親戚と言い張ります Ⅲ
するとエワズは悩ましそうに唸った。
しばし考え、そして見定めるように視線を向けてくる。トリシアはそれに対し、少しも揺らがない意思の強さを見せようとした。
そんな意気込みが強すぎ、足元が見えていなかったのだろう。しゅるりと蛇でも這うような音が足元から聞こえたかと思うと、トリシアは後ろから目を覆われた。
人の手ではない。固い鱗のついた尾が、頭部に巻き付いたのだ。
『意気込みや良し。だが、汝は頭が固いな』
『そっ、それはどういう……。言葉通りの意味ですか!?』
こういう失敗は命に関わるとでも言いたいのだろうか。頭に巻きつく尾の締め付けはなかなかにきつく、足が地面を離れてしまいそうである。
『単純な意味の話ぞ。頭が固ければ、視野も狭まる。確かに、かつてのリーシャは多くを望み、多くを愛した。非常に欲張りな娘ではあったが……』
エワズは先祖を比較に説教でもしようとしたのだろうか。
だが引き合いに出そうと具体例を思い返そうとする彼は、言葉を続けられない。
そういえばお手本になるべき節がないと思い至った様子なのがトリシアにも感じ取れてしまい、少々困惑してしまった。
しばらく間を挟んだ後、エワズは言い直す。
『汝は望むものが大きすぎて不安にもなる。加えて生真面目だ。捨てるべきもの、望まなくて良いものを考えていない。先祖の気質と似通った点が姿を見せている』
『……そ、そうですか』
言い直したが故の説得力のなさが甚だしい。
そういえば、リーシャにはあれを困らされた。これも困らされた。そんな愚痴にも等しい思いが、説明が深まるほどに感じられてしまう。
今でもなお思い出して尽きないほど、数多の思い出があるのだろう。
その根底にあるのが愛情なのもよく伝わった。それ故に愛しく、大切だった。だからこそ傷ついたり――果てに死んで欲しくないという感情が、言葉とは違う形で伝わってくる。
つまりトリシアは、そんな彼の不安を払拭するだけの何かを持っていない。
だから望むがままに応じていいものかとエワズに悩ませてしまっているらしい。
けれども、そんな彼の感情は、ある存在を思い出して別の方向に動き始めた。
『しかし、良い取り合わせやもしれぬな。汝は生真面目で、多くを望み過ぎる。カドは物事の何か一点だけに集中し、手段を選ばなさすぎる。そして、共に我にとっては忘れ形見と言える。目の届かぬ場に置いたところで、汝らは止まることを知らぬだろう。ならばいっそ、共にあってもらった方が良き方向に働こうものだ』
エワズがそう言うと、頭を戒めていた尾が解けた。
『例えば、汝は此度の〈魔の月涙〉――大蝦蟇や〈剥片〉による境界の異変についてどうすれば終結させられると考える?』
『それはあなたとリリエ様でどうにか大蝦蟇を撃退しつつ、それに伴って振り落とされる〈剥片〉の第一層への侵入は、私たちが防ぐというお話でしたよね……?』
『恐らく、我やリリエハイムをしても討伐は適わぬ。出来て撃退であろう。ではそうなった場合、次はどうする?』
『それは、えっと……』
『カドは即座にその手段を考えておったぞ』
つまり、彼の方が明らかに優秀である。そう言われた気がして、トリシアはぎくりと身を強張らせた。
もしそれでついてくる必要がないとでも言われては、ぐうの音もでなくなってしまう。
しかし、エワズはそんなつもりで言ったのではないらしい。
『案ずるな。奴がそういう面に秀でているというだけの話である。そもそも、大蝦蟇はどんな存在か。何故、〈魔の月涙〉なんてものを起こすのか。〈剥片〉の正体や、生殖能力の有無はなどと調べたがっておったが、そんなものは我にもわからぬ。一方、あれが何が不得意なのかは汝にはすでに見えておろう? 汝はリーシャと同じく、ヒトに好かれる才があるようだ。それで奴を助け、補えば良い』
彼はまた孫でも見るような目でこちらを見つめてくる。
『トリシア・オーヴェラントよ。近くへ寄れ』
『は、はい』
トリシアはエワズの呼びかけに従い、一歩、二歩と近づいていく。
それに合わせて彼の長い首が向かい合うところまで降ろされ、手を伸ばせば届く距離となった。
間近で見ると実感する。相手はクラスⅤの魔素を帯びる、深層の怪物だ。その迫力は、敵意がなくとも肌で感じられる。
だがそれにしては貴金属の欠片を繋ぎ合わせて作ったのではないかと思えるほどに美しい。怪物などという呼び名ではなく、幻想種という呼称が付けられているのも頷けた。
この境界域という超常のものに魅せられているトリシアは、気付けばその顔に手を伸ばし、手で触れていた。
幻想の存在は、口を開く。
『……血に染まった手を、我が顔に伸ばすことはなきようにな。それだけは忘れるでない』
『――っ』
そんな最期の瞬間に、かつて立ち会った。
見てもないその光景がフラッシュバックされたトリシアは息を飲み、頷いた。
『もちろんです。志半ばで倒れたりなんてしません。安心してください』
リーシャが命を落とし、遺物となって第一層に運ばれて、ハイ・ブラセルの塔という迷宮になった。
それを部分的に追体験したトリシアは、決してそうはならないと思いを込めて口にする。
自分だけではない。あのカドもいるのだ。自分は正統派の力をつけ、彼の言い知れない頼もしさも傍にあれば障害物など物ともしない。
エワズも納得したのだろう。彼は頷いた。
――ちょうどその時。ドンッ! と爆発にも等しい音が街の内部で鳴り響き、土煙が上がった。
「……な、何事ですかっ!?」
驚いたトリシアはそれを振り返る。
火の粉は混じらないことから、本物の爆発ではないようだが一体何が起こったのだろうか。周囲には奇襲を仕掛けてくる魔物なんていないし、ましてや冒険者同士の争いもギルドや管理局主導の作戦なのだから、まずありえないはずである。
耳を澄ませてみても、続く攻撃や、悲鳴、応戦の音はない。何やら女性の口論のようなものは聞こえる気はするがそれだけだった。
とりあえず確認だけでもしてこなければとトリシアが街の出入り口に顔を向けたところ、そちらからスコットが走ってやって来た。
「ああ、よかった。こちらにいましたか!」
「あのっ、中では何が起こったのですか!?」
スコットが浮かべている表情は切迫したものではない。
けれども立ち上る土煙を見ると、何とも安心していい事態ではないように感じられてしまう。
問いかけると、彼は眉を寄せた。
「実はカド少年が非常にいい一撃をイーリアスさんからもらって倒れまして。これは看病が必要と、どうせなら宿泊が手配された部屋に運ぶことになったんです」
「彼は随分とやりにくそうでしたもんね。そ、そうですか……」
志半ばで倒れたりはしないと言った直後にこれとは、先が思いやられることだ。自分で口にしたトリシアとしては、エワズと合わせる顔がない。
気まずくしているところにスコットの説明は続いていく。
「それでユスティーナ様が是非にわたくしがと、服を一枚二枚と脱ぎながらに手を上げまして」
「……」
ついにトリシアは相槌を打つことすら忘れてしまった。
それに、ユスティーナもどうなのだろう。
治癒師はやや動きにくい、形式ばった服を着る傾向がある。しゃがみこんだり、人を負ぶったりすれば、服が引っかかって動きにくそうなのも、まあわかる。だから看病をするために脱いだ線も考えられた。
だが、二枚ともなると残るは下着くらいだ。いかがわしさを感じてしまう。
コメントのし辛さ故に、トリシアは一層沈黙を深めてしまった。
エワズも思いは同様らしい。非常に強く呆れて言葉をなくしている。
説明がまだ残っているらしいスコットは、自分でも説明しにくそうにしながら続きを口にした。
「それを見たリリエ様は、任せられるかと激昂されて打ち合いに……」
『人のことを言えた義理ではなかろうが、堕天使め』
エワズは顔に皺を寄せ、ため息を吐く。
スコットは一応リリエに敬意を払っているのかそれには同意せずに続けた。
「埒が明きそうにないので、親戚や弟みたいなものと仰っていたトリシアさんにお願いするべきだと説明をしておきました。それで大丈夫ですか?」
「は、はい、わかりました。すぐにお世話をしに行きます……」
弟みたいなもの、と言ったのは正しかった。こんな兄貴分はいてもらっても困るばかりだ。
非常に悩ましそうにしながらも、トリシアはスコットに頷きを返したのだった。
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