謎の尻尾 胃(?)捻転
「尾の構造はよくわかりませんが、状態は何となくわかりました」
カドはすぐに魔本から道具を取り出す。それはサラマンダーの粘液から作成した道具だ。
この粘液は温度が下がってくると固くなる性質を持つ。それを筒状に整形し、ピストンなどで水を吹き出しつつ熱するだけで内部の空洞を維持しつつ引き延ばせるのだ。
悠長な説明は置いておき、すぐに処置をしようとしているところからエワズもこの症状の重さを察した様子だ。
エワズは邪魔をしないよう、竜の長い首を伸ばして覗き込んでくる。
『汝は透視などできまい。だというのにその音だけで状態が読めるのか?』
「動物種が違っても、こういう症状はあるんですよ。例えば反芻類の第四胃変位からの捻転に、胸郭が深い犬が起こす胃捻転。あとは消化器系の異常発酵や、消化管の捻転に関する症状ですね。どれも苦しみ喘ぐ上、お腹からピング音が聞こえます。ほら、腹を下したときを思い浮かべてください。あの苦しみとぽんぽんという音がもっと凄い状態です」
『うむ。つまりこの尾の内臓が捻れて空気が溜まり続けていると? まるで死体であるな』
エワズは呟く。
彼が思い浮かべるのは腹に腐敗ガスが溜まったものだろう。
消化産物に混じった細菌が内蔵をグズグズに溶かし、腹腔内に溜まっていずれ弾けるのだ。その様をカドも想像する。
「近いですね。消化中も空気が溜まるので、生物はゲップやおなら、または内臓自体が吸収します。けれど捻れて入口も出口も通過不能になるとこうしてパンパンになってしまうわけです」
『ふむ……』
喋りつつ、カドは尾を何度も叩いて音を聞き分けていた。
ぺち。ぱん。ぼん。そんな音の中に、ぱぃんと音の響きがより深い部位を探っていく。
そしてそのピング音が最も強いと思われる位置に針を突き刺した。すると、ぷしゅうと空気が抜ける。
「この臭いからすると胃のガスですね。胃捻転と同じく胃がくるりと捻れているんだと思います。この状況を見るに、尾で何かを捕食して満腹なところで強い魔物と交戦。その激しい運動時に胃が捻れたってところでしょうか」
犬でも同じだ。
グレートデンなど胸が大きな犬が走り回る前後に食事や水のがぶ飲みをしていると、胃捻転を起こすことがある。
「この時に怖いのは破裂することですね。例えば動物だと、喉に詰まったパンを水で流すみたいに水を飲みたがったりしますが、胃の体積を増やす行為は絶対に駄目です。空気を抜いて、中身を抜いて、胃の捻れを直して、おまけに繰り返し発生する恐れがあるなら胃を腹壁に固定する処置を検討。そういう事が必要になります」
腹を下した時、ガスが溜まった腹から空気が抜けると楽になるのと同じ。少しでも空気を抜くことは応急処置となる。
だが、それで根本が解決するわけではない。あくまでその場しのぎの一手だ。
これを終えたカドは次なる処置のために鍋を取り出したり、そこに水筒の水を出したりしていく。
「胃捻転は大きな血管と一緒に捻じれることや、胃の膨張による血管の圧迫での血流量低下によってショック死することもあります。意識がないってことは、血管が胃の捻れに巻き込まれて血液の循環量に影響が出ているかも知れないですね」
カドはそこまで分析した後に腕を組んで唸る。
「うーん。それにしてもこれ、アルノルド君のとは違って付き方が下手ですね。あっちは混ざり合った感じだったのに、これは寄生したとか繋ぎ合わせたとか、そんな中途半端さです」
傍目から見れば、この尾は彼女に根を張って寄生しているかのようだ。
忌み子ではなく、元から人間に取り付き殺す種――そう認識したほうが正しいとさえ思える。だが、尾の一つが口らしきものを備えているだけで排泄器官も見当たらない。
宿主と共生するのなら、宿主の栄養を吸い尽くして殺さないよう、もっと生物らしい構造でないとおかしいだろう。
寄生するタイプと考えても、吸い尽くして殺すことが前提の構造でないことが妙だ。
また、彼女が尾を切除しようと試みた様子もない。益々もって変な存在である。
悩んでいると、同じく訝んでいたらしいエワズが口を開いた。
『それについては同感であるな。忌み子は宿主に溶け込み、全身を補強するものだ。このように原型を残すものは極稀よ。それより気づいておらぬか? 尾の魔素は娘とほぼ同質だぞ?』
指摘されたカドは注目する。
この一ヶ月、多くの生物を見てきた。それからすると、血縁関係がない限り魔素の性質は異なるのが常識だった。
これは容姿がそれぞれ異なるのと似たことである。
「この尾がこの人と血縁ですか? ますます謎ですね。うーむ。とりあえずそれは目覚めてから聞くとしましょう。今は処置が先です」
確かに気になるが、そんな疑問の解消は後でどうにかなる。
今は命に関わる処置をすることだけが重要だ。故に処置は手早く進める。
「さてさて、サラちゃん、その鍋の水を人肌に温めてください。シーちゃんは内視鏡――じゃなくて、触手を準備。エワズは周囲を警戒しておいてください。ここの戦闘痕、結構真新しいですから、何かがいてもおかしくありません」
『承知した』
カドは頭に乗っかっていたサラマンダーを地面に下ろし、自分の影から黒山羊を呼ぶ。
エワズは周囲を警戒しつつ、こちらをちらと見た。
『そういえば汝の選抜は戦闘ではなく、このような時分のためであったな』
「そうです。消毒全般と足りない器具の製作はサラちゃん、検査全般はシーちゃんが担えるかと思います。そして、助手の手が足りなくて仕方ないときは僕が詠唱する〈死者の手〉の出番ですね」
まだまだ医療チームには程遠い。しかしながら最低限の体裁は整っていることだろう。
カドはサラマンダーに指示を飛ばすと、黒山羊と一緒になって尾の観察を始めた。
口――なのだろうか。
尾の一本の先端は歯茎が剥き出しの口のように赤みを持つと共に、歯を備えている。それを開くと口内と同じく粘膜としたらしきものが見えた。
「よし、シーちゃん。挿れちゃいましょう。細めのをこっちにどうぞ」
ンメェェェとヤギらしい返事とともに、足元から触手が持ち上がった。カドはそれをするすると内部に挿入していく。
膨らみの深さほどまで到達した頃、カドは眉を上げた。
「あー。やっぱり捻れていますね。優しく噴門を突破しましょう」
胃の入口に抵抗を感じたカドは、黒山羊の触手を細くするように操作しつつ挿入を続けた。
そして、胃に到達したところで触手の根本が球根のように膨らみ始める。
『それはまさか吸い上げておるのか?』
「ええ、そうです。中身は肉とかいろいろですね。丸呑みだったり、そうでなかったり。生の骨なのでまだ刺さる可能性は少ないですが、獣医からするとオイちょっとこいつは見逃せないんですけど状態ですね」
『……それはつまり何が言いたいのだ?』
「骨やおやつの誤食も嫌なんですよ。串や骨が腸を貫通したら腹膜炎になりますし、全身麻酔と腹部の大きな切開と一週間以上の入院ですぐに二、三十万円の費用がかかっちゃいます」
触手を引き抜き、吸い出された消化産物を適当な場に吐き捨てる。
今度はその触手でサラマンダーに用意させた湯を吸うと、それで胃の内部の洗浄をおこなった。洗っては触手を抜いて吐き出し、再び挿入という繰り返しである。
「胃にあるうちなら吐かせてもいいです。あとは内視鏡で摘まみ上げることもできますが、ギュギュっと締まった巾着の中からマジックハンドで異物を取るのが無理なように、駄目なもんは駄目なんですよね。元気な割に異物が詰まったり、腸に刺されば金銭面共に大事になる案件なので飼い主さんとのやり取りも面倒になりがちです」
何やら難しいことを言っておる……とエワズがサラマンダーのような顔になる一方、カドは触手を引き抜いて処置を終わらせた。
「いやほんと、内視鏡と違って口が詰まらないし操作が自由自在って凄いですね。未来の技術って感じです」
『そうか。それで、処置は終わったか?』
「ええ。胃の内容物が減ったら胃の位置も元に戻りました。あとは様子見ですね。落下物に足を潰された時もそうなんですけど、血が滞っていた場所から急に血流が再開するとまた別の理由でショック状態になることもあるので注意しないといけません。彼女が暴れないように注意しつつ、保護しましょう。そして、対価も請求しないとですね」
指を丸めて銭を表す仕草を取るカドに、エワズは呆れた表情を浮かべる。
『汝は聖職者じみたことをするというのに、このようなところではがめついものよな』
「もちろんです。料金踏み倒し問題は我々の業界では悩みの種なのでここら辺りはしっかりとします。そうでないと僕も生きていけません。ほら、サラちゃんにだって体で払ってもらっています。幻想種相手でも呪いや〈対価契約〉でビシバシ請求しますので!」
『うむ。まあ、適度にの』
契約に多少不満でもあるのだろうか。話題に沿ってサラマンダーを胸に抱えたカドは顎に噛みつかれていた。
そんな姿を呆れた様子で見たエワズは、ふと視線を逸らす。
『時にカドよ。気取っておるか?』
「はい。近距離に二体、何かが潜んでこちらを窺っていますね。あれは――クラスⅡの魔物ですか」
森に目を凝らしたカドは戦意を尖らせる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます