一人の戦場 Ⅰ

 カドとハルアジスとの問答は終わった。

 元より可能性の少ない索敵だったので、会うことを想定していなかった。まあ、恨みを抱いている対象で、現在も敵なのだから情報を探れるだけ探って、奇襲でもできれば儲け。そうとしか思っていなかった。


 ……けれど、これはどういうことだろう。

 復讐心は制御が効かない上、なくなってしまえば空虚と聞く。まさに劇薬だ。

 しかし今のカドの胸にある充足感を考えると、それとはどこか異なる気がした。


「ほんと、僕ってば移り気が激しいですね。要するにハルアジスを越えるべき壁とでも捉え直してみたんでしょうか」


 ハルアジスとはいろいろとあった。それでも彼は一人で二百余名を相手取っているように、五大祖としての実力は本物だ。

 なるほど。常人を超えた冒険者相手にそうでいられるのなら、確かに一騎当千の存在である。


 エワズが望むもの。それを叶えるために進むのなら、クラスⅣの死霊術師は当然、ただの通過点に過ぎない。

 よし。すべきことは決まった。


 VRゴーグルでもはめて、複数の処理に没頭していたとでも言えるような状態から、フリーデグント宅の椅子に座っている本体へ意識を戻す。


「カド。どうなったの……!?」


 目覚めたところ、まず見たのはエイルの顔だ。彼女は病人に寄り添うように手を握っている。

 こちらにはハルアジスとの接触で得た情報を流していたため、指揮官のフリーデグントも場に足を運んでいた。

 情報を求めて真剣になるのはわかる。しかし部屋にいる全員が緊張の面持ちなのが少しだけ妙だ。


 はて、それともう一つ違和感があった。その正体に気づいたカドは、窓の外の風景に目を向ける。

 まだ午後に差し掛かった程度の時間のはずが、空が薄暗くなり始めていた。太陽が昇らないこの境界域でも、昼と夜の規則正しい区別はある。メンバーの表情に張り付いた緊張は、こんな異常事態があるからなのだろうか。

 緊張は、この場だけではない。屋敷外から警備を急ぐ声が聞こえるが、同時に恐れおののく声も上がっているのだ。


 カドはエイルに目を向ける。


「すみません。ハルアジスとは単に戦うしかないかって会話になって決裂しただけですね。こういう状況までは知りませんでした」


 十中八九、死地の龍脈に向けて仕掛けていた儀式の効果であろう。ただし、天候そのものにまで影響を与える何かだとは思いもしなかった。

 この状況に対して考え顔をしているのはスコットだけである。情報を求められるばかりだったカドは彼に目を向けた。


「ドラゴンさんからこの世界の昼夜は大気中の魔素によるものだって聞いています。それが大地に吸い込まれ、昼はまた宙に上がる、と。もしかして、これって大気中の魔素もどこかへ集められたって事態です?」

「やはり君もそう考えますか。自分も同意見です。死地は魔素の溜まり場です。境界域を循環する大きな力の噴出点とも言えます。それを利用しようという研究は確かにありますが、死霊術師である師が主導できるものではないのが実際のところかと思います」

「ふむふむ」


 例えば死霊術師が人や魔物に〈魔素吸収〉を使えるように、魔術師や風水師は環境中の魔素を利用する技能も持っているらしい。研究はその発展形とでも言えばいいだろう。

 その情報を聞いたフリーデグントは口を開いた。


「全てを見通すことはできない、か。だが、状況からすればハルアジスが求めるのは戦力の補充にほかならないだろう」


 やはり、事が起こる前に尻尾を掴ませてくれるほど甘くはないらしい。作戦を立てるフリーデグントとしては難しい表情のままだ。


「彼は死地に手駒をほとんど置いていなかったと聞いた。それでまともに戦えるとは思えない。死地の魔物自体を操ることも考えていないのであれば――そうだな……。死地から魔物を溢れさせて戦力とする、などは備えたく思うところだ。ただし、クラスⅠの魔物であれば如何に大量であろうと凌げるだろう」


 自分で口にしつつも、彼は怪訝そうに顔をしかめる。

 言われずとも、カドはその意味を察した。


「死霊術師の家系としての誇りをかけるという口ぶりでした。その程度に収まるとは考えにくいと思いますけど」

「君の言うとおりだ。幸い、偵察用の術を持つのは君だけではない。情報を得た時点で偵察を放ったことから、まもなく情報だけでも入るだろう」


 情報待ちで待機というのももったいない。それならばカドは早々に対策に乗り出してしまおうかと立ち上がる。するとそこに一人の男が飛び込んできた。


「だ、団長! 大変だっ。索敵のやつが死地から大量に溢れる魔物を確認したって言ってる! それも、クラスⅠだけじゃなく、最大でクラスⅣまで確認できると……!」

「なんだとっ!?」


 そのありえない内容に、空気が緊張する。

 簡単に言えば、第一層はレベル十までの敵しか出ないダンジョンだ。そこにレベル四十までのモンスターが突然湧くようになったと言われれば、それは驚くだろう。

 第二層から〈剥片〉が侵入してくることすら問題視していたというのに、これは一体どういうことだろうか。


「……見間違いではないのか?」

「ありえない。前回の深層遠征で持ち帰られた焦灼の悪魔や、ゲイズの亜種もいると言っている! フレッシュゴーレムがそいつらをこちらに逃げながら誘導しようとしていたが、蒸発するように焼き殺されたと……!」

「馬鹿な。迷宮内部でもあるまいに、そんなことが……!」


 ありえるとは考えたくなさそうに顔をしかめるフリーデグントに、男は一体どうすればいいのかと助けを請うように訴えてくる。

 するとイーリアスはどしりと構えて頷いた。その表情には、挑戦し甲斐があるとでも言いたげに笑みが浮かんでいる。


「ほう。そんな火力は三層でもいねぇな。第四層の要注意の魔物ってとこか」

「笑っている場合ですか。混成冒険者でもなければ、これは武器を取ろうとする気概すら持てなくなる事態ですよ」

「ああ、それは悪かった」


 見据える舞台が第四層であるイーリアスとしては良き練習台なのかもしれない。だが、スコットを含めて場の表情は厳しかった。


 混成冒険者というのは適性もさることながら、それを続けるだけの資金力も必要となるのだ。それができる者ならば、第二層の前で燻りはしない。この街の自警団は生身の冒険者が大半なのは確かだろう。

 だからこそ自警団の一員の表情は深刻だし、それを預かるフリーデグントの表情も重いのだ。


 場を見回し、その雰囲気を見て取ったカドはクッションの上でガーゴイルと共に寝ているサラマンダーの元に歩く。そしてその頭を撫でた。

 サラマンダーの注意がこちらに向いたのを確かめてから全員を振り返る。


「理屈はともかく、相手の攻め手がわかったのでありがたいですね。じゃあ、僕が責任を取ってそれらを皆殺しにするくらいの準備をしてこようと思います。なのでサラちゃんを含め、皆さんは取りこぼしの処理と防衛に備えてください」

「なっ……、聞いていたのか!? 魔物は大抵、人と同等かそれ以上の力を有する。冒険者はチームでの知略や連携でそれを上回るだけだ。一体多数で受けようなど、真っ当な判断では――」

「はい、真っ当な手段を取る気もないですから」


 すんなりとカドが答えると、フリーデグントは困惑する。

 一方、片鱗ではあってもカドの厄介さを味わったことがあるイーリアスとスコットの二人は顔をしかめた。

 それについては目にしていないトリシアも、ある程度は察した様子で口を開く。彼女は怒るように厳しい表情を向けてきた。


「あの時に比べて今のカドさんはかなり余裕があるとは思います。けれど、どれほどの規模になるかわからないものを一人で受けようとは無謀ではないですか……!?」


 これから共に歩む仲間として、そういうものは見過ごせないのだろう。

 たった一人だけ強い人物が大勢のために命を張ろうとする。確かに聞く話だ。そういう想像をするのも悪くはない。

 トリシアとエイルの目は独り善がりのヒーローでも見るかのようだった。頼ってくれと、不満を訴えているのがよくわかる。


 ――うん。自分はいろいろと誤解を受けているらしい。

 全部を説明すると長くなるし、面倒そうだ。セリフをしばし考えたカドは息を吐く。


「まず言っておくと、僕、そんな良い子ちゃんではないですよ?」

「そ、それは、どういう意味ですか……?」


 ヒーローならばこんな受け答えはしない。だからだろうか。言葉を返してみるとトリシアは戸惑った様子だ。

 カドはちらとエイルに目を向ける。


「残念ながら、僕の優先事項はドラゴンさんへの恩返しです。それをしないうちに命を張ることまではできません。ですが、守ってほしいと言われたのでできることはします」

「あ、あのう、それで無理をしていないかと私は気になっているのですが……!」


 もしかして自分の言い方が悪かったのかとトリシアは眉をハの字に寄せ、説明に苦慮している。

 ころころと変わる表情を見るのは少しばかり愉快だ。


「僕が死なない程度のことですので。策としてはまあ、雑多な魔物が相手なら神経毒も万能ではなさそうです。ここは開放空間ですぐに毒が霧散しますし。ただし、相手は僕より格下ではあるのでやりようはあります。ハルアジスも自分以外は全て敵だからこそ、見境のない攻撃をできて能力を最大限発揮しています。それと同じく、見境なく戦った方が楽なんですよね」


 笑顔でさらりと語ったカドは彼女の横をすり抜け、玄関口に向かう。


「それに何より、ハルアジスが出てくれば僕がそれに応じます。残る魔物は人が多くいるこちらに向かいそうなので、それをどうにか凌ぐために力を温存してほしいところです」


 どの道、綺麗に敵を平らげることは不可能だ。頼るべきところはある。

 指を立ててそれを説明したカドは、全員の表情を見回した。各自、すべきことはわかったようである。

 それならば良しと頷き、カドはドアを開けてエルタンハスの外に一人で向かうのだった。

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