同刻 大蝦蟇との戦闘

 二時間前、ユスティーナらと第二層に入り、拠点制圧隊五十名と共に先に進んだエワズとリリエは制圧隊とは別行動を取っていた。

 もちろん、それは途方もない魔力量のある大蝦蟇との戦闘において彼らが戦力になり得ないと予想されたためである。


 結果的に言えばその判断は正解だった。

 手をかざして遠方を眺めていたリリエは眉間に思いっきり皺を寄せる。


「あー。もうこれ、第二層の光景とは思えないわね……。どーやって収集付けようかしら……」


 彼女は安請け合いしてしまった事態に、頭を抱える。


 つい先刻、カドと交信をした時くらいから大蝦蟇は暴れ始めた。

 連なる山々に比べても頭が見える巨体だ。そんなものが動くだけでなく暴れようものなら、被害はとんでもないことになる。脚が叩きつけられる衝撃だけで土砂が十数メートルは跳ね上がり、跳躍する度に地面は吹き飛んだ。


 なるほど。大きさと重さは間違いなく武器だ。その気になれば三十メートルの体躯に変じることができるエワズの目から見ても、これは化け物と称するほかにない被害である。

 何の前触れもなく、急に狂ったようにのたうち始めたことからして、何かがあったのは間違いない。

 ハルアジスの仕込みとやらが効果を表したのだろう。


 とはいえ、無理に戦うかといえば答えは否だ。

 今はまだ空に浮かぶ浮島や、こちらの境界に被害を与えそうな行動をしていないために傍観を決め込んでいる。


「エワズ、あなたならあれを消し飛ばせるかしら?」

『結論から言えば現実的ではない』


 おおよその予想はついている顔で、リリエは問いかけてくる。


『我が得意とするのは雷撃と、それによる炎熱。確かに収束させた一撃であれば薬の肉体を貫けよう。だが、焦点を絞りすぎるが故に致命傷には程遠くなる。あれは再生力も併せ持つのであろう? 即死に持ち込めぬのであれば高威力の技ほど意味をなさなくなる』

「そうね。頭を割った時も数秒でくっついた気がするわ。スライムかって思えるくらいに出鱈目な回復力だったと思う」


 強力な雷による熱線であればあの巨体も十秒と経たずに貫けることだろう。けれど頭部であろうと心臓であろうと、即死をさせられないのであれば修復されてしまう。

 体の大きさは魔力総量と比例する傾向が強い。そこからすればこちらが先に力尽きるのは明白だった。


「はい、じゃあ結論ね。私たちではやはりあれを倒すのは難しいと。じゃあ、時間稼ぎや単なる撃退を目指すとして、力技より小細工から考えましょう。ハルアジスはあれに何かを仕掛けて暴れさせているのよね? その仕掛けを取り除くのが手っ取り早いかしら?」

『ふむ……』


 エワズは大蝦蟇の行動に注目した。

 あれは破壊衝動に駆られ、周囲を攻撃している暴れっぷりではない。もっと癇癪じみた何かに見えた。


『間違いなく、洗脳ではない。破壊衝動の強化でもなかろう。となれば、呪いによって痛みを与え続けている可能性はある』

「ああ、死霊術師はそういうのが得意だものね」


 呪いは相手の体を蝕む病のようなものだ。一度仕掛けてしまえばその動力は仕掛けられた者自身の魔力で動く。故に解除するまではその効果を発揮し続けることが多い。

 かつてエワズに仕掛けられた不治の呪詛も同様であった。


 特にハルアジスはクラスⅣである。如何に魔力量が多かろうと、クラスⅡである大蝦蟇は魔力抵抗力が低い。洗脳や動きを支配する呪いについては術式が繊細だったり、作用範囲が広すぎたりして相手の魔力総量次第では効きにくくなってくるのだが、局部的な痛みや不治といった呪いであれば話は単純だ。

 妥当な判断だとリリエは頷く。


「私もエワズも力技しか使えないんだもの。ほんと、カド君がここにいれば心強かったのにね」

『異論はない。人の立場を俯瞰して見るならば、エルタンハスなどは気にも留めず、全力で大蝦蟇対策と境界の保護に乗り出すのが正解だっただろう』

「そうよね。あなたが目的を遂げるために強くなるにも、この境界域に拘る必要はない。ただし、この先の層にも彼女と共に見た思い出の数々が残っている。それを失わないためにも、ここで戦うのはギルドや管理局と利害が一致しているのよね」

『……』


 リリエが言っていることは正しい。

 いつかリーシャの〈遺物〉を倒せる力を身に着けるのは、他の境界域でも良い。

 今回、この場を乗り切って人との諍いに蹴りを付けられればその道もあるだろう。自分は思い出を、人は資源を失いたくないという点で利害が一致しているから共闘しているだけだ。


「別に悪く言う気はないわ。あなたは自分の欲は優先せず、カド君を自由にさせた。そのおかげでエルタンハスは心強い味方ができたし、彼が人に馴染む機会もできた。あなたのそういう融通が利くところ、私は好きよ」

『弱き者共の命も守ろうと欲張る判断、か。人心に悖らぬ判断ではある。その意思を尊重はするが、我はあれをカドとして見ているのか、リーシャの影として見ているのかわからぬ』

「なに? エワズは子育てにそんな不安を抱いているのかしら?」


 同情して保護したつもりであったが、カドはリーシャの影響を受けている。面影だけでなく、彼自身にも彼女の残滓が働きかけたことなどもあって、生き写しのように思えることが稀にある。

 彼女の代替物になり得るからこそ、自分は大切にしているのではないか。そんな思いで口にしたところ、リリエはくすくすとからかうように笑った。


 しかし、この心の奥底が読めぬようでは天使ではない。彼女はすぐに悪戯な顔をやめると、息を吐いた。


「彼は彼よ。だってキャラが濃いもの。同じにはならないわ」

『……なんぞ、もっと別の言い方はないものか』

「あるかもしれないけれど、それが一番しっくりくるじゃない?」


 ハルアジスの動向について問いかけたのに、棚からぼた餅について語ってふざけたところを思い出す。確かに、代替物に収まる代物でないのは確かだ。

 納得していたところ、リリエは大蝦蟇に視線を戻した。


「さて、話をあちらに戻すけれど痛がっている手足をもいだら大人しくならないかしら?」

『それは――』


 エワズが答えようとしたところ、リリエは物は試しと翼を広げて飛び立ってしまった。

 彼女は暴れ狂う大蝦蟇の頭上に飛ぶと、まずは一発、防御用の障壁を巨大なグローブ代わりにして真下に殴りつけた。


 例えば、豆腐を指で突けば貫通してしまうだろう。

 だが、おたまのように表面積が広い物で押せばまだ壊れにくい。それと同じく、リリエがそのまま拳で殴ると大蝦蟇の肉を掻き切って終わりになってしまうが、これなら大物相手でも怯ませられるというわけだ。


 身体能力が高すぎる彼女はその身で回避や防御に専念した方が効率がいい。武器も防御用の障壁も、もっぱら投擲やリーチを稼ぐために使われてしまう。回復や後衛のイメージが強い天使としては本当にあるまじき姿だ。

 サイズ比にして豆粒にしか見えない彼女であったが、大蝦蟇の脚部に攻撃を仕掛けると見事に膝から下を離断した。


 恐らくは障壁で足を互い違いに固定し、そこをぶん殴ることによって裁断機のように断ったのだと思われる。


『能力に特殊性はないが、それ故に比類なきものよな』


 酷い使い方ではあるが、その柔軟性には目を見張る。

 防御にも捕縛にも転用でき、殴り飛ばす時の力加減にも使えるのだ。正直なところ、彼女が敵として回るのならば真正面には絶対に立ちたくないものである。


 と、ある意味で称賛しながら見ていたのだが、結果はよろしくなかった。

 離断した脚は即座に新たな脚が生えてきた上、より強い痛みを与えたこともあって大蝦蟇に目を付けられたのである。

 突風や突進によって攻撃を仕掛けられた彼女は慌てて戻ってきた。


『まあ、何者に呪いをかけられたのかもわからぬ奴からすれば、我らは敵として認識されような……。それに加え、痛みも一か所に留まらず、変動している様子がある。単に千切ったところで解決にはならぬだろう』


 ハルアジスとて、この二人で大蝦蟇を抑える想像はしたはずなのだ。そう簡単に解決できる仕掛けにはしないだろう。

 だから慎重に事を運び、本当に境界が危うくなるまでは手出しをしたくないところだったのだが、こうなっては仕方がなかった。

 エワズはリリエの後を追ってくる大蝦蟇に備えて翼を広げる。


『リリエハイムよ。攻撃をして注意を惹き付けつつ、辺境へ誘導する!』

「そっ、そうね! 下手に境界近くで暴れるのも危ないものね!?」


 ダメな天使は、苦し紛れに叫んだのだった。

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