消耗戦 Ⅲ

 カドと共に行動していた彼が来る。それはつまり最大の希望ももう駆けつけられるということだ。

 まだこちらにはさしたる被害が出ていない。人々には期待の表情が浮かんでいた。

 トリシアはイーリアスに問いかける。


「カドさんもすぐに来られるのですか!?」


 誰しもが気にした点だっただろう。けれども耳にしたイーリアスは少しばかり顔をしかめる。


「あいつは治癒師の姉ちゃんの治療中だ。追ってくるとよ!」

「……っ!」


 確かにユスティーナも負傷していた。後々の治療や五大祖などへの影響も考えれば、それは大いにあり得ることだ。

 理解はできるが、トリシアは歯噛みする。


 こちらの状況からすれば、全力で当たって上手くいけば生き残れるという状況だ。一刻も早く加勢に来てもらいたいというのが隠しきれない本音である。

 冒険者や自警団も同じ心境なのだろう。それぞれの武器を握り締め、悲壮な表情でなんとか立っている。


『カァ――……?』


 バジリスクからの攻撃に妙な間が空いたままだと思ったら、記憶をどうにか掘り起こそうと体を伏せ、前脚で頭を抱えていた。憑依の影響か、人間じみた動きである。

 そうして生じた間に、イーリアスは険しい表情で声を上げる。


「オイッ、テメエらだって命を懸けた一端の冒険者だろうが! ここは俺たちが選んだ稼ぎ場で、自分たちで築いた拠点ホームだろうがよ! 何を日和ってやがる!?」


 構えた刃にスキルによって剣気を溜めたイーリアスは走った。

 バジリスクの胴体に向かって果敢に近づくと、頭を抱えていたはずのバジリスクの頭蓋が突如として顔を向ける。自動操作のように無機的な動きに、中途半端に再生した見かけだ。身の毛もよだつ猟奇さである。


 クラス差による魔力の圧もあり、普通なら足を止めていたところだ。

 だが、臆せずに突っ込んだ彼はバジリスクの脚による鋭い叩きつけを躱し、剣で尾を打った。


 もちろん、当初の予想通りダメージは与えられない。びりりと衝撃が響いたくらいだろう。

 反撃とばかりに振るわれた尾は脚による叩きつけより何倍も速い。咄嗟に身を躱したイーリアスの額を皮一枚掠めていた。

 決死の覚悟で二度の攻撃を躱して反撃したものの、敵はノーダメージ。これが現実なのだ。


 しかし、極限の集中で目を見開いているイーリアスは額から流れ落ちた血を舐め、手応えを感じた表情だった。


「境界域なんて元は前人未到の魔境。それに日和った冒険者から、ただの出稼ぎ人に成り下がった。だがよ、この舞台はどうだ。惨めに逃げたって死ぬかもしれねえ舞台だ! ならどうする!? 背中と足に攻撃を受けて、情けなく助けを求める悲痛な死に様を晒すか。それとも根性を見せて立ち向かうか。……テメエら、その武器はどういう心意気で手にした!?」


 境界域に挑んだ冒険者の根幹を問う声だ。

 トリシアとて心を打たれ、奮い立たされる。

 元はといえばこの剣も、先祖のように道を切り開いて進みたいと思って手にしたのだ。


「――総員、武器を構えよ。敵は眼前にある!」


 思い出して武器を握っていたところ、さらに背を押すように加わったのはフリーデグントの声だ。

 防塁から飛び降りて場に加わった彼は剣と盾を構える。


「この一戦に全力を賭して構わない。後顧の憂いは断たれた。良いか、彼は走り始めた・・・・・・・!」


 指揮官がこの場に参戦する意味も含め、改めて問う必要はなかった。

 その瞬間、遠方の空に巨大な何かが打ち上げられた。草原で確認された、あの巨大な影の騎士である。

 空にはそれに追い縋って黒い触手が幾本も伸びた。続けて飛び上がるのは、随分と異形化しているもののあの黒山羊である。


 影の騎士はぐるんと遠心力をつけて地上に叩き落された。その衝撃故に猛烈な土煙が上がっる。黒山羊が着地すると姿は見えなくなったが、さらに攻撃は続いたらしく魔物の悲鳴が響き始めた。

 カドが呼び戻した黒山羊が魔物の群れを殲滅し始めたのだろう。故にフリーデグントが防塁で指揮を執る必要性もなくなったのだ。


 それでこそ奮い立たされる。

 冒険者の根幹を問われ、希望もようやく目に見えてきた。これで震えていられるものか。


「自警団よ――」

「冒険者ども――」

「「気合を入れろっ!」」


 フリーデグントとイーリアスの声に、総員が戦闘姿勢を取る。

 そう、こちら側の震えは止まった。では敵側はどうだろうか?

 逆に震えていた。遠方の光景に上体を上げてぎょろりと見つめ、わなわなと震えている。


 怯えではない。怒りだ。

 この打ち震えた様子が怒りから来ているのは、周囲に漏れ広がる魔力の荒さからして明らかだった。


『アァ、ドォォォッ……!』


 言葉を境に、バジリスクの意識がはっきりしたのだろうか。今までの散漫だった殺気が一変する。

 魔力は意思を持った殺気とでも言えばいいだろうか。上空、周囲、地面にそれぞれ指向性を持って広がっていく。

 トリシアはぞっと背を震わせた。


「空、地面、周囲にも魔力反応! 魔素が見える方は周囲に回避指示を!」


 上空は満遍なく魔力が広がり、周囲には球体状の魔力が複数浮かび上がる。地面には薄くシート状に広がったかと思うと、複数の錐体状に変形し始める。

 トリシアは急な指示で呆気に取られた様子のエイルを掴むと、誘導した。


 「退け!」「しゃがめ!」などと魔術師を中心に放たれる指示で人が動き始めて二秒後、魔法は発動した。


「ぎゃあっ!?」

「ぐげっ!」


 至る所で影槍が地面から突き出て、悲鳴と共に人が傷つく。中には貫かれたまま、早贄のように掲げられる者もいた。

 そしてさらに起こったのは、空中での爆発だ。

 闇が凝縮し、弾け飛ぶ。その威力は同規模の爆発と何ら遜色ないだろう。見渡す限り、数十。人を包むほどの闇が弾けた。


「うくっ……。トリシア、ありがとう。無事……?」

「はいっ、なんとか。けれどまだです……!」


 呼び戻したエクレールを覆いに伏せていたトリシアはエイルと共に身を起こす。

 耳の麻痺に顔をしかめていたが、それどころではない。

 上空から何か来るはず。そう思って身構えていたところ、ぽたりと空から落ちてきた雫が腕に触れた。


 ジュワッと皮膚が焼けるのを感じ、顔を歪めて拭い取る。


「〈腐食の雨アシッドレイン〉ですか……。長引けば不利にも程があります……!」

「こういうのがあるから死霊術師は厄介って聞くね」


 トリシアが顔を歪めて立ち上がると、エイルが続く。

 皮膚があるうちはまだ抵抗できる。けれど、傷が増えるほどに魔力への抵抗性が失われ、肉を溶かされるのだ。さらに言うと、雨量が増えて目にでも入ればその時点で多くの人間は戦闘不能になる。

 地味ではあるが、敵の無力化という点でこれほど有効な魔法はない。

 加えて言えば、こちらは惨憺たる状況だ。


 戦力としてバジリスクを囲んでいた十人程度が串刺しとなっており、爆発もあってそのまま息絶えていた。混成冒険者故にそのまま消えている者も少なからずいたらしく、魔素がこの場に多く揺蕩っている。

 地面に倒れている者も多い。立ち上がった者は二割もないだろう。


 バジリスクが本格的に暴れ出していないというのにこれである。

 空笑いにも似たものを浮かべていると、バジリスクは上体を上げたまま人のように口を開いた。


『痛み、苦しみ……溢れておるな。だが、手心は加えぬ。我が威を知らしめるため、貴様らには凄惨なる死を与える。全ては儂を追い詰めた者共の行動故に起こった。怨め。そしてこの境界域に傷跡を残して消えよ……!』


 どうやら事ここに至って意識を取り戻したらしい。

 悪夢もいいところだ。酸性雨が雨量を増す中、ハルアジスによる死刑宣告がなされる。

 悔しいところだが、それに異を唱えて飛び掛かった瞬間、叩き殺されることだろう。生き残りはなかなか手が出せずにいた。


 せめて――


「せめてカドがいれば、ね……」


 震えを隠し切れずに呟いたエイルに、トリシアは同意する。

 まもなく来るはずなのだ、彼は。

 頼りきりというのは申し訳なく思うが、それでも勝機がない今では、どう頑張ろうとも無駄死にしかできないだろう。


 ズズ、とバジリスクの身に、より強い魔力が滾る。

 さらに強い攻撃魔法を留めに見舞おうというのだろうか。

 辛うじて生き残っていたらしいフリーデグントやイーリアスなどが見過ごしてなるものかと武器を構える。


 そんな時だ。ひゅっと何かを投げるような音がした。

 機敏に察知したバジリスクはそちらに目を向けると、目に魔力を集める。


「させませんよ。サラちゃん、やっちゃって!」


 直後、二つのことが起こった。

 石化の魔眼を発動しようとするバジリスクを、跳び込んできたカドが〈死者の手〉で押さえ込むのがまず一つ。

 そして二つ目に空をどんよりと包んでいた雲が次の瞬間に蒸発した。


 明るい空に見えたのは、オオサンショウウオのシルエット――サラマンダーである。

 〈昇熱〉で見事に〈腐食の雨〉を消し飛ばしたサラマンダーは宙で弧を描き、何の因果かトリシアのもとに落ちていく。


「ひゃあっ!?」


 カドによって投げられたらしいサラマンダーを、トリシアは顔面で受け止めたのだった。

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