新たなる危機

 一人高台から降りたカドはエワズが飛び立つのを見送りつつ、第二層の入り口をぶらついていた。


 この土地はほぼジャングルと言って差し支えない風景だが、現在は乾季らしく、冬の様相に似てどこか土色の色彩が多い。

 周囲には川や湖沼も見られるのだが、満潮時の水位よりかなり低い状態らしい。本来は川であろう場所が土手のように砂地を晒しているので非常に歩きやすかった。


 第一層とはまた異なる濃い緑と土の匂いを浴びるように腕を広げて歩きながら、頭の上にいる従者に問いかける。


「どうですか、サラちゃん。感度良好ですかー?」


 サラマンダーは口を開け、長い舌を大気に晒していた。

 蛇で言うところの舌をちろちろさせるのと同じで、これがサラマンダーの嗅ぎ方らしい。


「フシュー……。ぐぅ」

「元気ないですねえ」


 けれども目ぼしい餌の匂いがしないのか、やる気のない表情のまま顔を傾けて固まってしまった。

 それを見たカドは肩を竦める。


「うん、まあそうですよね。出てくるのはさっきと同じような〈剥片〉ばっかですし」


 森に〈剥片〉用の〈毒霧〉を放つと、タンスの裏に殺虫剤を撒いた時のゴキブリのように出てくる。それによって〈剥片〉はダニレベルのサイズから等身大、それらが同化し合った個体まで幅広く存在していることは確認できた。


 だが、何度繰り返しても野生動物が出てくることはない。

 これはもう共食いに走るしかないくらいに食い尽くされたからなのだろう。


 魔物相手では魔素に還ってしまうために死体も利用できない。

 カドはため息を吐く。


「第一層の辺境よりは経験値稼ぎ向きとはいえ、これ以上の収穫はなさそうですし戻りましょうか」


 くるりと踵を返し、境界のある高台に戻ろうとする。

 その時、カドは視界に僅かばかり混ざった異物に目を細めた。


 先程からちらほらと襲いかかってくる〈剥片〉は〈毒霧〉や〈影槍〉で撃退しており、周囲にはクラスⅡの魔素である藍色の光がよく棚引いていた。

 そこに翠色――クラスⅣが持つ魔素の色が極微量に混ざったのを目で捉えたのである。


『エワズ。ちょっといいですか?』


 カドは即座にエワズに呼びかける。


『そろそろ飽いてくれたか?』

『そう思っていたのですが、一つ確認です。その場にユスティーナさんはいますか?』

『……? 我らは大蝦蟇を至近距離で確認中だ。リリエハイムも、ユスティーナも我が背に掴まっている』

『なるほど。では、この第二層に僕らが把握していないクラスⅣが潜伏しているみたいです。高台に迅速に戻って合流しましょう。帰路に着きます』


 そうとだけ伝えると、カドは周囲を見回した。

 人間か、人外かは知れないが、近くにいるのかもしれない。


「サラちゃん、動かないでくださいね? 臓腑より生まれ出る元素よ。息吹となってこの地を満たせ。〈毒霧〉」


 致死性の毒――高濃度の神経毒を広範囲に散布しようと思うと、流石に無詠唱では効率が悪い。詠唱が完成すると、カドの魔素は指向性を持って周囲に打ち広がる。

 ざっと、半径三十メートルというところだろうか。


 その影響もあって森ではがさがさと悶える音が聞こえた。この音こそ、この魔法を放った理由である。


「亡者の腕よ、闇より出でて生者を縛れ。〈死者の手!〉」


 音が聞こえた方位に片っ端から〈死者の手〉を放ち、叩き潰していく。


 巨人のような魔法の手によって物体が次々と破壊されていくが、それはどれも〈剥片〉だ。しかもクラスⅡのごく平凡なものである。

 やがて音がしなくなったことで、カドは魔法を解き、臨戦態勢を止める。


「んー。見間違いということはないと思うんですが、単に魔法で接触しようとしてきただけで本体はここにいなかったとか、そういうことでしょうか」


 単に魔素が見えただけでは何の正体も掴めない。

 これ以上は収穫もないだろう。諦めたカドは倒した〈剥片〉の魔素を吸収しつつ、合流場所へと急ぐのだった。



 

 □



 

 第二層に進出したその日はそれ以上の事件は起こらなかった。


 意識共有によってエワズもカドの記憶を読み取ったものの、あまりにも情報が少なすぎて何も判断できずじまいであった。

 境界付近のガグの一掃と、〈剥片〉の情報と、魔法による駆虫薬の生成。これらを成し遂げたのが今回の成果と言える。


 あとはエルタンハスの頭目を務めているフリーデグントに一応の事後報告をして休息となるはずだったのだが――。


「何を言っているのかしら? こんな事態でしょう。より一層、天啓の更新は必要よ!?」

「あ、そんなのもありましたね。そういえば」

「行くわよ、カド君!!」


 一層の警戒を示したリリエはむんずとカドを掴むと、どこかへ飛び去ってしまった。

 まあ、任せておいても問題ないことではある。エワズはすでに飛び去ってしまった彼らはもう気にせず、ユスティーナに目を向けた。


『仕方のないことだ。どれ、娘よ。汝もエルタンハスに戻るであろう。背に乗るがいい』

「はい、ありがとうございます。守護竜様」


 ちらほらと見せる狂気はどこへやら。

 こうして落ち着いている時のユスティーナは、本当に聖女然としている。丁寧なお辞儀をすると背に乗ってきた。

 天使らしくないリリエと、聖女らしくないユスティーナ。どちらがよりそれらしいか勝負すれば僅差でユスティーナに軍配が上がりそうな気がしないでもない。


 そうしてエルタンハスに戻り、二人でフリーデグントやトリシアに状況を報告。その後、エワズはカドが模擬戦をしていた時のように街の外で一人眠っていたのだった。

 そんな時、意識に戦慄の感覚が伝わり眠りから目が覚めた。


 エルタンハスに戻り、寝始めてから二時間後というところだろうか。

 意図的に誰かと意識共有をおこなっている時以外でこんなことが起こる対象はカドのみである。つまり、彼の身に何かあった……?


 さらに意識を探ってみれば、カドはすでにこの街に戻り、与えられていた寝床に戻っているようである。

 これは一体どういうことかと訝しんでいたところ、はっきりとした心の声が響いた。


『助けてください――っ!』


 その言葉で、余計な思考は吹き飛んだ。

 翼を開いたエワズは盛大に咆哮すると共に飛び立つ。

 街を囲う塀を踏み切った勢いで半ば跳躍するようにして、カドが休むテントの前に飛び込んだ。


『無事か、カドよっ!?』


 着地の衝撃と追ってきた風によってテントが吹き飛び、その姿が露わとなる。

 敷布団の上で仰向けに寝ているカドのマウントを誰かが取っており、カドはこちらに顔を向け、手を伸ばしてきていた。


 まさに助けを求める構図だが、これは……。


「あああ、いいところに来ましたっ。ドラゴンさん、これって多分、貞操の危機ってやつでは!?」


 そう叫ぶカドに跨っているのは、ユスティーナだった。

 夜這いなのか何なのかは知らないが、彼女は下着のみの姿である。


 これは何というか、本当の危機には程遠い事態だ。

 先程の咆哮と飛び込みで一斉に目を覚ました自警団や冒険者は夜襲か!? と、最大限の警戒を伴って集まってきている。


 目の前の二人と、周囲の状況を改めて見渡したエワズは深いため息を吐いた。


『すまぬ。すまぬな、ヒト共よ。我の勘違いであった。許してもらいたい。そしてカドよ、その程度は勝手にせよ』

「あ。言われてみれば別に困ることでもないですもんね」


 雰囲気に流されていたが、改めて考えれば性交の一つや二つ、別に減るもんでもない。そんな納得の気持ちが意識を介して伝わってくると、エワズは深いため息を吐いた。

 対してユスティーナはにこにことしたままである。


「ええ。カド様さえ望むなら、あなたの体の差異や持久力や、生殖能力についても教えていただきたいかと思ったのですが、まずはこれを。見てもらいたいものがあるのですよ」


 衣服さえほぼ身に着けていない彼女は、そんなことを言って手の平に乗せた何かをカドに見せるのだった。

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