本質的には、あまり変わらない

 カドがガーゴイルを発見してから数時間が経過し、正午となった。

 未だにフリーデグントの家の居間で世話になっているカドは〈遠隔五感〉によって作った分身が黒山羊に預けてきたものを魔本に収納したり、例のガーゴイル――便宜上は石鼬と呼ばれる幻想種を治療したりして時間を過ごしていた。


「んー。砂糖、そのうち作らなきゃですねぇ」


 クッションの上で寝かされたイタチを前に、カドは腕を組んで唸る。

 治療としては脱水対策に点滴をおこない、レバーと肉と卵を緩いペースト状にしたものを回復期の療法食として与えたところでのぼやきだった。

 それを興味深そうに見つめるユスティーナとスコットは疑問をぶつけてくる。


「カド様。それは甘いものがないと体が動かないという話ですか?」


 ブドウ糖がエネルギー源とまではいかなくとも、腹が減っては戦はできぬという認識くらいはこの世界にもある。カドがこうして点滴をしていることもあり、口からの摂取が上手くいかないのならば別から摂取すればいいとはユスティーナも考えたようだ。

 カドはそれに対して首を横に振って返す。


「いえ、細い血管からブドウ糖を入れても血管炎や血管痛が起こらない濃度だと大したカロリーにもならないんですよね。だから栄養補給をするなら頚静脈を使います。ただ、絶食状態でも一週間はもちます。胃や腸を切って縫い合わせる手術でも、数日でくっついてしまうので、脱水を防ぐための点滴をしながら徐々に食事を開始していくんです。この子の消化管も問題なかったので、栄養補給という点は何も問題はありません」


 口から食道や、胃の噴門や幽門といった括約筋のある部位の手術ではまた対処が異なるが、その辺りは割愛だ。

 そもそもこの世界には治癒魔法がある。切っても魔法ですぐに繋げられるため、高栄養の点滴を用意する必要性は非常に低い。

 カドは疑問顔を浮かべるユスティーナとスコットに向き直る。


「問題は別です。打撲や重い物の下敷きになった際に筋肉が壊れると、その壊れた細胞カスが腎臓に詰まるんです。電位差を作るためにカリウムを溜め込んだ細胞が壊れた時点で血中カリウム濃度が上がるし、そうして腎不全が起こるとカリウムの排出も上手くいきません。そして高カリウム血症が起こりやすくなるんですが、何故危険かというと――まあ、筋肉が強制的に金縛りにあうみたいに心臓まで止まっちゃう危険性があるからです」


 がれきの下敷きになった人は、細胞が壊れて高カリウム状態となっているが、がれきの重みで堰き止められている状態だ。

 いざ、がれきをどけて助け出したはいいが、そのせいでカリウムを豊富に含む血液が心臓に流れ込んで心停止するといった二次災害もないわけではない。


 この世界の生物も神経を持ち、電位差によって情報伝達をして体を動かしている。

 いちいち新たな命名が面倒なので、カドは似た要素について同じ名称を用いているが、元の世界と同じくこれはこの世界でも重要な要素だ。


 なにせ魔法を用いて殴り合いをする世界である。切り傷のみならず、打撲や挫滅も負傷としては少なくない。衝撃で吹っ飛ばされたらしいこのイタチが良い例だ。

 実例がある以上、治療法を用意する必要がある。


「ブトウ糖とインスリンを同時に投与すると、細胞内へのカリウム取り込みを促進してくれるんですね。そうして高カリウム血症を緩和できるので、用意しなきゃいけないなって思いまして。その処置に足りないのがブドウ糖なんです」


 インスリンだろうが、ステロイドだろうが、生体が作るものならば〈毒素生成〉の上位に当たる〈贋作活性物質〉によってカドは生成することができる。

 だが、ブドウ糖はそうもいかない。


「んー。蜂蜜から単離するのも程遠い気がします。そのうち、錬金術師の協力を仰ぐ必要がありそうですね」

「なるほど。師が拘ろうとした異界の知識について、その有用性が自分にもよくわかりました。……これは、途方もない。それらを一つ一つ読み解いて実用していくだけで治癒に関する術師の常識が全て塗り替わります」


 スコットはとんでもないことを聞いたと緊張の汗を浮かべている。

 彼らにとってこのイタチは、『負傷によって衰弱している』という以上の分析ができない。


 わざわざ彼らにも理解できるように話しているわけではないので、耳にした印象は早口な外国語のようなものだろう。

 けれど、少なくともカドが状態を適切に理解し、対処法についても手探りしながら進めていることは読めたようだ。


 ユスティーナはこのような小難しいことを自分で解釈する努力は嫌いなのか、笑顔のまま疑問符を浮かべて聞き流していた。

 話がひと段落ついたと見たのか、彼女はカドにそそっと寄りついてくる。


「カド様。今度ゆっくりと、わたくしに教えてください」

「ユスティーナさんの名前があれば良い錬金術師さんにも会えそうです。その代わりということでどうですか?」

「かしこまりましたっ!」


 ユスティーナは元気よく返事をする。


 とりあえずガーゴイルに対する処置はこれにて終了だ。カドは湯たんぽとしてクッションに乗せているサラマンダーごとタオルをかけて安静にしてやる。

 ある程度は治癒術で回復するようにしてやったものの、仮止めみたいなものだ。

 治癒術は所詮、他人の力。自分自身や家族、魔法によって繋がりのある従者相手ならばもっと重傷でも治せるが、それ以外では拒否反応を起こす危険性がある。療法食を少しずつ摂取して自己治癒してもらうのが最善の回復法だ。


「ねえ、カド。見送りはいいの?」


 そんな時、エイルが声をかけてきた。

 彼女は何故か面白くなさそうに頬杖をつき、リビングのテーブルからこちらに視線を寄越してくる。そんな雰囲気に、同席するトリシアはそわそわとし、イーリアスは自分がちやほやとされるわけではないので食い飽きた表情だ。

 言葉を受け取ったカドは軽く返答する。


「ええ。だってシーちゃん越しに体験していますし」


 見送りというのは今まさに第二層に出立しようとしているハルアジスの拠点制圧組のことだ。冒険者を中心に合わせて百名が出立する。その出立式をフリーデグントが指揮しているところだ。

 リリエ、エワズ、カドに化けた黒山羊はそちらに向かい、フリーデグントはこの街に残る。本当に動く必要があるとすれば、それはユスティーナだ。

 エイルに刺々しく睨まれた彼女は涼しい顔で立ち上がる。


「では、後詰めを任されているわたくしもそろそろ出ます。カド様、そして皆様。お気をつけて」

「ありがとうございます。けれど、危ないのはきっとユスティーナさんの方かと思います。そちらこそ――」

「いいえ」


 苦笑したトリシアが言葉を返そうとしたところ、ユスティーナはきっぱりと断じた。

 〈狂奔の聖女〉としての静かな瞳だ。冒険者のことを見知った彼女だからこその言葉がカドに向けられる。


「わたくしたちがこれから対さなければいけない死霊術師のハルアジス様。彼の思考を最も理解できるのはカド様だと考えています。深く死霊術に精通し、しかしながら一人ぼっちの彼。その能力への理解も及ばず、仲間に囲まれている冒険者とカド様。どちらがその思考になり切れるかといえば、後者と考えます」


 彼女は冷ややかな微笑を浮かべながらも、楽しげに語る。

 水と油のように相反するものながらも表情に同居させていること。それ自体がユスティーナらしいことだった。


「わたくしは本質的にはカド様の隣はまだ空位のままと考えています。今こうして手が触れあえる距離にあったとしても、その心に手が届くとは思い――あ。人ではありませんが、守護竜様は例外でしたか」


 思い出したように付け加えた彼女は、もう時間が限界だと判断したのだろう。「では、これにて」と短く零して去った。

 最後に嫌なものを残していったものだ。場の空気が酷く悪い。


 だが、事実だ。カド自身、何一つ訂正すべき点がない。リリエは微妙なところだが、カドはこの場の誰かを頼ろうという気はなかった。

 任せられる点については任せるが、生命線を握らせるつもりはない。そういう意味ではハルアジスと同じく、ほとんど仲間がいない状態で戦おうとしている。


 仲間や信頼といった言葉を気にする面々は、非常にやりにくそうな表情をしていた。


「いやぁ、あの嬢ちゃんは言うじゃねえか。はっはっは!」


 他の面々がぎこちない表情を浮かべていたところ、イーリアスは背もたれにどかりと体重を預けて仰ぎ笑う。


「イ、イーリアスさんっ! 笑うところでは……」


 これから仲間として共に歩もうとしているトリシアも、まだ距離が埋まっていないという自覚はあるのだろう。腫物を扱うようにカドとイーリアスを交互に見ていた。


「事実だろ。それを誤魔化して良い子ちゃんをする方が妙な空気になると思うぜ?」


 前言撤回をさせようと立ち上がったトリシアに対し、イーリアスは笑いながら彼女の肩を叩く。その行動はまるで意見まで叩き潰すかのようだ。

 けれど、そうされるべき嘘の態度はトリシアの方だっただろう。イーリアスは裏表もなく、真っ直ぐな目をカドに向けてくる。


「冒険者なんてな、金と立場次第で敵味方がころりと変わる。少年は公に認められた冒険者でもねえ。事情が変われば、前みたいにこいつの首に剣を突き立てる明日もあろうさ。だが、そんなもんだ! 信頼なんて実力と一緒だ。一朝一夕に証明できるもんじゃねえよ。今回共闘すんのはたまたまだ、たまたま!」


 取り繕うことこそ馬鹿馬鹿しいのだろう。何一つ考えず、すらすらと吐露されていく言葉にカドも苦笑を浮かべる。

 けれども、悪くない。これだけすっきりと吐かれるものなら勘繰る必要すらなさそうだった。


 そうしていると、イーリアスはカドの胸に指を突き立ててくる。


「だがな、お仲間が少ないカドさんよ。聖女さんが言った通り、お前さんの推測が頼りになるってんなら頼もしいもんだ。安心しろ。俺もお前さんに命は預けねえよ。上手くやろうぜ? そうして何回か肩を並べりゃ腐れ縁だ。多少はわかってくるもんもある」


 彼は屈託のない笑みを浮かべると、拳を突き出してくる。粗野に打ち合わせるのを求めているのだろう。

 ひとまずは共闘する。そんな程度の間柄だ。握手ほど親密ではないこの形こそ確かにぴったりだろう。彼の勢いに上手く乗せられたかのようで、何ともむず痒い。


 トリシアはそこへ間を割って入ってきた。歩き方と表情からして、少しばかり立腹した様子である。

 彼女はイーリアスを見つめた後、カドに視線を向けると開いた手を差し伸べてきた。イーリアスとの対比だろうか。これは完全に握手を求めた様子である。


「私は、違います。今は頼りないかもしれませんが、必ず背を預け合えるようになります」

「あ、あはは……。真面目ですね」

「真面目です!」


 真面目に考えて、とのことだろうが自らの性格を称するかのようだ。カドは自然と笑ってしまう。

 そう、自然と。近しい誰かの言動で笑わされたのは、これが初めてだったかもしれない。生前は何度もあったはずの、懐かしい感情だ。

 それを思い出したことにしみじみとした思いを抱いていると、イーリアスが肩を竦める様が見えた。彼はまだ立腹した表情のトリシアと、不服そうな顔をしたエイルを顎で指す。


「だとよ。俺とは違うそうだ。少年、ちゃんと違う目で見てやれよ」


 それは兄貴分のような忠告だろうか。見れば、スコットも似たような目をしてこちらに視線を向けていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る