とりあえず正座案件です

 ガグの黄泉路を前にして、エワズは高度を落としてきた。

 そのおかげで境界近辺がどのような地形なのかよく見えてくる。


 この黄泉路は幅十メートル前後の峡谷ともいうべき地形だ。

 本物の峡谷との違いは、これが迷路状に入り組んでいることと、左右の岩壁が地上のラインを越えて空まで伸びていることだろう。切り立った岩壁は大地から生える牙のように空に向かって伸びており、黄泉路は日中であろうと薄暗くなっている。


 しかし日がかなり落ちてきた今でも真っ暗闇にはならないらしい。

 何があるのかはわからないが、黄泉路は青い光に淡く照らされているのが見て取れる。


 暗さや慣れない環境は戦いにも大きく影響するところだ。エワズはそれでなくとも、過保護に問いかけてくる。


『カドよ。着地をせぬが、本当にいいのだな?』

「はい。高いところから飛び降りたり、エワズから振り落とされたりする状況にも対応できるように練習しておきたいと思います」

『ならば何も言うまい』


 ちらと視線を投げてきていたエワズは、二度も三度も問い返す真似はしない。納得を示して前を向いた。

 一方、もう一人の保護者とも言えるリリエが警戒しているのは視認した瞬間からずっとユスティーナのみだ。


 けれど、いざカドが飛び降りるとなっては他の留意事項も思い出したのだろう。エワズを追って眼下を走るユスティーナに刺々しい視線を送っていた彼女は、改めて見つめてくる。


「着地もそうだけど、ランクアップしたガグの相手も中々に大変よ。一、二頭はともかく、群れられたら君でも大変だと思うわ。私たちが援護に回らなくて大丈夫?」


 相手は四メートル前後にもなる巨体とそれに相応しい魔力量を持つ上、〈剥片〉の寄生によってランクアップした存在だ。

 まともに考えるなら、クラスⅡの熟練者やクラスⅢの駆け出しが数人がかりで相手にするものである。まだまだ発展途上のカドでは心配が勝るらしい。


 そんな彼女に対してカドは笑顔を返す。


「大丈夫ですよ。そもそも、大蝦蟇と戦う時だと二人はいないじゃないですか。立ち回りを練習したいですし、試したいことがいろいろとあるんです」


 と言って聞かせるものの、リリエの表情は優れない。

 どのみち、彼女は目の届く範囲にいるのなら万が一に備えて見守る気だろう。ならば見せて納得してもらう以外にはないのだ。

 なんてことはない。ただ殺すだけであるならば手段は無数に思いつく。それにこの峡谷は地形的にもカドにとっては相性がいいのだから。


 カドは魔本に手をかけた。

 死体や、摘出した病変部位を順に並べたページを開くと、吸血昆虫を指差す。それによって現れた死骸は合計で十。

 これはご飯かな? ご飯だよね? と、サラマンダーは何も考えずに胸元からよじり出ようとするが、それは手で押さえ込んだ。


 そして前準備のためにも、改めて虫に手をかざして魔法をかける。


「〈虫体使役〉っと」


 唱えた呪文が効果を発すると、虫は息を吹き返したかのように羽を広げて飛び始める。

 カドは風に流されないうちにそれを手に隠した。


「私の知らない魔法ね。さっきの模擬戦時にも飛ばしていたかしら。これは自分で編み出したの?」

「はい。僕らは一ヶ月間、辺境で地道に基礎訓練をして過ごしていましたし。天使どころか、人とか人里にも接触する機会がほぼなかったので」

「またそんな辺鄙なところに……」


 辺境に向かうほど魔物が増え、自然が荒れ、環境も厳しくなるというのが通説だ。カドのような駆け出しが行くところではないので、エワズに向ける目が厳しくなっている。

 しかし、ランク違いの魔物が出かねないハイ・ブラセルの塔で過ごすよりはマシとカド自身も納得しているので彼女を宥めた。


「そこは議論のしどころかも知れませんけど、こうして無事ですし成果もありましたよ。天啓を更新していない僕が覚えられたのは、〈死者の手〉を硬質化させたバージョンの〈影槍〉と、この魔法。新鮮な虫の死体を魔素補完で修復して、簡易的な命令しか受け付けない使い魔を憑依させる複合術式です。数十匹単位まで利用可能ですし、一度使役してしまえば自動運転なので他の魔法の処理とも競合しない点で便利です」

「魔法のおかげで戦法が増えているのはいいことね。ただし、これが終わった後に天啓を更新しに行きましょう。大蝦蟇討伐で不測の事態が起こっても、対応できるようにね」

「はい、それは是非にお願いします。では、行ってきますね」


 一つ二つの魔法を試行錯誤で組み立てるより、先人の知恵を脳に直接ダウンロードさせるような天啓の方がずっと有用なのは確かだ。

 カドはありがたく頷くと共に手を振り、飛び降りた。


 自動車と同等の速度で片側一車線ある道路に飛び降りたというのが最も近いイメージだろうか。無論、この速度のまま着地をすれば大事故必至である。カドはそれを防ぐべく、魔法を詠唱した。


「〈死者の手〉、〈影槍〉!」


 基本の魔法なだけあって、この二種は本当に燃費がいい上に便利だ。

 カド自身の体から生やすように出現させた〈死者の手〉に岩壁を掴ませ、壁面をガリガリと削りながら減速していった。

 そして、進行方向の岩壁から突出させた〈影槍〉を足場として着地しようとする。


 だが、まだ減速しきれなかったために岩壁ごと捲れ上がってしまった。


「おっと!? それではもういっちょ!」


 完全に足場が崩壊する前に、さらにもう一発の〈影槍〉を使って前方の岩壁から突出させると、半ば落下するようにそちらへ飛び移った。

 不安定な足場ではジャンプしきれず、新たな足場には届かないのだが、そこは問題ない。体から生えている〈死者の手〉がニュッと伸びると、〈影槍〉を掴んでくれる。


 あとは逆上がりの要領で乗り直すだけだ。

 伸縮自在な上に、行動の補助にも使える。ホムンクルスが連結することによってできたエイルの尻尾も、最早このようなものなのだろう。


「さあて、飛んでけ。虫さんたち」


 眼下までは十五メートルほどの高さがある。カドはそこから先程の虫を放した。

 吸血昆虫と言っても、これは蚊でもダニでもない。蚊ではあまりにも虚弱すぎて魔物の皮膚を貫通できないし、ダニでは移動能力がなさすぎる。


 放すのはサシバエ、アブ、サシガメなどだ。

 これらは動物の体液をすすったり、口器を刺して滲み出た血を吸ったりする、中~大型の吸血昆虫である。

 例えば皮膚が硬いと有名なゾウや、通常の動物よりは明らかに皮膚が厚い牛でもこれらに刺されて血を吸われている。


 何故なら彼らでさえ全身が硬いわけではないし、多少の傷や目から出る体液には群がられてしまうのだ。いくら強化された魔物とはいえ、体のどこにも隙がないなんてことはありえないのである。


 ちなみに、採集に関しても野生動物を追ったり、アブトラップと呼ばれる類の仕掛けを見通しのいい平原に置いたりすれば勝手に集めることができるので、素材集めに関しても本当に手間がかからない代物である。


「さて。体液さえ入手すればイーリアスさんにやったようにいくらでも武器を投げつけてやれますし、体液をすすれるということはそこの装甲は薄いという証明です。早く帰るためにも、そろそろ捕獲して実験しちゃいましょうか」


 とりあえず見渡せる限りにガグはいないが、先程放った虫がこのカーブの先で何かに群がっていることは感じられる。

 減速した際と同じ要領で着地したカドはまず目を走らせ、耳も澄ませた。


 こういう索敵時は魔素の色を見分けられる目が本当に便利だ。

 地面の青い発光は大地に回収された魔素が浮かび上がってくる現象なのか視界の妨げになるが、それでもせいぜい膝下レベルだ。


 岩壁には虫や小動物が見える。

 それらも魔素を持っていることから、弱い魔物や幻想種なのかも知れないが、襲ってくる気配はなかった。やはりこの地で敵らしい敵と言えば、地名の通りガグくらいらしい。


 耳が拾うのは、ズシンズシンと巨人が歩くような足音である。

 この峡谷のカーブを過ぎればガグがいるのはまず間違いない。

 壁際まで忍び足で近づいたカドは様子をちらと覗き見る。


 体長四メートルで、二対の腕を持つ化け物――ガグがいた。その背にはあのサイズ感に釣り合うリュックサックのように甲虫が寄生している。

 つまり、〈剥片〉が寄生することによってクラスⅡとなったガグだ。


 あれは現在、群がる虫に気を取られている。

 カドはその隙を見切ると、仕掛けた。


「〈影槍〉、四連」


 地面に触れて自分の魔素を浸透させ、それが硬質化して飛び出すイメージだ。


「グギャアァッ!?」


 直後、こちらに背を向けていたガグの両足首を二本ずつの影槍が刺し貫く。

 突然の出来事に敵襲とも理解していない様子だ。うつ伏せに倒れ込んだ後、足に手を伸ばそうとするそこへ追撃を図る。


「サラちゃん、行きますよ。〈昇熱式・死者の手〉!」


 胸元に収まったままの相棒に片手で合図し、もう片手は地面に触れる。

 先程と同じイメージでガグのもとに発生させた死者の手で、体を支えるためにつっかえ棒にしている腕を掴んだ。


 この魔法は、付与術師の技術で〈死者の手〉にサラマンダーの特性を付与させたものである。

 効果が発動するや、ガグは一層苦しみだした。

 傍目にはさしたる変化が見られないが、腕を電子レンジにかけられたようなものである。沸騰した体液によって皮膚の各所が弾け、湯気が上がっていた。


「よし。四肢はほとんど潰したので、あとは脊髄でも潰しつつガグの弱点の把握と〈剥片〉についての情報収集を――」


 もう王手はかけているし、反撃の恐れもない。

 カドがそう思って息を吐いた瞬間、ガグに向かって何かが降ってきた。

 ガグより一回り巨大で、筋肉質な毛むくじゃらである。うなじに何か乗せている変なやつだ。


 それは狙い図ったようにわざわざガグの足の上に着地。さらには背中についた〈剥片〉やら腕やらを力任せにぶちぶちと引き千切っていく。


「わーお。スプラッタ……」


 凶悪なはずの化け物から悲痛な叫びが上げられる中、それは掴めるパーツをあらかた千切り終えると、その手の鉤爪を利用して背の肉をむしり、ついには心臓と思われる臓器を引き千切る。

 この間、僅か十数秒だ。

 力任せな解体なので、摘出された臓器はズタズタである。


 うなじから飛び降り、素敵な笑顔を向けてくるユスティーナは、隣に侍らせている人狼と思しき何かが持つ臓器を手で示した。


「カド様、カド様。ガグを仕留める際はこの臓器や脊髄を狙えば十秒以内で。頭部を消し飛ばせば即死させられます! ……と、あらら。消えてしまいました」

「あ、はい。それはわかったので一ついいですか?」

「はい、なんなりと!」


 血飛沫まみれでなのに、ユスティーナは実にいい笑顔だ。十中八九善意で言っているし、事実なのだろう。

 実際、彼女についた血飛沫もガグの肉体も言葉の途中で魔素に還った。


 千切り捨てられた〈剥片〉はまだ動き出そうとしていたが、ずしずしと歩み寄った人狼が握り潰して消す。

 そこまで見て取ったカドは、変わらずにニコニコとして待機しているユスティーナに言った。


「とりあえず正座をしましょう。そこのわんちゃんも含めて」

「はいっ!」


 ユスティーナは本当に屈託のない笑みと返事を返してくるのだった。

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