割に合わない対価契約

 カドが注視したその先では藍色――つまりクラスⅡの魔素が立ち上っていた。薮に隠れていて姿は定かではないが、数は二体いる。


「む。第一層なのに珍しい客ですね。迷宮からのハグレでもなさそうです。それはともあれ、経験値のためにも僕が対応します。エワズは彼女を保護しておいてください」

『うむ、引き受けよう』


 一ヶ月前よりも進歩したとはいえ、カドの能力はまだまだクラスⅤには程遠い。

 体への魔素の順応と経験を積むためにはやはり実戦が一番である。


 カドが前に出ると、敵も潜伏は無駄と観念したのだろうか。がさりと音を立て、這い出してきた。

 姿を現したのは爪のないサソリとでも言うべき魔物だ。


 サイズは大型犬ほどもある。身体能力的には負けないだろうが、外骨格での刺突や毒に注意というのが要点だろう。


『ほう。階層違いの魔物と思ったら、これは蝦蟇の剥片の小型種であるな。カドよ、此奴等ならば息するように倒さねば話にならぬぞ?』


 後方でエワズが呟く。

 その剥片とやらと向かい合うカドは笑みで応じた。


「ええ。小手調べに情報収集。ちょうどいい機会なので取れるだけのデータは取って踏み台にしますよ!」


 蝦蟇とは先程まで話をしていた〈魔の月涙〉の元凶だ。

 それから剥がれ落ちた物体も魔物化して襲いかかってくるという話だったが、こういうことらしい。


 キチチッと鳴き声らしきものを漏らした二匹は即座に飛びかかってきた。


「はいはい。〈影槍〉、〈死者の手〉っと」


 けれどもカドが間合いを許すことはなかった。

 魔術師としては距離を詰められれば詠唱が間に合わず、後手後手に回る。そんな失敗を糧に練習した無詠唱呪文で迎え撃った。


 狙いは上々。

 敵の影が立体化して一体を串刺しにし、もう一体は影から生まれた手が雁字搦めとなって捕縛する。


「ふむ。無詠唱呪文は複合魔術みたいに精神力と魔力を割増で持っていきますけど、便利ですね。第一、第二位階くらいの魔術なら問題なく使えますし」


 一ヶ月前、死霊術師の弟子たちが使用していた魔法については見様見真似で習得したのだ。

 もっとも、ハルアジスの魔法については上級で複雑なこともあり、真似するには至っていない。カドの魔法のレパートリーは第一、第二位階の基礎は増えたが、第三以上となると何一つ増えていないのだ。

 これはどこかで天使を捕まえ、天啓を与えてもらう必要があるだろう。


 剥片の出方を伺う目的で基礎的な魔法を放った。

 相手はクラスⅡとはいえ、かなり単純で弱い部類だったらしい。〈影槍〉に胴体の中心を貫かれた個体は魔素に還り、二体目も〈死者の手〉相手に行動不能となっている。


 それを見たカドは顎を揉んだ。


「死者の手の筋力は僕の五割増しというところなので生身の力でも十分に抑え込めそうですね。うん、負ける要素は見当たらないので〈魔素吸収〉で処分しちゃいましょうか」


 野獣を模した俊敏な魔物や、霊や影が魔物化したと言うべきものもこの辺境ではチラホラと見かけた。それに比べるとあくびが出る。

 カドはトドメを刺しに一歩を踏み出した。


「うっ……」


 ちょうどその時のことだ。

 尾の内臓の捻れが解消され、血流が正常化した結果だろう。女性が目を覚ましたらしく、呻き声が聞こえた。

 カドは剥片の拘束は十分に維持しつつ、振り返る。


「……――ひっ!?」


 尾を胸の方へ動かし、片腕で抱きしめた彼女。おぼろげな意識が覚醒していくと共に、自分を覗き込んでくる竜の姿に気づいたらしい。

 まさに肌を粟立たせた彼女は獣じみた動きで飛び退いた。

 まだ意識は判然としないだろうが、ばっばと音がなるほどの勢いで周囲を見回すと同時、彼女は跳躍する。


 クラスⅠと見えるのに、凄まじい身体能力だ。

 彼女は樹の幹に飛びつくように五メートルもの距離を一足で跳躍する。


 しかもそれだけではない。腰から生えたその尾を駆使して見事に樹の幹を打ち、その場に居着くこともなくさらに跳んだのだ。

 最早、跳弾とも称するべき動きである。放っておけばすぐに森に消えることだろう。


 ふむと感心するように見やっていたエワズはちらとカドに目をやった後、彼女を追って駆け出した。

 こちらは技術ではなく、尋常ではない身体能力で俊敏さを誇る。

 二十メートルもの巨体では木々が邪魔になって森を駆けることなんて適わないはずだ。しかし彼は木々をへし折り、ひっくり返しながらもその速度を緩めない。


 二、三度地を蹴った後には女性の前に回り込んでいた。

 その圧力はゴールキーパーどころの話ではない。翼を広げて待ち受ける竜を前にした女性は急制動をかけて止まった。

 恐怖する動物と同じくその尾を体の内へ巻き込むと、完全に怯えきった様子でへたり込む。


 それを目で追っていたカドはぼやいた。


「うん。まあ、巨大なドラゴンにそんな全力で追われたら誰だって怖いですよね」


 真っ当な人間であれば熊やライオンに回り込まれたとしても竦んでしまうことだろう。

 同情した気で漏らしたカドの呟きが聞こえたらしい。エワズは『ぬ……』と顔をしかめる。


 そして随分な労力であろうにその体を覆う魔素を還元すると、麒麟の形態を取った。

 怯えられたことが地味にショックだったのかも知れない。


 人と向き合うならそちらの方が妥当だろう。それでもあの姿を見た後である。

 焼け石に水ということも大いに有りえるので、カドは代打をするつもりでゆっくりと歩み寄った。


 すると――。


「――っ!?」


 足音を耳にした女性は後退りしながらすぐに視線を投げてきた。

 残念ながら、その表情は依然として恐怖に引きつっている。


 それを向けられたカドは足を止め、気が遠くなった顔で明後日を見つめた。


「あー。僕もですかー……」


 ショックを受けはしない。それよりも彼女の表情から妥当性を理解して、納得した気分である。


 彼女がエワズに向けたのは純粋な恐怖。

 だが、こちらを見た時にはより深く身を抱き、別の表情の恐怖を見せていた。


 十代後半と見える女性。それが自らの身を案じるような仕草で身を竦めているのだ。意味はわかる。


「そっか。忌み子は魔物みたいに優先的に殺す対象ですもんね。どうせ殺すならって、玩具みたいに慰み者にする話を聞いたことがあります」


 恐らくはそういうことなのだろう。

 忌み子はすでに人間ではない。いつ変じるとも知れない化け物だ。

 公然でもそんな扱いのため、人間では許されない行為だが――と、正視には耐えない扱いをされることが多々あるらしい。


 当然だ。なにせ忌み子は人間の知能を持つ。いざ戦うとなれば単なる魔物より手強いので、その労力に見合う価値を求められるのも無理はない。

 リスクがある以上、元は取る。そんな言葉を免罪符にした冒険者がいるのだ。


 少々特異な尾に寄生された彼女が本物の忌み子かはわからない。けれど、傍目としては間違いなくそれとして扱われる。


 アッシュグレーの髪に、白い柔肌。猫を思わせるしなやかな体躯ながらも、スタイルがいい。見目も恵まれていることが災いして見舞われた不幸は一度や二度ではないだろう。

 先ほど見せた、獣じみた動き。

 慣れを感じさせる人の動きではなく、そんな動きとなるのだ。必死となるほかなかった事態が多かったことが察せられる。


「忌み子に縁があるというか、身の上的に同情しちゃうと言いますか」


 自分が辛かった時に助けてもらった経験がある上、この体の要素となったエワズの大切な人――リーシャには欲張りになれと言われてしまった。

 面倒事とわかっていても見逃す理由はないだろう。


 カドは両手を上げ、危害は与えないとアピールしながら彼女を見つめる。


「娘さん。覚えているか知れませんが、僕は苦しんでいたあなたを治療しました。危害を加えるつもりはありませんし、嫌がることもしません。ただし、対価は求めるつもりです。そこにいる剥片を含め、知っている情報をください。僕たちは第二層に進出するため、情報が必要なんです。そういう〈対価契約〉を結びましょう」


 こういう時、魔法は便利だ。

 これは一種の呪いである。何々をしてあげるから、何々をしてくれとお互いに了承した事柄に強制力を働かせるというものだ。


 形のない強制力なので破る方法もあるにはあるが、自らも受け入れた条件である以上、自分に打ち勝つというくらい割に合わない苦労をしなければズルできない。そのため、かなり信用できる約束となる。


 この事実は彼女も知っているようだ。

 自分の尾に目を落とし、少しばかり落ち着きを取り戻した彼女はおずおずと頷く。


「わ、わかった……」


 この契約には相互の了承を示すためにも、両者の接触が必要だ。

 手負いの獣同然の彼女に、カドはゆっくりと近づいていく。


 差し伸べた手に触れるまでにも彼女は何度かビクついていたが、静かに待ち続けた。

 そして、ようやく触れてくれた手を握り、〈対価契約〉の魔法を発動させる。


「はい、これで終了です。お疲れ様でした」


 契約が滞りなく締結されたことで、彼女の警戒も一段回下がったことが見て取れる。

 さて、次はどうしたものかとカドが考えていたところ、彼女はまだ少し震える手を上げてくる。何をするかと思いきや、彼女は剥片を指差した。


「お、お願い。あれを殺して。すぐに。早くっ……!」

「はい。いいですよ」


 胸にしがみついて訴えられては仕方がない。

 〈魔素吸収〉で少しでも効率よく倒してしまう予定だったが、予定は変更だ。〈死者の手〉の力を強めて圧死させて終わりである。


 それが魔素に還る様を目にした彼女はようやく震えが止まった様子だ。

 けれど同時にガクリと膝が崩れ、意識を失った。よほどの疲労があったのだろう。


 それを抱きとめたカドは息を吐く。


「エワズ。すんごい長丁場になりそうな予感が……」

『乗りかかった船だ。面倒臭がるでない』


 カドが割とよろしくない物言いでぼやく。

 すると、竜の姿に戻ったエワズが彼の頭を尻尾の先でぴしゃりと叩くのだった。

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