消耗戦 Ⅱ

「ねえ、トリシアさん。バジリスクって凄く強いんでしょう? 勝機はあるのかな?」


 エイルが不安げに問いかけてくる。

 バジリスクはもう目と鼻の先だ。爆轟や魔物の嘶き、バジリスクの咆哮が徐々に近づいているのがその証拠である。防塁に立つ術者が試行錯誤して行動を遅らせているようだが、到達にはそれほど猶予もない。場の空気は今まで以上の緊張が支配していった。


 突貫工事で遮蔽物と使い魔の作成が進む中、近接戦闘しかできない者は少しでも生存率を上げるために方針を求めてこちらに目を向けてくる。


(これが協力的な視線であればよかったのですが……)


 視線は後ろめたさ半分、卑しさ半分というところか。

 どうにか自分だけは生き延びる道を模索する冒険者が最善の行動を取るとは思えない。自警団にはまだ望みがあるくらいかと、トリシアは嘆息した。


 トリシアはエイルだけでなく、周囲に答えるように回答する。


「聞いた話で申し訳ありませんが、バジリスクは地底世界第四層きっての殺戮者です。先ほど言ったように、石化の魔眼は遮蔽物と煙幕によって防ぐしかありません。本来は皮膚に迷彩機能もあってさらに厄介だそうです。ただし、それらしき能力は一度も見せていませんでした。あの骨格にハルアジスさんが憑依していると思しき点が、良くも悪くも私たちの命運を左右すると思います」

「憑依しているからこそできることと出来ないことがあるってこと?」


 エイルの確認に、トリシアは頷きを返す。


「はい。恐らくバジリスクの骨を魔法で操作するのと並行し、知覚も魔法による探知で補っていると思われます。つまり、魔力消費が大きい。少しでも負担を減らすために一部の五感を捨てている可能性はあります。そこが付け入る隙ですね。この点については術者の誰かが見極め、隙を突いてもらうのが得策だと思います」


 どなたかと目を向けると、冒険者の一人が手を上げた。

 元からリーダー格でもあったのだろう。周囲もその立候補に異を唱えることはないので、トリシアはこくりと頷きかけた。


「一方で、憑依による自我の崩壊や魔力の枯渇には期待しない方がいいでしょう。ハルアジスさんの魔力容量がどれほどだったかもわかりませんし、バジリスクの骨格を龍脈に沈めていたことが予想外の効果を生んでいる可能性もありますから。何かの希望がここに辿り着くまで自身で凌がなければ、壊滅あるのみです」


 要するに全力で攻勢に出て相手に攻撃する間を与えないまま、カドの復帰に期待するのが最善の道と言えそうだ。

 けれど、どうやって攻めるかこそが問題になる。


 誰かが近接戦闘で間を稼がなければ術者による攻撃もおこなえない。とはいえ、エイルのように近接戦に特化した者は攻めれば常に石化の危険に晒されるのだ。

 高確率で死にかねない壁役なんて誰も担いたくはないだろう。


「そりゃあつまり混成冒険者を中心に防衛線をするって話だろ。なぁっ!?」

「なっ、バカを言うな!? 出し惜しみをして凌げる相手か!? 全員で向かうのが最善に決まっている……!」

「死に戻りがあるお前らと一緒にするな。こっちは死んだら終わりなんだぞ……!?」

「こっちだってこんな場で死ねば借金まみれで死ぬしかなくなる!」


 このように純系冒険者と混成冒険者の意見は合わない。

 誰が貧乏くじを引いて近接戦闘をするのかと、歴戦の人間たちは意見を戦わせるままだ。


 まあ、理解はできる。実状は彼らのセリフそのものだろう。

 トリシアは息を吐き、街の後方を見やる。


 そこには子供を抱く自警団の家族たちがいた。元より厳しい戦いだが、ここで意見が割れたままでは確実にバジリスクを迎え撃てない。


「大丈夫。私、戦うよ……!」


 同じく視線を向けたエイルは決意を見せてくる。

 その場に散見される自警団の面々も同様だ。

 それを見ると、ふと自分が追い続ける影が脳裏を過る。


 かつての英雄――先祖のリーシャは多くを望み、多くを愛した欲張り者だったという。最後の最後は失敗したかもしれないが、彼女はそれまで多くをなしてきたからこそ英雄と呼ばれたのだ。

 ただ彼女を追っているだけではない。ごく一部だろうと“同じもの”を持っているからこそ、その軌跡をなぞりたくなる。

 トリシアは一度目を伏せ、深呼吸を終えると共に目を開いた。


「私が主軸として、バジリスクと対します。混成冒険者と、魔術師の方は極力フォローをしてください。純系冒険者は引き続き街内部の防衛と、援護を担ってもらわなければならないので息つく暇もない状況になると思います。けれど、その立ち回りであればもう妥協はしあえますね?」

「ま、まあ……」

「それは、確かにそうだが……」


 トリシアが目を向けると、冒険者たちは視線で均されるように鎮まっていく。

 けれどもこの言葉にエイルが反応した。


「え、ちょっと待って。トリシアさんはクラスⅡになったばかりなんだよ!? それでバジリスクと正面切って戦うなんて――!?」


 エイルの驚きもよくわかる。

 周囲の冒険者や自警団員もそう立ち回れるのなら文句はないようだが、正気を疑った様子だ。


「はい。危険ですし、避けたいところです。けれど手はあります。かつての英雄も、その技能故に第一等の冒険者になれたと聞きました」

「えっ……?」


 家族が伝え聞いた話のみではない。境界主討伐の際に使用し、英雄の生き証人であるエワズ本人からもそのようなものであるとお墨付きの技能だ。

 一瞬呆けたものの、エイルも同じ場にいたので思い出したようである。

 そして、会話もここまでだった。


「すまないっ、防塁を越えられるっ!」


 防塁上から警告の声がした直後、それはやって来た。

 怨嗟を雄叫びに変えて突っ込んできたと思うと、防塁はいとも簡単に吹き飛んだ。

 積み木が蹴り飛ばされるように丸太の杭が宙を飛ぶ。杭が深く突き刺さっていた地面も一緒に掻き上げられたために濃い土煙が生じていた。


「手はず通りにお願いします!」


 宣言した以上、足踏みなどしていられない。ついに来たと身を凍らせる一同に目覚めのビンタでも食らわせる気持ちで先行する。

 土煙越しでもこちらを探知したらしい。赤い眼光と体高二メートル、体長五メートルのシルエットがこちらをはっきり捉えていた。


(魔力の高まり……。土煙が晴れれば石化の魔眼も来ますね)


 嫌な汗を感じながらもトリシアは間合いを詰めた。

 残り二メートル。そこまで迫ったところでバジリスクにも動きがあった。


『アガァァァーッ!』


 叫びながらに前脚が叩きつけられる。


「――っ!」


 それを辛うじて避けながらトリシアは見た。

 この一撃が手繰った風が、土煙を払おうとしている。これが狙いだったのかはわからないが、すぐに視線に晒されかねないのは確かだ。

 後方もそれに気付き、「あっ」と息を飲んでいる。


 だが、トリシアは臆さない。

 対象を石化せしめる呪い程度、リーシャは踏み越えた先の世界を見ていたのだ。自分もこんな場で踏み止まっているわけにはいかない。


 欲張ろう。

 全てを捨てずにいるために、全てを手にする。そんな矛盾を形にする。

 血のなせる業か、奇しくも同じ思いを抱いて育ったからか。強いこの想いは一つの技能としてこの身に受け継がれていた。


「我が前に在る無頼の元素に命じます。刃を、ここに。〈剣卸し〉!」


 土煙が晴れ、バジリスクの魔力が眼光となって放たれたその瞬間、トリシアは眼前に手を伸ばした。

 この石化の魔力は晒されるものを皆、石と化す呪いだ。だが、その効果はあくまで対象を石化させるという力しかない。


 エワズを苦しめた呪詛は傷を傷として認識させないものだったように、『呪い』とは元来、相手の魔素に自分のルールを上書きするものだ。

 トリシアの扱う〈剣卸し〉は目の前にある魔素を剣として掴み取るためのもの。指向性なく放たれる魔力の塊だからこそ、それを剣という形に組み替えて掴み取る。


「はぁっ!」

『……ッ!?』


 少しでもバジリスクに残っていた理性は、石化の魔眼が直撃してなお石化しない相手ということに驚愕したのだろうか。その動きは一瞬ながらも止まっていた。

 その隙に踏み込んだトリシアは、手にした剣をバジリスクの左前脚に叩きつける。


 だが悲しいかな。威力が足りない。刃は骨に食い込むが、半ばも経たないうちに砕け散ってしまった。


『ィギッ!? ギャァァァー!?』

「くっ……!」


 人でも骨に響く損傷は痛むのと同じく、この状態のバジリスクにもダメージを生じさせるものなのだろうか。攻撃の痛みに耐えかねたように暴れ狂うので、トリシアは堪らずに後退する。

 おぉっ! と周囲から期待の息が漏れる中、バジリスクはすぐに正気を取り戻した。


『ギッ……。ギザ、マ……!』


 いや、正気を取り戻し過ぎたと言った方がいいかもしれない。

 単に暴れ狂うならまだしも、ハルアジスの狡猾さまで表れれば成す術はないだろう。

 トリシアの額にじわりと脂汗が浮かぶ。


 バジリスクに萎縮しかけているだけではない。彼女は先程の〈剣卸し〉を手にした右掌を見た。

 表面の皮膚が石化し、割れたところから血が滲み出して酷く痛んでいる。


 敵の魔力を刃にして叩きつけたはいいが、その効果まで防ぎきれなかったのだろう。ほぼ同格であればまだしも、クラスⅡとクラスⅣではやはり埋めようのない差があるのだ。

 まだ動けるにしろ、どれだけ善戦しようともこれはあと一体何発たたき込めるかという勝負だろう。


「おっとぉ、俺も混ぜろぉっ!」


 幾分の冷静さを取り戻したような不気味さを放つバジリスクと睨み合っていたところ、声が割って入った。

 それはバジリスクを追うように防塁の向こうからやって来る。

 目を向けた直後、バジリスクの頚椎に衝撃が叩きつけられ、そのまま離脱して距離を取った。


「ちっ。あれで首がすっ飛んでくれれば楽だったんがな。そうもいかねぇか」


 バジリスクを挟んでトリシアの向かい側に位置取ったのはイーリアスだった。

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