狂奔の聖女

 フリーデグントとカドのやり取りを、トリシアは見ていた。


(悪意あることではないのでしょうが、やはり傍で助けた方がいいですよね)


 フリーデグントはエルタンハスの自警団団長であり、エイルの父でもある。そんな立場からすると理想と言える形でカドに接触していた。

 エイルもついて歩くとのことだからあまり心配はいらないだろうが、カドの受け答えが心配なのも事実である。


 いや、それだけではない。カドは時々妙ではあるが、アルノルドを助けようとした際には損得勘定を抜きだった。

 彼はそれこそ聖人君子のような良識を持ちながら、敵に対しては一分の容赦もない。そんなところからもわかる。彼は不安定なのだ。

 エワズという心の広い竜に拾われたから彼はこのようになった。だが、悪意などの人の汚いものを浴び続ければ、また別のものに変容しそうでもある。


 エイルを助けはしたが、ハルアジスを招きもした。

 そんな彼が自警団らと交流する際には、どんな対応が待っているだろうか。細心の注意を払うべきだろう。


(私はまだ、エワズやカドさんの戦力にはなれません。こういった点で支えなければ)


 先祖の名前にぶら下がったお荷物ではいられない。自分がすべきことを見つめ直したトリシアは同行を申し出るために足を踏み出そうとした。


「はぁい。お待ちくださいな?」

「ひゃいっ!?」


 トリシアは後ろから胸を揉みしだかれ、出鼻を挫かれた。

 この甘ったるい声はユスティーナである。

 身を抱くと共に振り返ると、彼女はにこにことして手を引いてきた。


「あなたはこちらです。あぁ、リリエ様こそこちらでしょうに」

「うぐっ!?」


 トリシアを掴まえたのに続き、ユスティーナは遠くに手を伸ばしてリリエの後ろ髪を掴み止める。彼女もまたカドのもとに行こうとしていたようだ。

 阻止されたリリエは恨めしそうな睨みを向けてくる。


「くぅっ、堅苦しい話なんていいじゃない。どうせ、先に話したように戦力分配をするだけよ」

「はい。それを伝える部隊長に内通者がいないか見定めるのも重要です。それに、余計な者がカド様についていっては彼が得られるものや、団長様のお考えにも影響が出ます。娘から聞いた彼の人柄と、気心知れた仲間。それらを踏まえての指示でしょうから」


 ユスティーナが口にすることは正論だ。確かにフリーデグントからすれば、悪い方向に転がりかねないことはさせないだろう。


 だが、ユスティーナが絡むとそこにも何があるのかと勘繰ってしまう。

 彼女もまた特異な人間ではあるが、非常に優秀だ。こうして止めるのも、彼女に利する何らかの意図があるからと思えてしまう。

 トリシアはユスティーナの奥底を探るように注視しつつ、問いかけた。


「疑問があります。あなたは何故、カドさんに関わろうとするのですか?」

「無論、それはカド様が素敵だからですよ?」


 ユスティーナは即答する。

 けれど、その答えはどうも抽象的過ぎた。乙女としての意見なんて求めているわけではない。もっと詳細な説明を求めようとしたところ、ユスティーナは自ら口を開いた。

 こちらの感情の動きも、彼女は察していたのだろう。


「足りないですか。では、補足いたしましょう。忌み子を二人も救おうとした。竜と共に自分たちだけでも生きられるだろうに、人の思惑に乗って冒険者と肩を並べようとしている。そんな彼を特別だと思い、好意を抱くのに不思議はありますか?」

「いえ、それはないかと思います。カドさんは……少し妙ではありますが、いい人なのは確かです」

「はい。加えて聡明で、存在自体も珍しい。心くすぐられますねぇ。直に会って幻滅するどころか、その価値に目を見張るばかりです」


 純粋な好意に加えて、少しばかり真っ当な感性から外れた物を混ぜながらも彼女は微笑んでいた。

 リリエの判定からしても、これは本心らしい。彼女は合格とも不合格とも言えなさそうな困り顔で眉間に皺を寄せている。


「逆に、冒険者などはわたくしの嫌いとするところです。心根が腐っています。冒険者のルーキーすら、すぐに派閥の色に染まっていきます。そんなものばかり見ていた反動もあるのでしょうね。――彼と竜。御伽噺の存在のようではありませんか?」


 そんなユスティーナのセリフで、彼女の狂気がどこから生まれているのかがトリシアには薄っすらと理解できた。


 彼女は冒険者を語る際に、はっきりとした闇を見せていた。それはリリエがうっと退くほどのものである。

 だが、そんなものを表面に出していては人付き合いもままならない。それを皮肉などで捻じ曲げた結果が普段の彼女なのだろう。


 トリシア自身、分家が五大祖の一角だ。関わる機会はあろうと、他の五大祖の素性についても下調べはつけている。

 治癒師の当主襲名に関してはかなりごたついたと共に、事件もあったらしい。


 そんな納得が同情となって表情に出ていたのだろうか。こちらを見て取ったユスティーナは少しふざけたような微笑に戻る。


「そうです、そうですよ? わたくしはいろいろと問題のある女なので、もちろん打算もあります。慣れない人付き合いで揺れ動き、お疲れになったカド様のお傍にいれば、自分の評価を上げたり、自分色に染めたりもしやすそうなのです。それも良き点ですね」

「よ、弱っている相手に手を差し伸べるのはただの善意よ!? 女の打算とかそういうのはないわ。美しい行為。美しい行為よ……!?」


 弱った人間に手を差し伸べる天使からすれば、それを打算といわれると心苦しいところがあるらしい。

 もっとも、リリエには五大祖との会議の場で『カドが可愛いから贔屓する』と要約できる発言をした噂がある。それを引き合いに出すと判定は非常に難しい。

 本人も若干やましいところがあるのか、目が泳いでいる。


 まあ、天使は心優しくも誘惑には堕落しやすい側面があると聞く。一族揃って人間文化を楽しむために移住してきているので、その点は筋金入りだろう。


「あらあらぁ、そうですか? ではわたくしも心置きなく善意で行動しましょうね」


 そして、リリエの言葉で裏を取ったユスティーナは笑みを深めるばかりだ。

 トリシアは上手くしてやっている彼女に関心すらしながら目を向けていた。そんな時、ユスティーナが改めて視線を向けてくる。


「トリシアさんは気真面目そうな方。少し共感するところもあるので、今のわたくしの感想をお伝えしましょう」

「私に共感、ですか?」

「はい。同じ年頃の者なので耳障りではあるでしょう。しかし、同じく五大祖に悩みを抱える者としての言葉です」

「いえ、冒険者としてはあなたの方が先輩ですから」


 そう、ユスティーナはかなり幼い頃から治癒師として働いていたと聞く。

 境界域の外で暮らし続けていたトリシアとは全く違い、現場での叩き上げだ。その経験の差は多いことだろう。

 トリシアは教官への態度のように謹聴する。


「我慢はよくありません。生真面目な性格も、束縛ばかり増やします。わたくしは父母を死に追いやった前当主のおじい様を恨んでから吹っ切れました。死んでも構わないと思って敵に向かい、冒険者など死んでも構わないと思いきって癒し……。そうしていたら、いつの間にかこの地位です。聖女などと笑える通り名も頂きました。気持ちのいい方向に力を使った方が建設的なのですよ。その胸に抱えているものがあるのなら、発散するのがよろしいかと」


 治癒師の現当主、ユスティーナ・プレディエーリ。その通り名は〈狂奔の聖女〉、〈人形遣い〉、〈愛多き御手〉だったか。


 トリシアはその言葉に説得力を感じた。

 現当主が他の五大祖に負けない後継者を育成しようとした結果、彼女の両親は無茶な課題を課せられて亡くなったそうだ。


 その死の直接の原因への報復の結果が、彼女が人形として作り上げる人狼と〈人形遣い〉の名。

 欲求のままに生きた結果が〈愛多き御手〉。

 そして、自らも語ったセリフ通りの生き様が〈狂奔の聖女〉。そういうことらしい。


 彼女の言うことに嘘はない。説得力は十分にある助言だった。

 しかし、それへの返答は非常に困る。同意も否定もしにくいのだ。返す言葉に迷っていたところ、リリエが間を割ってきた。


「トリシア。ただ聞くだけでいいのよ。これはあくまで彼女の感想。そういう方向に堕ちた結果の話。危うさも理解できるでしょう?」


 これこそ、天使らしい忠告だろう。リリエの配慮には感謝する。


「はい。ですが、ためになる話だったと思いますし、ユスティーナさんのことも少しわかったので嬉しいです」

「ふふ、それはまた優等生なお言葉ですねぇ?」


 教訓にはなる話だったと認めていると、ユスティーナは含みのある表情を向けてくる。

 けれど彼女はパッと表情を変えると、素早く背後を取ってきた。


「はいはい、それでは向かいましょう。遅れていては怒られてしまいます。トリシアさんはカド様と守護竜様の代理としてご参加くださいね」


 彼女はリリエとトリシアにまとめて腕を回すと、そのまま押すようにフリーデグントの家に足を向けるのだった。

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