プロローグ Ⅱ 悪夢の世界の住人
境界域第一層はかなり単純な作りだ。
境界域の入口から第二層の境界に至る道に山はあれど、軒並み雲より低いものばかり。
むしろこの順路が外れて第一層の果てを目指した場合の方がきつい旅路となる。地形は急に勾配が激しくなり、有毒ガスが漏れる危険地帯も増え、死地の数も格段に増えるのだそうだ。
各層共にその事実だけは曲がらない。
故に各階層の果てを見た者は誰一人としていないのだという。
それを父からきつく教えられているエイルとカイトの二人は当然、順路を外れたりはしない。
ただし、これからの軍資金を稼ぐために寄り道はする予定だ。
エルタンハスに比較的近い場所に位置する、巨大樹の森。そこにも僅かばかりに人が住んでいる。
非常に巨大なだけあって一枚板のテーブル、材木としての利用などで需要があり、住民はこれを売ることで生活しているのだ。
それを独占するため、彼らは非常に排他的だった。
だが、今回は地域としてはお隣さんであるエルタンハスの自警団の斡旋のおかげもあり、その伐採作業から運送の護衛までを一手に引き受けられたのである。
装備の拡充、新たな仲間の募集なども控える身としては、お金はいくらあってもいい。
エイルとカイトの二人は故郷に感謝しつつ、まず依頼の第一段階をこなそうとしていた。
「はぁー。平和なもんね」
エイルは材木運搬用の巨大な荷車に腰掛け、足をぶらつかせる。
ちょうどひと仕事を終え、少しだけ警戒度を下げたところなのだ。
それを見た兄のカイトは腕を組む。
「こら。いくら僕が障壁を張っているからといって、気を抜いていたら父さんに叱られるよ」
「ここのキラーエイプは縄張り型の魔物。一度凌いだからには危険も少ないよ。それに、一瞬でも障壁で攻撃を弾ければ戦闘準備はできるし。気を張りすぎて道中に集中力が切れてもいけないでしょう?」
「それはそうなんだけど……」
カイトはううむと唸る。
実際のところ、ここでの危険は少ない。
人間よりも大きな猿の魔物――キラーエイプがこの森で最も強い魔物と聞く。
伐採開始時にはそれが四体も同時に攻めてきたのだが、エイルの格闘とホムンクルスで捌き切ることができた。
カイトは石を錬成する魔法でそれにトドメを刺すといった具合で、実に危なげなく勝利を収めたのである。
加えて、キラーエイプは襲撃の前には一度吠え立てて増援してから襲い掛かることが多い。
その応答の数から戦闘、撤退の用意をする余裕もあるので、問題が発生する可能性はかなり低いのは確かだった。
初の二人旅ではあるが、エルタンハスの自警団見習いとしてしごかれた経験は十分以上に活きている。
第一層としては上の下とも言えるこの森でこれだけ戦えるのだ。先行きはかなり明るい。
エイルの楽天的なところはその影響でもあるのだろう。
「それより、よくあんな高いところに登れるよねえ。怖くないのかな?」
注意の甲斐なく、エイルは同じ調子で職人の仕事ぶりを見つめている。
これから倒す予定の樹は高さが約五十メートル。
倒れる際、その枝が周囲の木を傷つけたり、折れて飛んできたりすることに備え、いくらか剪定されているところだ。
その作業はさらに高いところにある枝にロープを掛け、滑車のようにして人を吊り上げるという形である。
下で伐採のために斧を入れつつ、上でも時間短縮のために作業。呼び声一つで下の人員は避け、枝が落とされていく。
テキパキと、中々の職人芸だ。
ひとまずこのまま夕暮れまでに伐採と積込みを終え、明日の早朝から運び出しとなる。
実に順調――そう思っていたところ、異変が起こった。
ウキャー、ウォウォウォウォッ! と、キラーエイプの威嚇音が木霊する。
それを耳にしたエイルとカイトは野生鳥獣のごとき変わり身で警戒した。
「距離は遠かったね。ここじゃない」
「うん。僕らではないものへの反応だと思う」
いろいろな生物がいるのだ。もちろん、こんなこともあるにはある。
だが、これは平時の出来事には収まらなかった。
威嚇音の後に何らかの衝突音が響き、遠くで樹が倒れたのである。
ここにある樹はどれも大人五人がかりで手を繋いでようやく囲える太さだ。ただ一度の衝突だけで倒れるなんて尋常なことではない。
さらに警戒を高めてそちらに視線を投げていると、動物たちが一斉に逃げてきた。
その中には木霊や妖精など、幻想種も含まれる。彼らは弱く、危険には敏感なので大体は隠れてやり過ごしてしまうために姿を見ることも稀だ。
それが姿を露わにしてまで逃げに徹するということは――?
嫌な予感は重なる。エイルとカイトは自然と視線を合わせていた。
「何かはわからないね。逃げたいものだけど……」
カイトは木こりたちに目をやる。
彼らの撤退速度には期待できない。また、樹の上で剪定中の人はすぐに降りることもできないだろう。
自警団の名前で斡旋してもらった仕事であり、これからの自分たちの評価にも繋がる。依頼人を置いて逃げるなんて考えられない選択だ。
故に、迎え撃つしかない。
苦渋に満ちた表情のみで状況を共有し合った二人は戦闘準備をした。
「木こりの皆さん。何かはわからないですが、とても危険なものが来そうです。僕たちが時間稼ぎをしている間に逃げてください!」
カイトが呼びかける。
対応は案外、早いものだ。元々、魔物のテリトリーで伐採する仕事柄だからだろうか。これなら数分もあればこっちも撤退できるだろう。
先ほど騒ぎがあった方向を見やる。
エイルはすでにガントレットの具合も確かめ終えていた。この待ち時間に気を練り込み、一時的な身体能力の向上が見込める〈練気功〉も行ったようである。
カイトも準備を始めた。
魔力を注いだ水晶の欠片をエイルの前方に放り、それを触媒として障壁を発生させる。
おまけにホムンクルスに対する強化魔法をかけ、敵に仕掛けるための弱体化魔法を予備状態にしてキープしておく。
さて、どうなるものだろうか。
エイルとカイトは息を呑んで待ち受けた。
巨大なイノシシが駆けるような音を響かせながら、何かが走ってくる。フガッフガッとその吐息まで聞こえてきた。
そして、ついにその姿が露わになる。
このままの速度でいけば十秒で交差する距離に見えたのは、人の二倍の体長を持つ魔物だ。
二本の足で立ち、巨大な腕を二対も持つ怪物。腕を振るうだけで全身鎧の大盾使いですら吹っ飛ばし、その四本の指についた大きな鉤爪は金属も裂くという。
昆虫類のような口、爬虫類のような鱗と硬質の毛皮に覆われた体躯は対する者に恐怖をもたらすだろう。
「あぁー、はぐれのガグか。確かに近いもんね」
境界に多く存在するこの魔物は、第一層では最上級に厄介な敵だと言われている。
しかし、エイルとカイトの二人は自警団の仲間と共に交戦した経験が何度かある。流石に二人のみで戦ったことはないが、その力量は十分に測っていた。
エイルは拳を握り込み、攻撃系のスキル発動の準備をする。
「二人ではきついけど、まだなんとかなるね。私が注意を引くから、足回りを攻めて!」
エイルは気合の入った声を上げた。
勝利はできなくとも、時間稼ぎは十分にできると踏んだらしい。
けれどもカイトはその判断に異論を挟もうとする。
「ま、待った! ガグは確かに強いけど、この太さの樹を一撃で倒せるほどじゃないはず。何かがおかしいっ!」
「わかってるけど、どっちみち逃げらんないでしょう!?」
状況からすれば戦闘は避けられない。
その大前提をエイルが叫んだ瞬間、ガグは障壁に激突した。
あの障壁は複数匹のキラーエイプによる樹上からの飛びかかりでも防ぎきるものだ。ガグの攻撃でも十数秒は保つ――はずだった。
しかし、予想は大いに裏切られる。
激突の瞬間にひび割れ、みしみしと崩壊が進むとそのまま突き破られてしまったのである。
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