親戚と言い張ります Ⅱ
街の外に出たトリシアが見回すと、目的の相手はすぐに見つけることができた。
地面に横たわり、長い首を持ち上げて空を見上げていた竜はこちらの姿に気づいて目を向けてくる。
『ふむ。我に何用か?』
まるで初対面のように他人行儀な問いかけだ。
人と明らかに違う上に年季も入っていると思われる竜の様子である。トリシアにはそれが振りなのか、そうでないのかもわからなかった。
用はある。それだけは確かなので、彼に臆せず話しかける。
「話がしたいなと思ったんです。あなたと会うのはこれで三度目になりますよね?」
一度目は、ハルアジスの屋敷を竜が襲撃した際。
二度目は、街に戻ってきたカドがハルアジスとイーリアスを撃退し、街から去ろうとした時。この時は竜が異質な馬の姿を取っていたので、論点となるタイミングである。
そして、今日で三度目だ。
竜は一考した様子でふむと唸ってみせると、問い返してくる。
『二度ではないか?』
「いいえ、三度です。この血筋ですから、あなたの姿を見て他人より多くのものを察しました」
『左様か。であれば――しらばっくれるのは礼を失するだろう』
言葉に少し間が入ってから、トリシアに届く“声”に変化が生じた。
どうにも言い表しにくい感覚なのだが、心に響く竜の声に関する情報量が増したとでも言うほかない。喜びや照れ、そして気後れといった感情を竜は抱いている。それが何故か不思議と感じ取れてしまった。
これは一体……? そんな疑問をトリシアが抱いた時、再び竜の声が心に響いた。
『我には人間ほど多彩な声を発する機能がない故、意識の共有によって意思疎通をおこなう。慣れぬ間は多少気持ち悪かろうが、堪えて欲しい。互いに周囲の耳には入れぬ方が良い話もせねばならぬだろう?』
そう言う竜の尾は先端が少し持ち上がり、左右に揺れていた。
伝わる感情が確かな意思だというなら、これは体躯に似合わず犬に似た反応である。トリシアはそれが愛らしく思え、小さく笑った。
『はい。あなたとカドさんの正体に関する話です。口外にはしたくないですね』
トリシアは竜に対して頷きを返す。
立ち聞きを避けるために人気がないこちらに来たつもりだったが、必要のないことだったのかもしれない。
『ひと月前、カドさんが鱗を持つ馬に乗って街から去るのを見て気づきました。徐々に尋常ならざる姿に変異していったというご先祖様の愛馬。私の家に残る古い絵にそっくりでした。変貌する馬として、エワズと呼ばれていた。それがあなたですね』
『その通りだ』
頷く彼の今は白と金を基調とした竜の体躯だ。体長は馬の五、六倍はあり、似ても似つかない。
そしてこの竜は一度争いを決意すれば、今の身丈の三倍にもなる躯体に変じることもある。
アツィルト境界域の第一層から第五層を行き来し、気紛れに人を助けてくれる無害な竜――守護竜や黄竜などと呼ばれる存在だ。
それがかつてこの境界域で名を馳せた英雄の相棒であったというのなら、人に敵意を持たない理由も頷ける。
そんな彼の正体に気づいているというのが話題の一つ目。
もう一つはカドの正体についてである。
『それから、黄竜事変の時にカドさんから聞きました。彼はこの世界に呼び寄せられた存在で、ハイ・ブラセルの塔にあるご先祖様の遺物やあなたの力で今の姿になったと。私とはまた違った形で、あなたの大切な人の忘れ形見になっているんですね』
『口で言う程に愛らしいものではないのが悔やまれる』
『それについては少しわかります』
トリシアは苦笑する。
女性であった先祖リーシャの要素が混ざったからか、カドはどこか中性的な見かけだ。それ故に童顔にも見えてくる。実年齢はわからないが、傍目は大人とも子供ともつかない少年だ。
けれどそんな容姿に似つかわしくないところもある。
それこそ一口では言い表せない要素で、時に治癒師よりも慈悲深く、時に死霊術師よりも悍ましい。そう言うべき人だった。
そんな彼は、魂を杖に宿らされていた際に助けてくれたこの竜に恩を返そうとしていた。今も共に行動しているということは、竜の目的に協力しているのだろう。
エワズは深層に挑む冒険者を助ける一方で、この境界域を表層で封じる結界から外へ出してもらうことを望んでいるらしい。
それだけ聞けば、竜が何を望んで動いているのかは見えてくる。
『エワズさん。あなたはご先祖様の遺物を手に出来る人と共に、故郷に帰ることを望んでいるんですよね?』
『そのようなものだ。カドは恩義などを感じてそれに力添えをしようとする。望み難きことではあるが……』
口にはしないが、孫に対する心情のように喜び半分、不安半分という感情が伝わってくる。
『汝はこの境界域の現状を正しく見定めようというのであったな。それはつまり、境界域に対するヒトの姿勢を根本から正そうということか?』
それ以上を言葉にする必要はないと考えたのだろう。エワズはカドのことはそこまでとし、こちらに対して問いかけてくる。
『そうです。私は地上で学徒として学び、そして境界域の壮大さと、環境を顧みない人のおこないを知りました。美しく、資源という恩恵ももたらす境界域ですが、付き合い方を間違えれば魔物を吐くだけの毒壺と化します。それはあまりにも悲しいことだと思いました』
『我も実例は知らぬ。だが、ヒトが境界域の調和を乱し、境界を破壊していけばいずれはそうなるであろうな。現在の第一層と第二層の問題より重い、末期の話であるが』
先祖と共にアツィルト境界域に入ってそのままの彼は外の状況まで知らないようだ。
世界にはここのような境界域がいくつも存在する。
そしてどこでもギルドや管理局が仕切って冒険と採掘が繰り返されているが、一部ではそのサイクルが完全に崩壊した。
魔素の質ごとに区切っていたフィルターである境界が連鎖的に崩壊し、低層の比較にもならない強力な魔物が境界域全域を徘徊するようになり、地表にまで現れるようになったのである。
境界域の深層に潜り、境界主を倒さなければランクアップができない人間にとってそんな物が溢れる世界は地獄だ。
今回の〈薄片〉に関わる騒動はたかがクラスⅡにまつわること。これがクラスⅢやⅣの魔物で起きれば、十倍以上の被害をもたらしてもおかしくない。
実例では対抗を諦め、その区域を封印することでしか対処できなかったと聞く。
地表の学術機関ではそんな危機的状況を知らせようとしているが、経済的に力を持っている境界域の関係者には『学者の戯言』とされて具体的な対応策さえ講じられていないという酷い有様だった。
トリシアがそれをエワズに説明すると、彼はさもありなんと目を伏せる。
『人は愚かですね。それに個人は無力です。こんな状況を知ったのに何もできない自分を悔しく思いました。境界域の英雄とまで言われる先祖を持っているというのに、自分はどうしてこうなんだろう。彼女とは何が違うんだろう。そう思って家の記録を調べ直して、彼女の残した記録を目にするうちに、教育機関で学んだ以上に広く美しい境界域の世界を知りました』
トリシアは当時覚えた興奮をそのまま言葉にする。
それはお伽噺の有り様だった。
空に島が浮き、どことも知れぬ空の島から落ちる滝によって育まれた森林が溢れる第二層。
全域が水に支配され、謎の廃墟と海の造形が織り交ざった世界の第三層。
空のない地中の世界だが、地上では想像もつかない大きさの鉱物が様々な光を発して照らす第四層。
そして、記録もないさらなる秘境の第五層以降――。
『彼女はそれらを全て愛したと聞きます。私も、彼女が残した記録から伝え聞いただけで惚れてしまいました。冒険者としては遅咲きとなりますが、私は彼女が愛した世界を守りたいと思ったんです。だからここにやってきました』
『それ故か。確かに境界域は壮大だ。記録などでは及ばぬ世界もある』
『そうですか……! ならばなおのこと、私はこの世界を守りたいです! 私が強くなれば、あなたの望みにも協力できます。だから、今度は私も共に歩ませてくれませんか?』
『ふむ……』
決意と共に歩み出し、彼を見つめる。
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