プロローグ Ⅲ 祝福の子

「嘘っ……!?」


 まだしばらくは保つものとばかり思っていたのだろう。エイルは驚愕に目を見開いた。


 スキルの発動すら間に合っていない。

 障壁から一歩の距離にいた彼女に、ガグはその巨大な腕を叩きつける。


 エイルは腕を交差し、なんとか防御を間に合わせた。

 彼女が踏みしめる地面を圧壊させるほどの衝撃だ。なんとか受け止めただけで賞賛に値するだろう。


 だが、攻撃はそれに止まらない。

 彼女を押し潰そうと腕に力が込められる一方で、さらにもう一つの腕が振るわれたのである。


 次の瞬間、無防備な腹に鉤爪が突き刺さり、背まで突き抜けた。

 人間の胴体ほどに太い腕をしているのだ。それが突き抜けただけで人間の体なんて千切れかけになる。


「――っ!」


 言葉にすらならない、一瞬の出来事だった。

 ガグは腕を振るい、腕輪のようにハマってしまったエイルの体を払い捨てた。


 大切な妹の惨劇にカイトは絶句する。


「う、うわぁぁぁ!?」

「ガグ、ガグだっ。逃げろぉっ!」


 戦線の瓦解を見た木こりたちは身の危険を感じて一斉に悲鳴を上げて逃げ出した。

 この声に威嚇を上塗りするように、ガグが雄叫びを上げる。


「そ、んな……。エイル……」


 あまりのことにカイトの思考は働かない。


 家族を助けたい思い。胴体が二分する傷ではどう足掻こうと治せないと判断する理性。事のおかしさに気づいていながら手を打てなかった後悔。

 それらが混ざり合って思考が停止してしまっていた。


 だから接近してきたガグに腕で払い飛ばされても成す術なんてない。カイトは跳ね飛ばされ、樹に叩きつけられた。

 その際、自動的に主を守るべく働いてくれたホムンクルスがクッションになってくれたおかげで致命傷を免れたらしい。

 身体能力向上のスキルがない彼でも、意識を失わずにいられた。


 幸か不幸か、彼の目の前にはエイルが転がっていた。

 すでに意識はない。腹から背は九割繋がっておらず、内臓も露出している。背骨すら断たれていた。


 その事実を認識することを、脳が拒んでいる。

 木こりがガグによって潰される際の断末魔なんて、もうカイトの耳に入らない。


「た、たすけ、なきゃ……」


 彼女のもとに這いながら、カイトはうわ言のように呟く。

 呼吸が弱まり、瞳孔も散大しようとするエイルを見ていると、それ以外の思考なんて思い浮かばなかった。

 しかし一体、自分には何ができるだろうか?


 そんなことを思っていると、大きな足音が近づいてきた。

 ガグだ。周囲の獲物をあらかた殺し終えたところで、こちらの生存に気づいたらしい。


 カイトには、逃げようという考えすら沸かなかった。思考停止したままガグを見上げていると、エイルと同じく鉤爪で腹を串刺しにされる。

 そのまま体を持ち上げられ、ガグの目線まで持ち上げられた。


 目の前では唾液の滴る昆虫類のような口が開いている。

 このまま食う気なのだろうか?


 いや、そうはならなかった。

 じっと見つめてきていたガグは遠くに獲物を見つけたらしい。顔を動かしてそれを視線で追うと、興味を失った様子でカイトをぼとりと落とした。


 自然落下だったために、カイトはまだ意識を失わずにいられる。


「あのガグ……背に、何か……?」


 落とされる寸前、目に入った。

 ガグの背に、かなり大きなコブ――否。甲虫が張り付いていたのだ。


 あれは図鑑で見た覚えがある。〈魔の月涙〉において氾濫する魔物だ。それがガグの背に寄生していた。

 普段存在するはずがないあの魔物は境界を越えてきたのだろうか。


 なるほど。つまりあれはガグではない。ガグの外見をした、クラスⅡの化け物だ。

 あの魔物自体は魔力量がそこまでないために弱い。

 だが、それが第一層では上位の魔力量を誇るガグに寄生してランクアップさせたため、凶悪な強さになってしまった。そういうことなのだろう。


 わかったところで何一つめでたくない。

 カイトはエイルのもとに這って近づく。


 彼女の呼吸は先程よりもずっと弱々しい。

 自分も彼女同様、腹から大量の出血をしている。じきにこうなるだろう。


「イヤ、だ……。なにか……助ける、方法……。どこかにっ……」


 自分は治癒師でもドルイドでも、死霊術師でもない。そんな方法は持ち合わせていないだろう。

 では、外部だ。自分以外の何かに救いの手はないかと探し求める。


「そう……そう、だ。治癒魔法と、同じ、魔素……幻想種……。忌み子……!」


 治癒魔法は欠けた肉体を魔素で補うことにより、治療する。

 同じことを名も無き幻想種が行うことで人間を生かすのが忌み子だ。

 それならば、幻想種に取り憑いてもらえば彼女が助かる道も生まれるだろう。


 そう考えたカイトは薄れる意識の中、周囲を見渡す。

 だが、周囲にはそんなに都合よく幻想種がいたりはしない。


 それもそのはずだ。先程、幻想種は残らずガグに恐怖して逃げ出していたではないか。この場所にそれがいるはずがない。

 もとより少なかった希望が遠ざかり、カイトの表情は絶望色に染まる。


「そ、んな……。いや、まだだっ……。木こりの村にっ、治癒師が……!」


 今の彼女を救えるほど高位の術士があの村にいる可能性、そしてそこに連れて行くまで彼女と自分が生きていられる可能性は如何ほどだろうか。

 限りなくゼロに近いその望みに、カイトは泣きそうになる。


 しかし、やらなければいけない。

 絶望してはそこで終わりだ。もう自分の足は動かないのでホムンクルスに命令を下そうとして――彼ははたと止まる。


 ああ、いた。いるではないか。

 ホムンクルスとは、自分の血肉から培養して作った素体だ。


 かつて死霊術師の一人は親類を継ぎ接ぎにして生きながらえようとした話がある。それはどうも、赤の他人より親族の方が体の定着が良かったかららしい。

 であるなら、これ以上とない材料ではないだろうか。


「は、ははっ……!」


 カイトは笑う。

 すでに二人とも多くの血を流している。二人とも生き残るには材料が足りないことだろう。


 ならば――


「ホムン、クルス……。僕を、食え……! 食って糧にして、エイルに取り憑いて、助けろっ……!」


 大切な家族の頬に触れ、カイトは笑う。

 命令すると、ホムンクルスは忠実に動き始めた。


「忌み子なんて、酷い言い草だよ……。そんなことない。これは絶対に、祝福だ……」


 ホムンクルスの手足が二分されたエイルの体を繋ぎ始めるのと同じくして、カイトの内臓に絡みつき始める。

 繋ぐものを選んだり、血を啜ったりしているのだ。


 自分の命はなくなりつつあるが、エイルは徐々に回復していく様を見て、カイトは満足げな表情を浮かべる。


「エイル……。生きて……。僕の分まで生きて、父さんを超える……英雄になって……」


 彼、カイト・シュナーベルはその言葉を最期に息を引き取るのだった。

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