豊穣を司る女神様の名前

 

 カドとエワズはハルアジスの一派を壊滅させつつ冒険者の街から逃げ去った。

 この事件はハルアジスの実験に触発されたエワズによるものと処理されたらしい。竜の襲撃からハルアジス一派の瓦解までを含め、黄竜事変と名付けられたそうだ。


 クラスⅤの竜を街に招いた責任もあって、ハルアジスは五大祖の称号を剥奪されたという。

 アツィルト境界域を揺るがすこの事件は第一層中の集落に号外として知らされた。


 それから約一ヶ月。

 人里離れた地域でエワズと共に訓練に励んでいたカドも、物資の補給で訪れるた村でこの情報を入手していた。


 ……そう、情報を入手できた。つまり彼らは情報が手に入る第一層にまだいる。

 エワズの知り合いの冒険者からは、街の襲撃時から変わらずお尋ね者扱いということは耳にしていた。ハルアジスの失墜に関わったカドも、ギルドの敵として認識されているらしい。


 故に冒険者の数が多い第一層はまず離れておきたい場所ではある。

 だが、そうできない事情があった。

 その理由は〈魔の月涙〉だ。


『通常であれば二十日もあれば十分に終わっているのだが、まだ続いている。境界が第二層の魔物を通す事例が増えたとも聞く。これに大蝦蟇が興味を示しているのやも知れぬな』

「えーと。大蝦蟇ってなんのことです?」

『〈魔の月涙〉を起こす原因だ。途方もなく巨大な蛙で、第二層の内地から果てを回遊している。どのような仕組みかは知れぬが、あれの皮膚からこぼれ落ちたものは魔物として活動を始める。幻想種なのか魔物なのかも判別が適わぬ怪物だ』

 

 蛙なのに回遊とは、これ如何に。

 しかし形状や性質を一言では言い表しにくい魔物も多い。恐らくはそれが影響してのことだろう。

 些細なことは置いておくとして、カドは自分たちの方針を左右している点について問いかける。


「クラスⅤのエワズなら、特に気にせず突破できそうなものですけど違うんですか?」

『カドよ、認識が甘い。魔力の質は確かに強者の素養である。だが、時として途方も無い魔力量故に無類の強さを誇るものもいる。死地を住処とする怪物も同様だ。低層であっても我が敵わぬ存在がいてもおかしくない。奴はまさにそれだ』


 エワズは強さを語る際、魔力の質で傲ることはない。

 そもそもそんなもので傲るのは、装備だけで強さを主張しようとするようなものだ。


 基本的に戦力はクラスⅤだとかの魔力の質✕魔力量で測る。

 そこに手合わせすることで知り得る身体能力や天啓で得た魔法、戦術なども計算式に組み込んで予測すると、もう少し力量がはっきりしてくるものらしい。


 例えばカドはクラスⅤ。魔力量は人並み以下。身体能力人並み。魔法の使用法は常人離れ。戦術は人並み以下というところだ。

 単純な計算で言えば、順当に成長してそうなったクラスⅤには到底及ばない。現時点ではクラスⅡからⅢ相当であろうとのことである。


 だが、魔力量と戦術は魔物と戦えば補える。しかも魔力の質が質だけに、大きな伸び幅があった。


『故にカドよ――』

「あ、はい。僕もちゃんと経験を積んだり、戦法を増やせって話ですよね。クラスⅤ二人がかりともなれば何とかなる道も多いと」


 カドが言うと、エワズは頷く。

 第二層への出立に慎重になった彼らは、境界から約一日ほど離れた辺境に身を置き、修行していた。

 クラスⅤという恵まれた魔力の質であっても、それに馴染みきっていないカドを戦力として鍛え直すためである。


 ここは本当に何もない草原だ。

 元来、第一層は入口から第二層への境界までに街道が敷かれ、村や迷宮が散在している。

 それから離れてしまえば村も迷宮もなくなり、魔物と死地が増えていくだけの危険地帯となっていくが、人目を避けたい彼らとしてはうってつけの環境であった。


「ではでは、〈使い魔創造〉を使ってみたいと思います」

『うむ』


 エワズが見守る中、カドは今まで使っていなかった魔法を使用する。


「我が喚び声を聞け。意思無き力の雫である汝に、今より命を与える」


 これは従者契約とは全く違う。自分の魔力を元に、使い魔を作る魔法らしい。

 異なる生物とパスを繋ぐ〈従者契約〉は、その生物の能力も利用できるという点で優れる。だが、そもそも交渉すら不可能な生物が多い上に魔力の融通は変換効率が悪いという難点がある。


 一方、使い魔は完全に自分の魔力で形成されるために余剰魔力の貯蔵庫や、魔法の演算補助といったことも可能なサポーターになるそうだ。

 アクセサリーのように機能を注ぎ込めば従者のような運用も可能ということもあって、たくさんの使い魔を使役する魔法使いもスタイルの一つとしてあるという。


 そんなわけでカドも自分のサポーターに相応しい使い魔を思い描こうと目を閉じた。


 そもそも、使い魔といえば一体何がいいだろうか?

 真っ先に思い浮かぶのは、魔法少女につきものの動物型マスコットだ。しかし戦闘を視野に入れるなら体格が良くなければいけない。


 そんな要素を考え始めると悩ましいが、これは魔法による造形なのだ。呪文の詠唱と魔力の操作も同時にこなさなければならず、確かな形を思い描きにくい。

 カドはその難度を思い知り、眉間に皺を寄せた。


「形を成せ。目を開け、我が姿を映せ。汝が主を心に刻め」


 この草原を、ざあっと吹き抜けていた風が何かに阻まれた。

 自分の前に何かが形を成し始めているのは確かである。


 ところで、竜がじっと見守ってくれる他、傍ではサラマンダーがもっちゃもっちゃと草を食んでいる。そのせいで、目の前にいるのは実のところ反芻獣なんじゃなかろうかという疑惑が湧き上がってしまった。

 いや、そんな集中力の乱れがまさに形を成してしまったのだろうか。もっちゃもっちゃと反芻する音が目の前からも聞こえ始めた。


 ……これはいけない。何かもうあらぬ方向へ舵が切られてしまった気配だ。

 カドは顔をしかめながらも、細部は正しく思い描こうと努力を続ける。


「滴り落ちし力が形を成す者。その肉体は盟約が続く限り滅びず。故に我が身を讃え、我が命を喜びとして仕えよ。〈使い魔創造〉」


 滅びない体だとして、崩れていたりしたらかわいそうだ。

 そう、地味に強い反芻獣と言えば牛や羊よりも山羊――もう駄目だ、そういう系統の想像しか出来なくなっている。


 せめて使い魔として多くの助けとなる存在であってほしい。医療の場といえば助手は必須である。

 特に検査とかできたらどんなに嬉しいか。

 内視鏡やエコー、レントゲンの検査なんて地球では田舎の病院でもできるが、ここにはないものだ。これから自分の長所を活かすとして、是非欲しいところである。


 ところで、そんな事ができる山羊って一体どんな物体なんだろう?

 カドは解答の浮かばない自問をした後、まずいことをした気分で目を開けた。


「メェェェーー」

「……ですよね」


 目の前には、紛うことなき黒山羊がいた。

 腰くらいまでの体高で、カラスみたく濡羽色の綺麗な毛並みだ。灰色の巻角は太く、体躯も立派なもの。健康的なことは間違いない。


 想像の迷走を危惧したが、ある程度のところで収まってくれたようだ。

 まあ、使い魔が山羊であって別に困ることはない。山羊は山羊で可愛げもあることだろう。

 こうして形を成してくれただけでも良しとする。


「えーと。〈使い魔創造〉ってこれでもとりあえず成功でしょうか?」

『ふむ。仮初めといえど、生命を創造するのは難しいものだ。普通であれば形を作ることすら難しいと聞く。であるが、汝は医療に精通している。それが良く働いて――ぬっ!?』

「どうしたんですか?」


 振り向いてエワズに確認していたところ、彼はぎょっとした様子だ。

 山羊に何かがあったのかとカドは視線を戻す。


 何だろうか。山羊の足元にある影が蠢き、そこから触手が生えていた。

 一瞬、訳がわからなかった。だが、経緯を考えたカドは納得する。


「あっ……。途中で内視鏡とか考えてしまったから……?」


 内視鏡は黒いホースのような見かけで、操作によって先端がウニョウニョと曲がる。

 遠目で見るとなんとなく触手のように見えなくもない代物だ。その影響なのかも知れない。

 内視鏡が曲がる様を想像していると、黒山羊の触手の一つがまさにその想像通りに動く。


 考えを読まれた感じではない。自分の魔力から形成されているからか、黒山羊自体が体の延長のようにも感じた。

 試しにその触手が自分に触れてくることを想像するとまさにその通りとなる上、自分の指で触れたように感触すら認識可能だ。


 これは想像以上の存在だと感動していたところ、エワズは困惑した様子で言葉を口にする。


『カドよ。ナイシキョウとやらは知らぬ。だが、汝が目を向ける寸前、形状が崩れておったぞ……!?』

「へ?」


 そう言えば竜から視線を戻す際、しゅわっと黒い雲が山羊に吸い込まれたような、そうでなかったような気がする。


「……でも、こうして形が定まっているということは成功なんですよね?」

『う、うむ。そうではあるが……また形状が崩れておるぞ』


 形状がどうであったかは知らないが、魔力が霧散せずに一つの個として維持できているので使い魔としては問題ないだろう。

 もとより、生物ではない。形状設定が自由なのだから、実在しない悪魔やオリジナルの形状を当てはめることもあるはずだ。

 形状が多少崩れていたところで、それでも活動可能なら支障はない。


 そんなことを思ってエワズに目を向けたところ、また変化したらしい。

 だが、カドが視線を戻すと元通りだ。よくわからないが、そういうこともある黒山羊さんなのだろう。

 困る事態ではなさそうなので、カドはどうでもいいことかと結論づける。


「それはそうと僕の使い魔なら名前をつけてあげないとですよね。ふむ、何がいいでしょうか」

『……』


 物言いたげに見つめてくるエワズをよそに、カドは顎を揉んだ。

 犬猫ならばハチだとかタマだとかいう名前が思い浮かぶ。けれども山羊と言えば思いつく名前がそれほどない。


 さてどうしたものかと思っていたところ、一つだけ脳裏に浮かんだ。


「……あ。シュブニグラス」

『アスクレピオスやカドゥケウス同様、何らかに由来する名前か?』

「そうですね。確か豊穣を司る黒山羊だった気がするんですけど、詳細を忘れちゃいました」

『豊穣を司るのであれば悪いものではなかろう。それに此奴にも異論はないようだ。良いのではないのか?』


 件の黒山羊はその名前が挙げられたところでメェェと鳴き声を上げていた。


「そうですね。よろしくお願いします。シーちゃん」


 悩み続けていても答えは出そうにないことである。とりあえずそれでよかろうと納得を示したカドは黒山羊の頭を撫でるのだった。

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