同刻 境界での戦闘

 ハルアジスに対抗するために分かれたうち、ユスティーナが率いる班は第二層との境界に位置していた。


 二層や三層との境界にもし異変が起きれば、その先に挑んでいる冒険者も、それ以上の階層の資源も失うことになる。依頼にそれらを守れとの文言が含まれていなかろうと、優先防御対象なのは確かだった。

 それ故に防衛は五十名規模で任されており、四十名は第二層側。残りは第一層側に分かれて警戒に当たっている。守りの要であるユスティーナと黒山羊はハルアジスの拠点があるという第二層側だ。冒険者十名もその場におり、辺りを警戒している。


 そんな場に“空気の振動”がぶつかった。

 その正体は耳をつんざくほどに大きな、ヴオオオォォォッ! という鳴き声である。丘のふもとに生える木々が波にあおられるかのように揺れた際はこんな雄叫びか、衝撃波が到達していた。


 ただの音や余波が突風並というとんでもない規模だ。周囲の警戒をしなければいけないはずの冒険者たちであっても、ついそちらに視線を奪われていた。

 これを発生させているのはエワズではなく、第二層の化け物――大蝦蟇である。


 数分前、あの存在は突然に呻き、暴れ始めた。

 山の如き体躯で飛んだり、転げまわったり。果ては風の魔法で周囲を吹き飛ばすのだから堪ったものではない。隕石でも落ちたかのようなクレーターが無数に出来上がっており、ただの冒険者がそこに近づこうものなら余波のみで殺される。


「大丈夫ですよー。今はこちらに興味は向いていませんし、距離もありますからぁ」


 ユスティーナが緩い表情のままに呟く。彼女には緊張した様子なんてない。魔法で作り出した人狼に黒山羊と共に乗って備えているものの、まだまだ観戦モードだ。

 その余裕具合はカド――に化けた黒山羊の体をさわさわとまさぐっているところからも察せられる。

 真面目なんだか、そうでないのだか理解は不能だ。


 黒山羊に関しては、遠方にいる大蝦蟇をぼーっと見つめていた。

 流石のカドも高性能なパソコンではない。作成した簡易使い魔五体と黒山羊、本体の操作を同時に出来るわけはないので、今は黒山羊の自由に任せていた。


 だが、ハルアジスと決別したその瞬間、放っていた簡易使い魔も索敵の役目を終えた。

 カドは情報伝達のためにも黒山羊を操り始めた。


「あーあー。よし、感度良好。こちらは、やっぱり戦闘中ですね」

「あはっ、カド様! おかえりなさいませ」

「はい、どうも。大蝦蟇はともかく、こちらは異常なしっぽいですね」

「ええ、もちろんです」


 カドが急に立ち上がって遠方を眺め、ユスティーナはそれに笑顔を向ける。

 周囲の目からすれば理解が及ばぬ所だろうが、そんなことはどうでもいい。エルタンハスにいる本体に集中するためにも、カドは迅速に情報伝達をする。


「簡易使い魔で巨大樹の森の北方に位置する死地で何かの儀式をしているハルアジスを発見しました。こちらはあの大蝦蟇以外はブラフの可能性があります」

「やはり、ですか」


 カドならばそうしてできるだけ勢力を分割し、背後から叩く。そんな予想通りだったことでユスティーナはにたりと笑みを深めた。


「では、ドルイドや錬金術師の方。そのように他の班へ情報伝達をお願いいたします。わたくしはエルタンハスに戻り、後方を叩こうとする勢力を潰しに行きますね。続けてここの防衛をすればいいかと思いますが、後の判断は一班のリーダーに委ねますので」

「り、了解し――」


 剣士と思しき男が応答しようとした時、ふと何かを察した様子のユスティーナは突然に跳躍して人狼の上から飛び退いた。


「……?」

『ァ、グァッ……!?』


 取り残されたカドが疑問に首を傾げていると、人狼は毒にでも蝕まれたかのように震える。けれどそれも束の間のこと。直後、自分の胸に爪を突き立て、両側の肋骨を思いっきり掻き開いた。


「うわ、すっごい自傷行為」


 カドもそれに合わせて飛び退いたところ、人狼の足元に地面から浮き上がった死霊が組み付いているのが見えた。

 薄青い靄が形作った骸骨である。それには実体なんてないのか、するりと抜けるように地面から人狼へと這い上がっていく。そして、体内に吸い込まれたかと思えば、人狼は発作でも起こしたかのようにびくんびくんと体を跳ねさせた。


 それだけではない。境界の四方に黒い水晶体が突然に地面から突き出す。さらに遅れて黒曜石のような物体も境界前に生えてきた。

 あれらは一体何だろうか。


「レッ、レイスだっ。それもかなり高位のっ! 物理技しか使えない者は退魔術を持つ者を守れぇっ!」

「ほー。これがレイスですか」


 死霊術師が作成する攻撃型の使い魔、もしくは魔物の名前だ。

 その体は物理現象を受け付けない魔素のみで構成されている。言わば動く呪いの塊で、触れられたところから体の自由を奪われ、憑りつかれれば自殺に追い込まれるらしい。

 それがこの丘を中心に二十体は沸き上がったのだ。


 しかも、強い物を集中的に狙うのは相変わらずで、ユスティーナは五匹程度に追われていた。彼女は格闘家のような体捌きでレイスの抱擁を回避し、地面からの奇襲も見事に避けている。流石は五大祖の一角だ。


「あのー、ユスティーナさんは治癒師なのに退魔術は使えないんですか?」

「治癒師は魔素を物質に変化させることによって傷を治療するという行為に特化していますので、魔素そのものを操る技術は不得意なものですよー?」


 ゲームイメージの聖職者と混同して問いかけたところ、彼女は否定してきた。

 カドは納得して手を叩く。


「ほほう、なるほど。確かに作用するものが違いますもんね」


 カドは暢気に答えながら、ユスティーナと同じく大量のレイスから逃げ回る。


「そういうことに関してはぁー、治癒師の派閥内の退魔師やドルイドなどが得意としますー!無論、こんなレイスを作成できる死霊術師もですがー!」

「あ、そうですよね。それは確かに!」


 大きな声を上げて会話をしながら思い出す。そういえばリリエと共におこなった天啓の更新で、〈葬送〉というクラスⅣの魔法を覚えていた。

 それこそ魔素を拡散させる魔法だったはずだ。体勢を立て直したカドは追い縋るレイスに手を向ける。


「ここに理の終わりを告げる。其処なる魔を弾け。〈葬送〉」


 さあ、これこそ退魔の術だろう。きっと火炎弾よろしく何かが放たれるはず――と先入観で思っていたが、向けた手の平に光が宿っただけだ。

 これだから初めて使う魔法は扱いきれない。カドは気まずさにため息を吐く。


 けれども、それを認めたレイスは一斉に分散して距離を取ってきた。


「なるほど。この光で触れれば拡散できるけど、そう簡単に触れさせてはくれないと」

「カードーさーまぁー? 一体一体を相手にしていては冒険者が全滅いたします。境界前に生えてきた水晶体は障壁の発生装置で、黒い石がレイスを統括する装置だと思うので壊していただけますかー?」


 ユスティーナはまだ器用にレイスを避けながら声をかけてくる。

 彼女は器用にも再度人狼を作り出してその障壁とやらに殴り掛からせていたが、それが異様に強固らしい。人狼の拳も爪も弾かれてばかりだった。


 そんなことをしている合間にも、彼女が言う通り冒険者がレイスに捕まり、憑依されていく。自分で地面に頭を打ち付けたり、刃物で首を掻き切ったりとかなりえげつない死に方だ。

 まあ、この場に来ている者は熟練者なので死んでも復活できる混成冒険者が多いのだが。


「はーい、了解しました! あと、僕はエルタンハスで迎撃の準備をするので、あとはシーちゃんに任せます。でも安心してください。大量の魔力を使う魔法なんて僕はほぼ持っていないので、魔力はむしろシーちゃんにたらふく貯め込ませていますから! ユスティーナさんはそこを突破したら、防衛をシーちゃんに任せてこっちに来てください」

「はぁーい、かしこまりました」


 そんな言葉と共に、カドの擬態は解ける。どろりと汚泥のような黒い粘体になると共に形状が変わり、黒山羊の姿となった。

 余剰の泥は地面に飛散すると共に増殖し、大量の触手を形作る。直後、触手は放たれた投げ槍の如く一直線に境界へと迫った。だが、それらは全て透明な障壁に阻まれる。

 ハルアジスはクラスⅣで、カドとその使い魔である黒山羊はクラスⅤだ。相当な力を込めて作られているらしい。


 しかし、これで終わりではない。

 殺到するレイスを横っ飛びで躱した黒山羊は、さらに力を込めて跳躍した。その脚力を舐めてはならない。可愛い見かけであろうと、クラスⅤのカドが持て余した魔力を詰め込まれた怪物だ。蹴られた地面は反動に耐えきれず、砕け散る。


 その勢いが全て込められた頭突きが、障壁に突き刺さった。

 それで限界が来たのだろう。ミシミシと数多の亀裂が入ると、水晶が同時に爆散して障壁が消え去った。


 障壁の消失の気付いたレイスは冒険者を襲うのをやめて黒山羊に群がってくる。

 何体かは確かに黒山羊に触れたものの、呪いとは上位の魔素やより大きな魔力量を持つ者には効きにくい。黒山羊は気にもせずに黒曜石に近づき、後ろ足で蹴っ飛ばして破壊した。


「べぇぇぇ~」


 そんな気の抜ける鳴き声と共に、周囲に満ちていた汚泥と触手が消え失せる。


「嘘だろ、おい……」


 冒険者の口からは、信じられなさそうな声が漏れていた。

 例えばユスティーナが作り出す人狼のように、強ければそれなりの姿形をしているものなのだろう。


「ふふふ。流石はカド様の使い魔ですねぇ」


 戻ってきたユスティーナは黒山羊の頭を撫でる。

 それと同時に、彼女は境界から霧が漏れ出していることに気付いた。


「あら、これは……?」


 顎に手を添えて考えた様子の彼女はすぐに新たな魔法を詠唱した。

 それによって作られるのは無数の狼と、素っ裸の自分の姿だ。


「はぁい、いってらっしゃい」


 手を振ってそれらを境界の向こうに送り出したユスティーナは黒山羊を抱きしめて成果を待った。

 十数秒もすると、彼女は黒山羊から体を放す。


「あらあら、大変。あちらは結界で封鎖された上に強い毒で満ちていますね。黒山羊さん、あちらの障壁も破壊できますか?」

「んべぇー」


 問いかけると、鳴いた黒山羊の周囲に再び黒い汚泥と触手が出現する。それは二重三重に黒山羊を包むと、体高三メートルほどまで膨れ上がらせた。

 その姿のベースは黒山羊だ。けれども端々が触手化していたり、眼球ができていたり、牙を供えた口が出来ていたりと、冒涜的な邪神じみた姿になっている。呆気に取られていた冒険者も、その姿を目にすると、ひぃっ!? と怖気に声を漏らしていた。


 だがそれを目にしたユスティーナは真逆の反応だ。自分の頬に手を添え、うっとりと微笑む。


「あら、かわいい。ではでは、黒山羊ちゃん、お願いしますねぇ?」


 ぎょろりと眼球を向けられたのが返答だ。

 黒山羊はすぐさま境界に飛び込む。直後にはガラスが砕けるのに似た音がしたため、障壁の破壊には成功したのだろう。

 ユスティーナは残った冒険者に目を向けた。


「あちら側の冒険者は黄泉路の外まで運び出しておくので、余った人員で救護をお願いします。では、また」


 魔法をまた詠唱した彼女の周囲には多くの狼が生まれ、さらに自身を包み込むように人狼の躯体が生まれた。言わば防護服だ。彼女はその身を操り、境界を越える。

 まだ薄っすらと毒霧が残っているが、障壁がなくなったので先程よりはマシだ。そこらで呻き、のたうっていたはずの冒険者の姿を探す。

 けれど、その姿は一つもない。


「あらぁ、もしかして?」


 ユスティーナは即座に駆け、黄泉路を抜けた。そこには禍々しい姿の黒山羊が待機している。

 しかも体から生えた無数の触手は境界付近にいたはずの冒険者たちを掴まえていた。

 毒に対する備えはもう必要ないので黒山羊の躯体は解け、ユスティーナも人狼の背中を破って外に出る。


「あはは、やっぱり。うんうん、あなたはご主人様と同じでとても優しいのね?」


 微笑んだユスティーナは黒山羊の額に口づけをした。

 周囲の冒険者はごほごほとむせ返りながら、体を起こし始めている。まともに毒気を吸ってかなり容体が悪そうな者もいるが、彼らも熟練者だ。そこそこの人数は自らの技で多少は防いだらしい。

 これならば自分たちで持ち直してある程度の防衛機能を取り戻すだろう。


 ユスティーナは人狼に飛び乗ると、カドが待つエルタンハスに向かって走らせるのだった。

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