第二章

プロローグ Ⅰ 人としての最期

 これは、特別なんて許されなかった一つの話。

 アッシャーの街で竜と少年が出会うよりも一年以上前に終わってしまった話だ。


 幾人もの冒険者が挑む、アツィルト境界域。冒険の幕開けであり、様相が穏やかなあまり人類の支配領域と言っていいほど冒険者が闊歩する第一層。

 彼らが目指すのは、第二層との境界だ。


 獣牙渓谷、そしてガグの黄泉路と呼ばれる一帯を越え、境界を守護する獣を打ち倒せば新たな世界に踏み出せるという第一の壁である。

 ただし、この第一の壁を越えた先こそ、冒険者を悩ませる世界だ。


 故に新天地に挑めないひよっこのクラスⅠと、新天地を進み切れない一端のクラスⅡの冒険者は境界付近に休息地を求めた。

 すると彼らを商売の対象とする人も集まり――境界から徒歩五時間程度の距離に一つの街が築かれた。


 名前はエルタンハス。

 寄り集まった冒険者が再会を約束した地、冒険者としての実家などという意味で好き好きに呼びあった結果、こんな名前が定着したらしい。


 この街は植生が少ない岩の丘に造られたため、魔物に襲われる危険は少なかった。


 けれども、ここは第一層の果てだ。

 ある程度は危険とも隣り合わせになっているため、自警団とその統括守護の立場が受け継がれてきた。



 そんな物語を、男が身振り手振りを加えて語る。

 亜麻色の髪に繋がるくらいに髭を生やした精悍な男だ。


 彼は簡素なシャツとパンツしか着ていないために、よく鍛錬を積んだ肉体が目立っている。

 こんなラフな格好なのは、ここが彼の自宅だからだ。

 四十にもなる彼には二人の子供がいる。彼はその二人を前にしていた。


「わかったか? 私はそんな由緒ある街の守り人を任されている。冒険はできずとも、冒険者冥利に尽きるというものだ。お前たちが冒険者になる才能があったのは喜ばしいが――」

「はいはい、聞いた。聞きました! もう、お父さんは酔えば大体その話だよ? 覚えてないはずがないでしょうっ」


 十五になる娘が腰に手を当て、もう耳にタコができたと主張する。


「いや、冒険者としての注意事項をだな……」

「それももう何度も聞いているってば!」


 誰もが聞き慣れた英雄譚の代わりに度々聞かせてきたことは確かだ。それを前置きとして冒険者の心得を説こうとしたところ、娘は首を横に振って拒絶する。


 確かに何度も聞かせたわけだが、今日は彼らの出立の日だ。

 敢えて語って心に刻ませる必要があると思っていたのだが、どうしても嫌らしい。

 彼女は携行食料と今日の弁当を三人分手早く用意すると、息子のもとに逃げていった。


「ねえ、カイト。もういらないでしょう?」

「あはは、そうだね。まあ、エイルの言うことももっともだと思うよ。自警団の人にもたくさん言われてきたし、もう十分かな」


 気が弱めな息子は、娘に促されると流されてしまう。

 すると、娘は我が意を得たりと胸を逸らせて満足げになった。


 髪色は受け継がれたものの、彼女の気質は亡き妻に近い。

 彼女は幾本かに結った長い髪を尻尾のように揺らしながら忙しなく荷物を詰めると、息子の背を押して家の戸に向かう。

 拳闘士の才があった娘と、錬金術士の才があった息子が戸口に並んで振り返ってくる。


 男性は頭を掻いた。

 確かに自分の経験をもとに、十分な忠告と訓練を施してきた。

 並の冒険者よりは上手であることは間違いない。


 無論、かわいい子供という贔屓目は差っ引いている。これは自警団のメンバーからもお墨付きの事実だ。


「わかった。ならばもう言うまい。境界主の討伐も含め、私たちの手伝いはいらないな?」


 本当は境界主の討伐を共に行い、二人のクラスアップを見届けてから第一層の冒険に送り出したいところだ。

 けれども、その案はかなり前から拒まれている。


「もちろんよ! 修練場で実力を測り、自分たちで仲間を見つけて冒険するわ。それで、いつかクラスⅢのお父さんを越えてみせるから!」

「うん。僕らはエルタンハスの英雄、フリーデグント・シュナーベルを越える冒険者になる」


 それが二人の目標らしい。

 子供に臆面もなくそう言われると気恥ずかしさすら覚える。だが、それよりは親としての不安の方が若干勝っていた。

 本当に仕方のない子供たちだと、男性はため息を吐く。


 すると親不孝は自覚しているのか、息子は申し訳なさそうな顔になった。


「僕はエイルに付き合いつつ修業を積んで、五大祖の門を叩いてみたいな。ホムンクルスの育成も、あそこが最先端だろうし」

「私はそこそこに経験を積んだらここに戻って跡を継ぐわ」


 二人はそれぞれの目標を口にする。

 こちらとしても何度も聞いてきたことにはいはいと頷いて返すと、別れの契機となった。


 息子は戸口付近の大きな水瓶をこんこんとノックする。

 それを合図に水瓶からにゅっと現れてくるのは一体のホムンクルスだ。白いのっぺりとした直立するタコ。そうとでも例えるべきものが息子の傍についた。

 彼らの冒険の準備はこれにて終了である。


「「それじゃあ、行ってきます」」


 二人の重なる声に、喜びと心配を半々にした親の顔を向ける。


「ああ、いってらっしゃい。第二層では〈魔の月涙〉の季節だ。こちらにも影響がないとは言えないから、魔物の気性には注意を払うんだぞ」


 最後の最後にくどい忠告を告げると、二人は苦笑ながらにわかっていると答えてくる。


 そうして見送った二人の後ろ姿。

 それが、フリーデグントが見た娘と息子の、人としての最期だった。

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