第二層で下調べをします

 境界を越え、第二層に向かう。

 それを決めたカドは早速踏み入るわけではなく、とある準備をしていた。


「さて、残る吸血昆虫はひぃ、ふぃ、みぃっと」


 自分が踏み込む前に〈虫体使役〉で整列させた虫を先に潜らせ、自分が潜ってからは残しておいた虫も追って潜らせたのである。


「ほほう。〈虫体使役〉で僕の魔力が浸透しているので、僕の体の延長みたいな認識がされるんですね」


 境界を越えること自体は地上と第一層の間や、ハイ・ブラセルの塔内部での移動とさほど変わらない。

 境界を先に跨がせようが、後に跨がせようが魔法の接続が途切れることもなければ通過もできた。けれどもその魔法を解除して投げてみると、エワズが投げた石と同じく境界を通過してしまう。


 一方、虫の死骸を手で握ったままであれば、境界は問題なく通過できるようだ。

 そんな条件を見てカドが顎を揉んでいると、リリエは呆れがちに声をかけてくる。


「またそんなことを調べて。カド君の興味は尽きないわね」

「いえ、興味というよりは安全対策です。だって境界を魔物が跨いでくるって戦力差的に大事件なんですよね? 起こってはいけないこと。起こったら大変なこと。それって時と場合によってはお金になる匂いがします。経済活動から単なる自然現象が発生したってだけならいいんですけど、誰かが人為的に起こしたっていうなら何が起こるかわからないですし」


 地球温暖化や国際競技、戦争に絡んだ経済の動きなど、一般庶民から見ればどこに嘘が混ざっているかもわからないのに大量の金が動く事態というものはある。

 それを考えれば、このような事態を利用して誰かが金稼ぎや権力の向上を目指す――なんて線も考えられなくはない。


 話してみると、リリエは、またこの子は……と呆れた様子を見せる。


「僕でなきゃ見過ごす何かがあっては嫌です。こうして調べた中からイレギュラーが見つかれば順次警戒を上げていくので、今はこの好奇心に付き合ってください」


 カドはそう言ってリリエに笑顔を向ける。

 人の善性を信じ、自分もまた多くの人々を救う天使としてはこんな警戒は馴染みないものだろう。敵が多い自分やエワズだからこそ意味のある行動とも言える。


「さーて、それはともかくここが第二層ですか! これはまたなんと言いますか――」


 カドは周囲を見渡す。

 ここはガグの黄泉路と違って迷路状のダンジョンにはなっていない。

 境界の前にはスロープ状の道があったので、そこを駆け上がって様子を確かめた。


「乾いていますねぇ……?」


 そう、乾いている。

 どうやらこの場は高台の頂点にある窪地だったらしく、広い世界を見渡すことができた。


 確かに森があり、川も見えるのだが、どれも乾いた様子だ。空には大小の岩が浮いており、さらに上空――雲が本来あると思われる高さには、大陸かと思える途方もない大きさの浮遊物も見えた。

 空に島が浮き、どことも知れぬ所から落ちる滝によって育まれた森林が溢れるのが第二層。そんな話だったような気がしたカドは、首を傾げる。


 すると、エワズたちが歩いて追ってきた。


『冒険者の言う第二層は雨期の景色なのだ。大蝦蟇がこの辺りに出張る〈魔の月涙〉は通例、乾季の初めにやって来て、長くとも中期までには辺境に戻っていたはずだった』

「それが戻っていないから問題というわけですか」

「いいえ。観察していた者によると、一度は戻ったらしいわ。ただ、またこっちに出てきたという話ね」


 リリエは腕を組み、遠方を見つめる。彼女が見やるのは上空に浮かぶ島の端だ。何か意味でもあるのだろうか。


 そういえば先程から、ごごごごごと空気が唸る音が徐々に大きくなっている。

 まるで上空を飛行機が飛んでいるかのような音だ。何かの関係があることなのだろうか。


 そう思っていると、ユスティーナがまた擦り寄り、指を差してきた。


「そうです、そうですよ、カド様。あちらに“あれ”がいるようです」


 よくぞお分かりになりましたとでも褒めるような顔だ。

 それが意味するところを理解したカドは珍しく表情を引きつらせる。


 エワズをして巨大だとか、敵うとも知れないだとか言わせた相手だ。この音の原因にも、なり得るのかもしれない。

 そんなことを見て思っていたところ、雲を突っ切って空から何かが落ちてきた。


 それは空に浮かぶ島にがりがりと接触しながら地上に墜落し、爆発じみた土埃を立てる。数十秒もすると、その墜落音と衝撃が伝わった。

 音が届くのに一分近くかかることから二十キロ程度は離れているだろうか。

 だというのに、その姿ははっきりと認めることができる。


「ひええ。あれが生きているんですか。ええぇぇぇ……」


 正直に言えば、見たままが信じられない。

 あまりにも巨大で、小山のようにも見える。何とか生物として見ようとするなら、ごつごつとした皮膚や形状からヒキガエルの一種と判別することができるだろうか。

 これほどに距離があっては正確な大きさなんて判別できない。少なくとも言えるのは、人が雑草を踏む感覚で樹木を踏みしめる程度の大きさがある存在ということだけだ。


 同じくしてそれを見つめていたリリエは眉をしかめる。


「大きいでしょう? あれが大蝦蟇。しかもあの大きさで空を飛ぶから手に負えないし、回復力も異常なのよね。頭を叩き割ったくらいじゃ死ななかったわ。あれ」

「すでにやったことあるんですね」


 あってもおかしくないと思えるだけ、リリエの性質がカドにも掴めてきたと言えるだろう。称えるべきとも、驚くべきともつかなかったカドは複雑な表情で見つめた。


「この階層に初めてやって来た時の苦い思い出よ」


 元は境界域の住人だった天使が人の輪に加わろうと低層に降りてきた時の話だろうか。

 リリエが若い見た目なだけに一体いつの出来事なのかは想像もできない。

 こちらからは問い難い雰囲気があった。それは年齢に関わる話だからというだけではない。何より、彼女は顔をしかめているからだ。


「天使は多くの階層に跨って存在しているの。ただし、私たちは境界主を倒したわけじゃないから、生まれた階層にいるしかなかった。それをどうにかするには、下の階層の天使や、偶然やって来た冒険者にお願いして境界を通してもらうしかないのよ」

「それこそ、さっき僕が虫の死骸でやったことですね」


 ふむふむと自分で解釈しながら、カドは続くリリエの話に耳を傾ける。


「そうよ。そして、異文化を求めるためのキャラバンは大抵、境界で待ちぼうけとなる。私が初めてここに来た時は、運悪く〈魔の月涙〉の時だったわ」

「単に苦戦したって話だけじゃなさそうですね」


 カドが問いかけると、リリエは肯定する。


「私が応戦している間に〈剥片〉がここに殺到したのよ。まあ、当時は戦える天使が多かったから迎撃はできたのだけれど、油断したわ。非戦闘員の中で、クラスの低い天使が数人、翌日に衰弱したのよ。中には死人も出たわ。原因は多分――」

「小さな〈剥片〉ですか?」


 それ以外にないだろう。カドが問いかけると、リリエも同じ考えだったようで頷きを返してきた。


「恐らくそうね。前の経験からして、魔力量も十分にあるし、クラスも高い私たちの脅威ではないだろうけど、気を付けるべきことよ」


 リリエがそう忠告すると、カドのみならずユスティーナもちゃんと危険を把握したようである。

 そこまで話してからリリエは大蝦蟇に視線を戻した。


「当時と同じく、私とエワズで戦っても殺しきれるとは限らないわ。けれど、今見た通り大蝦蟇はあの島に体をこすりつけることで体表の〈剥片〉を落とすの。そして辺境に帰っていくのがお決まりのパターン。それなら、私とエワズで体表の〈剥片〉を剥ぎつつ追いやれば辺境に戻るかもしれないわ」

「そして、その戦いで四散する〈剥片〉からわたくしとカド様の二人がこの境界を守り抜き、討ち漏らしは残る冒険者が倒すというのが当日の作戦ですわ」

「ふむふむ。じゃあ、〈剥片〉の性質と対策はしっかり練らないとですね」


 カドは頷きを返す。

 そして、今度は問われる番だ。それでこの後はどうする? と視線で問われている。


「じゃあ、僕とサラちゃんの二人のみで地上を探索してきます。ドラゴンさんとリリエさん、それにユスティーナさんの三人は空からこの近辺や大蝦蟇の様子など、気になることを調べてください」

「そんな。カド様お一人で行かれるのですかっ!?」


 ユスティーナは折角の機会だから自分も行きたいと主張する気なのだろう。

 しかし、カドはそれを断る。彼女に背を預けられないという理由ではなく、もっと大きな理由があるのだ。


「やめておいた方が良いです。目に見えないサイズの〈剥片〉がどの程度いるかわかったものじゃないですし」

「それはカド様も同じなのでは?」

「だからこそ、僕はサラちゃんと行動を共にしているんですよ。手術現場の滅菌よろしく、近づく者は全て煮沸消毒して歩くので!」


 一歩二歩と仲間から離れたカドは、胸に収まっていたサラマンダーを空に掲げる。

 尾でビチビチと顔面を叩かれるという妙な間はあったものの、サラマンダーはお得意の〈昇熱〉を発動してくれた。

 目に見えないサイズの敵ならば、これで問題なく皆殺しにしてしまえるだろう。


 リリエやエワズはカドがわざわざこの癖のあるサラマンダーを選んだ意義を改めて把握したのか、舌を巻いていた。

 しかし、まだ終わらない。サラマンダーを胸にしまったカドはパンと手を叩く。


「そして、念のためにもう一つ対策です。〈毒霧〉」


 呪文は即座に発動し、霧状に広がった。


「ちょっと湿っちゃいますし、もしかしたら気分が悪くなることがあるかもしれませんが耐えられるようなら我慢しておいてください。一応、他の動物や僕では安全だったけど、〈剥片〉が寄生してくれば殺せる薬剤です」


 気分で言えば、ダニ予防のスポット製剤や経口薬――より正確に言えばノミ取りスプレーだ。

 エワズとリリエは少しばかり躊躇いながらも受け入れている。ユスティーナに至っては森林浴の如く深呼吸をしているので逆に不安になってしまった。

 さて、そろそろ止め時だろうか。そう思った時、リリエがばさりと天使の翼を背に現す。


「ごめんね、カド君。途中で悪いのだけれど、お客さんよ」


 そう言ってリリエが翼を振るうと、幾枚かの羽根が射出された。

 最早、弾丸以上の何かである。三方向に飛ぶと、それはこの場に近づいていたらしい〈剥片〉を穿った。


 〈毒霧〉が煙幕のように作用していたため、カドとしてはまだ察知していない敵であった。

 解除してみると、その姿をはっきりと確認できる。


 第一層で見たのと同じく巨大な個体が一体、残り二体は同程度の個体が何体も同化し合ってできた奇妙な〈剥片〉だった。

 それを目にしたエワズは目を細める。


『大方、飢餓状態になって共食いとも言えることをしたのであろう。カドよ、注意せよ。このような個体はガグには及ばぬが、魔力量が増えておるはずだ』

「はい、了解しました。存分に注意しつつ、実験材料にしますね」

『……うむ、大概にするのだぞ』


 注意とも応答とも取れない一言を聞き流しつつ、カドは一人で第二層の大地に進出するのだった。

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