最後の問答 Ⅰ
『エワズ、そちらは順調ですか?』
『微妙なところだ。第二層の〈剥片〉程度の脅威には遭遇するが、選抜した冒険者は難なく蹴散らしている。……が、ハルアジスの拠点とやらの痕跡は未だ掴めぬな』
カドはエワズと交信する。
エワズたちはすでに二時間前に旅立った。
カドに化けた黒山羊とユスティーナの他、五十名は境界のあるガグの黄泉路に残り、エワズとリリエ、五十名の選抜者たちは第二層の広範囲を捜索している。
捜索開始からはもう一時間半は経過するので、それなりの距離を移動していることだろう。
まあ、それでも一両日中に見つかるかは非常に怪しい。なにせ、ハルアジスにとっては残る力を溜め込んだ最後の拠点と言えるからだ。
ダミーも考えれば、簡単に尻尾を掴ませてくれるとは思えない。
『それについては詳細な場所の情報がなかったですしね。でも、何もなければ何もないでいいと思います。時間が経てばギルドや管理局とも連絡が取れてこちらが有利になりますし。だからこそ、それまでの時間は気を付けてください』
『うむ、互いにな』
カドたちが第二層の調査をした際、バジリスクの骨片が埋め込まれた〈剥片〉が確認された。その夜にいくつかの手段で地上との交信が図られている。
ここから地上までは渡り鳥と同等の速度で飛び続けて一日足らず。千キロオーバーと大まかな距離しかわからないが、移動に特化したものならそれくらいで伝達可能だ。
今夜にはハルアジスと敵対している旨があちらに伝わり、明日から明後日には何らかの増援が期待できるはずである。
とはいえ、追い詰められているハルアジスがこの好機を逃すとは思えない。
手駒でこちらの情報をかく乱しつつ、公衆の面前で石化させることで動揺を誘うなど、すでに動き出していると言っても過言ではなかった。
ここからは化かし合い。先に正体を掴まれた方が窮地に陥る。
「さて、と。それでは僕も無駄骨にはなりそうですが散策を続けましょうか」
こちらの戦力は現在、三分割になっている。
一つはエワズとリリエを中心とした五十名が大蝦蟇とハルアジスの拠点対応班。
二つ目は境界防衛兼後詰めとしてのユスティーナと黒山羊その他五十名。
そして最後は本陣であるエルタンハスのフリーデグント、自警団及び冒険者計百名と、カドの予想によるハルアジス対応班のイーリアス、スコット、トリシア、エイルと本体だ。
各班が敷いた陣地を中心に索敵班もいくつか放たれているように、カドも自身の簡易使い魔で幻想種の治療と情報収集を続けている。
この体は巨大樹の森のさらに北方に当たる辺境のエリアにいた。
「僕らも辺境を選んでいたくらいなので、隠れ家としてはもってこいなんですけど。うーむ」
近くにあった丘を登って周囲を見渡すものの、見えるのは大自然ばかりだ。この体には魔素を見る目もないため、索敵能力はほぼないと言っていい。
無駄骨承知だったが、ここまで何もないとカドでも流石に苦笑を零してしまう。
「たはは。これはいっそ、妖精でも掴まえて……ん?」
よくよく見回していた時、森の中に植生がないニッチらしき場所が見えた。
森の林冠が邪魔で、そのニッチがどういう由来のものなのかは読めないが、カドの経験としては一つだけ覚えがある。
「瘴気のスポット……死地ですかね?」
死地。それは間欠泉のように大地の魔素が高濃度に噴き出す場所と言われ、大蝦蟇とまではいかないものの、強力な魔物や幻想種が生息していると言われる場所だ。
元の世界の知識で言うならば、龍脈とその力が溜まるポイントと言い換えてもいいかもしれない。
「ふむ。まあ、どうせもうこの体で歩き回っても得るものはないですしね。強力な魔物をハルアジスが狩ってゾンビや力に変えている可能性もありますし、見に行ってみますか」
もしも都合よく困りごとを抱え、意思疎通が可能ならば妖精やガーゴイルのようにこちら側へ引き込むこともできるかもしれない。
カドはごく気楽な気持ちでそこに足を運ぶと、藪を掻き分けてニッチに踏み入った。
「はい、どーん! て、あっ……」
「なぁっ……!?」
予想外の事態に、カドは絶句した。
うん。随分と適当に行動をしたらまぐれ当たりを引いちゃったらしい。
そこには黒い渦を開けた死地と思われるものに向かって何かの儀式を続けているハルアジスがいた。
その周囲には巨大な〈剥片〉や生体の筋肉からなるフレッシュゴーレムとやらの他、作り物のような白っぽい肌の美男美女――恐らくはホムンクルスと呼ばれる人工生命体がいた。
両者とも予想外の事態に言葉を失い、妙な間が空いてしまう。
「よし。逃げ――」
術式に集中していたはずの老体よりはまだただの人間レベルの体の方が早いということだろうか。カドは即座に踵を返そうとした。
だが、フレッシュゴーレムの目に光が宿る方が早い。
元々、ある一定の条件付けで行動するようにでもなっているのだろうか。二メートル越えの巨躯だというのに、地面を蹴ってあっという間に追い縋ってきた。
叩きつけてきた拳を腕で弾きながら横っ飛びにして何とか避けたものの、そこまでだ。次を考えずに避けたため、地面を転がって完全な死に体である。
クラスⅢ相当と思えるその身体能力からするに、これは絶望的だ。二撃目はどう頑張ろうと体の部位を犠牲にした延命が精一杯。三撃目は完全にトドメとなる。
(まあ、情報収集的にはこれ以上とない成果ですね。宝くじものです)
せめてフレッシュゴーレムの骨格でも見て、対策の一助にして終わろう。
そんなことを思いながら大の字になってトドメの一撃を見上げる。
「待てぇいっ……!」
ハルアジスの言葉によってフレッシュゴーレムの動きがぴたりと止まる。
何だかよくわからないが、それは好機だ。
この躯体を逃がす必要もないので、カドは体を起こして情報収集に努める。
『エワズ。なんか棚からぼた餅でハルアジスを見つけちゃいました。巨大樹の森の北方にある死地です』
『……何!? 棚から……ぬぅ、何だと!?』
『棚からぼた餅、です。思いがけない幸運が舞い込んだ時に使います』
『そちらではない!』
こういう時に使うべき言葉を混ぜたところ、エワズはとてもやりにくそうに反応したが、伝えるべきところは伝わったらしい。
これからもう少し深い感覚共有によって彼の知恵も借りてハルアジスの企みを暴こう。そう思ったのだが、エワズと感覚が重なることはなかった。
『すまぬが、こちらも手一杯だ。今しがた、大蝦蟇が暴れ狂い始めた。境界や空の島まで叩き壊さん勢い故、我らが止めねばならぬ。恐らくは他にも何事か仕組まれていよう』
『あらら、周到ですね。了解です。そちらも気を付けてください。こちらはこちらでどうにかします』
なるほど、一筋縄ではいかないらしい。溜息を吐いたカドは、歩いて近づいてくるハルアジスを見た。
「どうも。突然ですが、あなたにもう後はないですよ。居場所を掴んだ以上、叩き潰しに来ますので」
「貴様っ……。あの時ならず、このような状況にワシを追いやってなお、災いするかっ!?」
「はい。それが何か?」
これは然るべき対応なのでカドは悪びれもしない。血管が千切れそうなほど怒りを滾らせるハルアジスを見ても、同情の気持ちは湧かなかった。
野放しにして一切の益がない敵である以上、淡々と破滅に追いやるのみである。
予想外にも、それに対してハルアジスが怒りに身を任せて動くことはなかった。彼は震えながらも怒りを受け入れて叫ぶ。
「ああ。ああっ、そうじゃろうとも! 強欲な他の五大祖共が寄ってたかろうとしている。このワシに未来はなかろう! だが、それで終われるものか。我が血族が受け継いだ秘術。積み上げた功績。ただ消えるだけであってなるものかっ!?」
結果と権力に固執する彼にしては、意外な回答だった。それこそこの失敗は全て他人に押し付け、憂さ晴らしに明け暮れるかと思いきや、そうではないらしい。
もっとも、それがいいとは言わない。
要するに良くも悪くも自分の血族が存在した爪痕を残そうとしているのだから、厄介にもほどがある。覚悟ができているのなら、ひっそりと消えて欲しいものだ。
「贖うがいいっ。貴様らの痛みと死を以って!! この地の者共に、明日はない。ただただ震え、恐れ、絶望し、死の間際に崇めるがいい!」
「わかりました。じゃあ、そういうことで殺す準備をしますね」
宣戦布告は受け取った。常套句に興味のないカドは、ここにいる敵の数と死地に向けている魔法陣の紋様を記憶に留めて使い魔を消そうとする。
「……待てっ!」
その兆候を見たハルアジスは何故か呼び止めてきた。
啖呵らしいものは全て吐き出しきったところだ。その様子も怒りが薄らいで多少落ち着いたように思える。
しかし、一体何の用事があるというのだろうか。
余分な何かでしかないとカドは半分以上に見切りをつけた目をハルアジスに向ける。
「ワシはこの災いを招いた貴様を殺そう。必ず」
「あ、はい。そうですか」
「……だが、それでは治まらぬ。貴様を殺し、ワシもまもなく破滅するだろうが、この怨讐の行方がわからぬ! 何者とも知れぬ存在を屠ったところで何も報われぬ。貴様は何者だ? 何故、この地にいるっ!? ……災いである貴様が答える理由もない、無為な問いだがな。問わずにはおれなかった」
猛っていたからこそ、燃料が尽きてしまったかのようだ。まるで老いが加速したかのようにハルアジスの立ち姿は一瞬だけ頼りないものとなる。
傲慢、虚栄。そんなもので塗り固められた彼が、全てを失くしかけているからこそ見えた姿なのかもしれない。
『深く死霊術に精通し、しかしながら一人ぼっちの彼(ハルアジス)』
『本質的にはカド様の隣はまだ空位のままと考えています。今こうして手が触れあえる距離にあったとしても、その心に手が届くとは――』
ユスティーナが零し、自他共に認めた言葉だ。
この境界域の上位五人と言える地位にありながらも、実質はこんな状況のハルアジスを目にすると感じるものもあった。
この姿は、もしかするとあるかもしれない自分の姿でもあるのだろう。そう思うと、全くもって無駄でしかないこの問いに答える気持ちが湧いてくる。
「そうですね。じゃあ、ちょっと話しましょっか」
「……っ!?」
カドはその場に胡坐を掻き、軽く言ってのけるのだった。
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