命の器 Ⅱ
『グッ、ヌゥッ……! 仕方あるまい。ならば命の削り合いよ!』
それは全身から溢れた焦燥が凝り固まるが如く。
バジリスクの頭上に魔力が集中し、ジリッと紫電が弾けるのにも似た音が生じる。
これは見覚えがある。エルタンハスに飛び込む寸前、発動した魔法だ。
しかし、あの時とは随分と勝手が違う。その魔力量、集束位置からするにこれは己も巻き込む形で炸裂させるつもりらしい。
群れて攻められればちくちくと損傷がかさむ。それくらいならばと、あちらも背に腹は代えられない状況となってきたのだろう。
「離れてください! また爆破の魔法がきます!」
トリシアが警告すると、周囲は血相を変えて飛び退いた。
カドとしてもここは一緒になって避けたい。だが、いくら自爆技といってもバジリスクが一撃で消し飛ぶほどには見えなかった。
ここで放せば自爆技を何とか耐えつつも暴れ回り、生き残りを手にかけて勝利をさらって行くことだろう。
全く、嫌になる。これは本当に命の削り合いを迫られていた。
自分の策のみで一方的に事態を治めるには絶対的に経験と実力が足りない。ここで出し惜しんでは、押し負けてしまうだろう。
(シーちゃん、こちらへ……!)
カドは身構えると共に、黒山羊へこちらに戻るようにと思念を飛ばす。
『〈
直後、大きく膨れ上がった闇が爆ぜた。
バジリスクの首を強固に締め付けていたものの、猛烈な衝撃波を耐えるまでには至らない。
「がはぁっ……!?」
足が地面を離れたかと思うと、あっという間に吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
どうやら急ごしらえに作られた障害物を破り、防塁に叩きつけられたらしい。
全身に使い魔を巡らせて血管の破綻を防ぎ、筋肉の増強や肉体の保護もしている。けれども、慣性によって体内で偏る血液と、浸透する衝撃は緩和のしようがない。
視界が暗転し、立ち眩みのように思考がぼやけた。
一方、睨む先にいるバジリスクは健在だ。化け物の依り代は伊達ではない。
『生命の確たる礎よ、我が命に従い之なる敵を穿つ鏃となれ。〈骨殻の重弩〉』
骨を操る系統の魔法がこちらに放たれようとしている。
爆煙に加えて歪む視界のせいでバジリスクの姿すら捉えにくかったが、魔力の高まりは感じられた。
今になって気づいた。
バジリスクは肉体がない故、爆発に耐えさえすれば眩暈も耳の麻痺も関係ないという強みがあったらしい。
これは非常にまずい。
どうにか動こうとするが、体は未だに自由が利かなかった。
先程呼び戻した黒山羊は平原を最高速で駆けている。まもなく到着するには違いない――が、今一歩間に合いそうもなかった。
『死ぬが良いッ!』
「カド殿っ……。させるかぁっ!」
爆煙を貫いてバジリスクの尾先の骨が放たれたその瞬間、射線に一人が飛び込んだ。
防御系のスキルを用いていたのだろう。フリーデグントが淡く光を放つ盾を斜めに構え、受け流そうとしていた。
地力の差がここで出る。
バジリスクから放たれた骨は四つ目の錨のような形状に変化し、フリーデグントの盾を易々と貫いた。彼の腹を穿ち、さらにカドにまで迫る。
けれど、その行動は無意味ではなかった。
僅かに威力が削がれたことで、カドが体の自由を取り戻すのに間に合った。拳で叩き落とすように受け流しつつ、半身を反らして回避しようとする。
「……くっ!」
完全に回避できるほど甘くはないが、腹を穿つ軌道から外れた。被害としては脇腹を手でごっそりと掻いて奪われたようなものだろうか。
腸も大いに破れはした。だが、重要な神経も血管も外れている。これならば体内の使い魔によって十分補填可能だ。治療も不可能ではない。
「お父さんっ!?」
エイルが叫ぶ。
カドの負傷も大きいが、フリーデグントの傷の方が酷い。
彼は腹の真ん中を抉られ、脊椎も負傷していた。
そのせいで膝から崩れ落ち、地面に突き立てた剣に縋ることで何とか体を起こしている。生身である彼にとってはまさしく致命傷のはずだ。
それに続いて状況はなお悪化する。
バジリスクは仕損じてすぐに二射目を放とうとしていた。
『〈骨殻の重弩〉!』
邪魔が入ることを危惧したのだろう。威力を高めるための呪文詠唱も省いて二撃目を放ってきた。
手の一、二本を犠牲に、何とか避けきれるか。
そんな算段をしていたところ、フリーデグントの剣に光が宿る。
「させぬと言ったはずだっ!」
彼は避けもしないで剣を振るった。
それによって骨は弾かれて僅かに軌道を変え、後方に突き刺さる。威力が低下した一撃のため、何とか受け流せたらしい。
フリーデグントは脂汗を流しながら、絞り出すように言葉を口にする。
「彼を、殺されては困る。皆の希望であり、恩人でもあるのだからな……。かはっ」
これが最後の足掻きだったようだ。彼は大きく消化管を損傷したところで力んだために、血を吐いて剣に深くもたれかかる。
穿たれた腹の穴から切れた臓器が垂れ下がり、体液が流れ落ちるほどの傷だ。体勢を何とか保てているだけでもよくやっている方だろう。
二度目の抵抗をおこなう余力がないのは明らかだった。
「あっ、ああぁっ……。お父さん、そんなっ……!?」
エイルが彼に寄り添い、傷の深さに顔を青ざめさせる。
弟を亡くした彼女からすれば、父親の負傷はより一層堪えることだろう。
バジリスクは油断なくこちらを睨んでいた。
間を稼ごうとイーリアスやトリシアなどが飛び掛かったものの、それらを身震い程度で弾き飛ばしてこちらを睨み据えてくる。
そこには人の他にも飛び掛かるものがあった。
サラマンダーが足元で〈昇熱〉を見舞うも即座に弾き飛ばされ、次に岩が形作った獣が正面から飛びかかった。
『……?』
飛び交っていた使い魔でもないそれを怪訝そうに睨んだバジリスクは前脚でいとも簡単に掴み止め、握り締める。
岩が砕けると共にそれからは力が消え失せ、形が崩れていった。
最後に残ったのは、以前拾って治療したイタチである。
『ふん、この街のガーゴイルか。これを手向けの花としてくれようぞ』
自分が壊滅させた集落のガーゴイルとは思いもしないのだろう。
石鼬が圧力のために血を吐き、ぐったりしたところでカドに投げつけてきた。
カドは受け止めた石鼬をちらと見る。
石鼬はぴくぴくと痙攣しながらも、未だにバジリスクに向かって威嚇しようとしていた。
魔物は元々、知能が高い種が多い。住み着いた街をハルアジスによって破壊されたことで、その恨みを果たそうとしていたのかもしれない。
思わぬ加勢ではあったが、力不足だ。
(わざと、順々に片付けているわけですか)
カドはバジリスクを睨んで立ち上がる。
トドメを刺せようものの、ハルアジスはここに来て猛攻の手を緩めていた。
また自我を失いつつあるか?
いや、違う。恐らく、ハルアジスはわざと待っているのだろう。カドの使い魔である、黒山羊の到来を。魔法合戦の次は、策の全てを打ち砕いて完全な勝利を目指しているのかもしれない。
魔物がこの街に迫る音が聞こえる。
そして、それに先んじて走る音も耳に届いた。
ヴオオオォォォッ! と大きな唸りを上げてこの場に飛び込んでくるのは、異形化した黒山羊だ。バジリスクと睨み合い、見かけ通りの獣じみた取っ組み合いを始める。
優劣はすぐに見えてきた。
『脆い。脆過ぎるッ……! 出し場を見極めずに使い、消耗させ過ぎておろうがッ!』
バジリスクが咆哮する。
それと同時に黒山羊の腕が食い千切られ、放り飛ばされた。再生するも、その合間に石化の魔眼に晒され、それ以上の損傷を受けていく。
魔法合戦と同じだ。一対一では敵わない。
だが、全員で迫ればまた捨て身の〈拒絶の闇〉が放たれ、仕切り直しとなる。
命の削り合いで競り負け、とうとう如実な差が現れ始めた。生をかなぐり捨てた者の、なんと恐ろしいことか。
無論、こちらだって執念はある。
戦いから一歩離れた場に固まる非戦闘員は、流れ弾で負傷して泣き叫んでいた。
それを守りたいと願う自警団員たちは、しかしながらこの場の戦闘で力を使い尽くして息も絶え絶えだ。中にはすでに致命傷を負い、息を引き取った者も転がっている。
魔素を見る目があるからだろうか。それとも、死霊術師という才能があるが故だろうか。彼らが抱く無念は幻聴として聞こえた。
そしてそれらより一層強い感情を、カドは傍にしている。
「お父さん、嫌ぁっ。死なないで……! 私を一人にしないでっ……!」
エイルはフリーデグントの傷を押さえ、血が止まらないと悲壮に顔を歪めていた。
それを見るカドの胸は詰まる思いに苛まれる。
もっと強くあれば。もっと別の形で関わっていれば、別の答えだって見出せたはずだった。
しかし、ここからどう覆せばいい?
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