらも出力は高いらしい。指がみしりと食い込み、沼の中に引きずり込んで魔法を破壊する。


 魔法使いとしての実力の差は明らかだ。カドが如何に素質で勝っていても、ハルアジスの研鑽には届かない。

 だが、それはわかっていたことだ。


 自分とハルアジスは違う。だからこそ最後に問答し、決別した。これがルール無用の殺し合いである以上、こちらも手段は選ばない。

 魔法で押し負けるのは、わかりきった前提・・・・・・・・〉だ。


「――背中ががら空きだっ!」


 言葉と共に飛びかかる影があった。

 声の主、イーリアスは背に跳びかかり、フリーデグントは頚椎に得物を突き立てんとする。トリシアやエイル、その他生き残りも思い思いに動いていた。


 ハルアジスもその動きは察知していたようだが、取るに足らぬと判断したのだろうか。そちらは捨て置き、カドを凝視したまま眼窩に魔力を収束させる。

 また石化の魔眼だ。


 カドはそれに対して魔法で応戦しようとはしない。平原で一戦交えた時のように足に力を込め、足元の拘束を振り切ろうとする。


『素質頼みに正面から挑むか!? ならば一枚一枚、貴様の身を石化で削ぐ――』

「ええ、一対一でそれをされたらジリ貧です。でも僕は出会いに恵まれて、少しでも人の手を取り始めました。その辺り、忘れていていいんですか?」

『――痛ッ!?』


 ハルアジスの声は続かなかった。

 こちらの声に動揺したわけではない。見逃されたイーリアスたちが渾身の攻撃を見舞った瞬間、その痛みに耐えかねて自らの悲鳴で声を塗り潰したのだ。


 クラス差から、本来は傷を受けるはずもない。

 だというのにギャアァ! と人間と獣が入り混じったような叫び声を上げ、バジリスクは飛びついた人を剥がさんと反射的に身を振り回す。


 その頚椎や胸椎には、〈影槍〉が突き立っていた。

 それは破壊されたカドの魔法の残滓である。イーリアスたちは何から発想を得たのか、砕けたカドの〈影槍〉を武器に飛び掛かったのだ。


『くぅっ、ならば貴様らから邪眼でひと薙ぎにィッ……!』

「それをさせないための僕です」


 存分に力を注いでやった体内の使い魔が生み出した瞬発力によってカドは一気に足元の拘束を脱し、バジリスクの首に飛びつく。

 首を千切り取れたら儲けと、存分に力を込めてヘッドロックして空を仰がせた。


『ギッ、貴様ァッ!!』

「さあて、皆さん。串刺しにしちゃってください。〈影槍〉!」


 削り合いをご所望というなら、こちらも同じことをするまでだ。

 カドは周囲に〈影槍〉を発生させ、近接戦闘者の武器とさせる。バジリスクに傷をつけうる武器である上、個々が持つ攻撃スキルを上乗せすればそれは看過できない威力となるはずだ。


 彼らが〈影槍〉を手にするとバジリスクにも明らかな焦燥が生じる。尻尾をめったやたらに振り回し、少しでも人を近づけまいとした。

 だが、カドが首を押さえ込んでいる以上は石化の魔眼も使えず、群がる冒険者も牽制しきれない。


「掛かれっ!」


 フリーデグントの掛け声と共に冒険者と自警団員がバジリスクに近づく。その雄叫びと足音はバジリスクの焦燥に拍車をかけた。


 さて、どう出てくるか。

 肌が触れる距離でそれを見定めようとしていたカドは次の瞬間、魔力の高まりを感じ取るのだった。

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