最後の問答 Ⅱ

 それはハルアジスにとっては想像だにしない答えだったのだろう。彼は足の力を失いそうになりながら一歩、二歩と後ずさった。


「き、貴様。何が狙いだ……!?」

「単なる気紛れですよ。気紛れ。だって僕としても、ここで話さなければ永久に闇に葬られてしまう話だってありますし。だからほんの数分だけ、二人で無意味なお話をしましょう」


 ハルアジスが自分の名誉のために異世界から魂を引き寄せ、杖に宿らせた。

 カドとしてもそんな話しか知らないのだ。自分はどんな世界から引き寄せられたのかなど、ルーツを知る可能性があるのはハルアジスのみだろう。だから、もしかしたらあるかもしれない自分の末路と、ここでしか知る機会がない話をするのだ。

 恨みを向け合う間柄だろうと、気紛れを起こそうものである。


 よろめくハルアジスに対してカドはすんなりと名乗った。


「僕の正体は、あなたが研究発表のためにこの世界に引き入れた魂ですよ。それに気付いた竜に助けられ、竜に恩返しをしつつあなたに復讐をしたのが黄竜事変です」

「あの魂じゃとっ……!?」


 にわかには信じられぬとハルアジスは目を見張る。

 しかし、魂を引き入れたなどという内容は他の誰かが知るべくもない話だ。カドの言葉はそれなりに信用しうるものと判断したらしい。彼は警戒したまま、睨みつけてくる。


「馬鹿な。あの存在が受肉したとでも言うのか……!?」

「まあ、その辺りの小難しい理論は僕もよくわからないんです。とにかく大事なのは今しかできないことをすることじゃないですか。ハルアジスさんがさっき質問してきたので、僕も質問を返させてもらいます。その魂は、一体どんな世界から引きずり下ろしてきたんですか?」

「しっ、知らぬ! 増幅の儀式を重ねたクラスⅥの降霊魔術だ。二度は喚び出せぬもの。そう思ったからこそ、あの黄竜事変を忌々しく思っておったのだ……!」

「へえ、そうですか」


 これであっさりとルーツが知れるとは、カドも思っていなかった。ハルアジスの返答をいざ耳にしてみてどうだろうと、自分の心境の変化を吟味する。

 悲しくはない。やはり、そんなところが落ちどころかと納得したのが全てだ。


 だったら、帰る当てのない世界を求める気はない。

 自分にも親というものがあり、返すべき恩があったのだろう。だが、それは恐らく叶わない。叶わないものを追い求め続けるのは無駄だ。少なくとも、雲を掴むよりも難しい話としか思えない今は、そう断じるしかない。


 ならば後の答えはすっきりと明快だ。

 この世界でただ使い潰されるはずだった自分を救ってくれたエワズは、親にも等しい。本当の親に向けるはずだった孝行もまとめて、彼に返すだけだ。


 さて、これで自分の質問権は一つ消えた。次はまたハルアジスが自分の番だと浮足立っている。


「そ、その表情は何だ、貴様……! 気紛れだなどと抜かしたが、狙いがあるのではないか!?」

「ここで時間が潰れてあなたの作戦が遅れれば、僕の本体にも対応の時間が増えるのは事実かと思います。でも、たかが知れていると思いますよ?」


 元の世界に戻れないことを知れば失意に沈むか、逆上するものとでも思っていたのだろう。こちらとしては『エワズに親孝行しますかぁ』と割り切ってしまっただけで他意はないが、彼は非常に奇妙な姿と取ったらしい。


 ハルアジスと自分が似ているというユスティーナの言葉には感謝すら抱く。

 そんな言葉で自覚してハルアジスを見つめると、彼がどれだけの虚栄に満ちているのかがよくわかった。


 大蝦蟇に何かの細工を施して暴れさせたり、〈剥片〉を利用したり、フレッシュゴーレムやホムンクルスを揃えたり、更なる何かの儀式をおこなおうとしたり――。

 流石は五大祖の一角だ。クラスⅤやⅥすら手こずらせる力を発揮している。


 反面、酷く弱々しいのがわかった。何をどう間違えばこうなるのか。その根本の部分を、カドは観察する。


「それより、僕は質問に連続で答えていたと思うんですけど。ま、いいですか。僕としてはもう聞きたいことはほぼないですし」


 ハルアジスが表情を指摘したように、自分が捉えきれていないだけで実のところは響いている面もあるのかもしれない。そういえば多少は心が凍てついたり、ささくれ立ったりしている気がしないでもなかった。

 けれどもただの木偶の坊程度の簡易使い魔の表情を見て竦むなんて、今のハルアジスは滑稽だ。


「じゃあ、僕から最後の質問です。ハルアジスさん。やっぱりここで諍い合うのをやめて手を組んでみますか? そうすればあなたが求めた知識も手に入ります。苦難はあるけれど、五大祖として返り咲けるかもしれませんよ?」

「……!?」


 そういえば、悪役はこうして正義を甘言でかどわかすものだっただろうか。

 それはどんな気持ちで発したものだろうかと、カドは考える。

 ずっと敵対し続けたのだ。当然、相手が断るのは目に見えている。では、何故問いかける?


 それはきっと、決別をするためだ。

 もしかしたらあったかもしれない可能性にいつまでも引きずられるわけにはいかない。そんな分岐点があるのなら、もっと早くに別の形で妥協できたはずなのだ。それを口にして確かめたいからこそ、最後に問いかけたくなるのだと思える。

 だからこそ、カドとしては純粋な気持ちで問いかけてみた。


 けれど結果はどうだ。ハルアジスはその裏にどんな罠が張り巡らされているのかと脂汗を掻き、目を見開いている。握手を求めて手を向けても、彼は一歩距離を取っただけ。

 つまり、これが答えだった。


「うん、こうなりますよね。多分、どうあろうとこうなったんです」


 何も掴むことはなかった自分の手を見て、カドは深く納得を示す。


「ま、まだワシは何も言っておらぬ! 貴様こそ、真意を言ったらどうなのだ!? あのように敵対したというのに、どの口が――」


 見切りをつけて零すと、ハルアジスは苦し紛れのように言葉を吐いた。

 あまりにも美味しい餌なので罠を警戒するが、手が届かないのは惜しい。そんな心情が透けて見える。


「僕の場合はシンプルに気紛れなので突拍子もないかと思います。でも、あなたには今までにもっと違う形での選択肢があったと思うんですよ。仮にも死霊術師の一派の長だったわけですし。それらに対しておこなってきた姿勢が、現在の結果です」


 ハルアジスの傍にいるのは、手駒ではあっても仲間ではない。その実は一人ぼっちなのだ。

 エルタンハスで弟子の一人をバジリスクの骨片付き〈剥片〉で石化させたように、相手を疑い、脅しや強制でしか従えることができなかった。

 そんな末路が、この姿だ。


 それを実感したカドは、自分の傍にあるものを実感する。

 人肌の温もりはよくわからないが、強固な竜の鱗がこの身を包んで守ってくれているのは確かだ。


「僕は信用のない、薄情な存在だとは思います。例えば、傍にいる人間に裏切られたとすれば、やっぱりこういうものかと見限って距離を置きそうですし」


 いかにもありそうだと、カドはけたけたと笑う。


 危機的状況を、人には救ってもらえなかった。物語に当たり前のようなボーイミーツガールはなかった。

 だからなのか、人に対する感情は希薄なものだ。自分に重ね合わせることができる存在でもなければ、同情することもない。


 歪だろう。人間の形をしているのに、その精神としては失格である。

 そうだと自覚しておきながら矯正もできていないのだから、なおのこと手に負えない。

 ――だが、そんな調子だと、きっと叱られるんだろうなぁと苦笑できるのは大きな救いだ。


 笑みは自然と温かなものに変じる。


「ただ、僕は最初の出会いには恵まれました。あなたの生き方もわからなくはないんですけど、きっと僕はそうならないです。そこだけは確信できます。僕があんな質問をした真意はあなたと決別するためですよ」

「なんじゃと……!?」


 決別。そう口にしたからには、座ったままなんて格好のつかないことはしていられない。カドは立ち上がり、狼狽えるハルアジスを見据えた。


「今のあなたはきっと、どうして自分がこんな目にといろんなものを恨んだかと思います。その没落に僕が絡んだことで、一番恨んだかと思います。でも考えてもみてください。あなたが誇った魔術の真髄で呼び出したものが僕です。あなたがあなたとして振る舞った結果がこれです。あなたが欲しがった異世界の知識で言うとですね、これを因果応報と言うそうです。あなたが率いた死霊術師に僕が終止符を打つのも道理じゃないですか。だから僕があなたを殺して、一派を滅ぼします」

「――っ!」


 誰かの悪意が絡んだかもしれない。だが、それらの始まりは全てハルアジス自身の行動によるものだ。

 彼はようやくその事実を受け止めたのだろう。壮絶な表情で絶句していた。


 今ならばこの弱々しい体でも凶器でひと突きにして殺せるかもしれない。カドは手持ちの刃物に手を伸ばした。

 けれど、その手を途中で止めた。


 認めたくないものだが、エワズを育ての親とするならこのハルアジスは生みの親だ。そんな相手にほんの少しばかりの情けを抱いてしまったのかもしれない。


「カッ……。クカカカカカカッ!!」


 再び動き出したハルアジスは顔を押さえ、狂気じみた笑いで天を仰いだ。喉をからすほど加減なしに笑い続けた彼は、数十秒もしてようやく落ち着きを取り戻す。


 その目は非常に静かになっていた。先程までの猜疑心や動揺もない。

 五大祖に名を連ねる、クラスⅣの死霊術師。その名に恥じぬ重みをその身で体現し始めていた。


「……認めよう、小癪な童め。道理よな。我が血族の切り開いた道に立ちふさがる死神が、その真髄によって喚ばれた貴様か」


 ハルアジスは杖を自分の前につき、両手をその上に乗せる。

 ああ、何だろうか。これは老人が杖を支えにしている姿ではない。それこそ騎士が剣の柄尻に手を置いているような威厳がそこにはあった。


 彼は深く皺が刻まれた顔を歪ませ、牙を剥く。


「だが、許さぬ。確かにこの道は、愚かで醜かろうよ。しかし、苦しかろうとそう在り続けたのだ! 血で魔法を編み、魂で術を記し、子々孫々伝えてきたのだ! 何代と繋ぎ続けたこの灯を、貴様如きに絶やさせてなるものかっ……!」


 上っ面など跳ねのけたこれが彼の根源たる叫びなのだろう。

 死霊術師の適性は希少で、他の五大祖には明らかにスケールで劣りながらもその一角に居座り続けた。そこには余人には想像できない執着があるはずだ。


「我が身果てようと、我が術を以って貴様を滅ぼす!」


 ハルアジスは先程にも言っていた宣言を、改めて口にする。そこに伴う圧は、明らかに質が違っていた。


(さて、僕はなんで敵さんに塩を送っちゃったんでしょうねえ?)


 ハルアジスにも意地がある。追い詰めれば、全てを曝け出してより勢いが強まることは途中から想像できていた。

 その寸前に刃物で刺して呆気なく終わらせることもできたのだ。

 だというのにそれをしなかったのは何故だろうかと、自問する。


(――ああ、そっか。積年の執着といえばエワズがリーシャさんに抱いている想いも同じなんですもんね。だから無碍にはできなかったのかもしれません)


 この境界域の英雄を追って、五大祖は地位を築いた。そこに掛けた努力はエワズが持ち続けた執着と同等のものだっただろう。たとえエルタンハスの冒険者や自警団が危険に晒されようと、その思いを呆気なく摘み取ることはできなかった。

 大蝦蟇への細工も考えればエワズ自身にも脅威が及ぶはずなのに、我ながら矛盾した行動を取ったものだ。


 カドは自嘲の笑みを浮かべる。


「はい。僕も責任をもってあなたを滅ぼします」


 その言葉を契機にハルアジスが杖を構え、この躯体が吹き飛ばされる。

 それが五大祖ハルアジスとの開戦の合図となった。

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