エピローグ 竜と獣医は急がない

 

 竜が麒麟の姿でアッシャーの街にやって来たのは、偽装として大きな意味があったらしい。

 彼が街を襲撃した際にはペガサスやグリフォンがいた。それもあって、特異な馬だろうと危険性さえなければ麒麟が走っていようと『あれ? 誰か馬に逃げられた?』という疑問を抱くか、その魔素の質を見てぎょっとするだけである。


 単に目撃されただけでは騒ぎになることすらない。

 ハルアジスの屋敷がバタバタとし始め、竜が何度か放った雷撃によって、ようやくなんだなんだと注目を集めるようになったが、それでもまだ騒動とまではいかなかった。

 この冒険者の街では魔法を使った小競り合いなんて日常茶飯事だからだ。


 竜の脚力に任せ、正門からではなく屋敷の裏手に当たる壁を飛び越えて逃げる。

 通行人は驚かせてしまったが、「すみません!」の一言で済ますと大通りへと駆けた。


 人目につく場所なんて通りたくはない。

 だが、境界域が経済の中心であるこの街では、そこへの入口が一番の大通りとなっているので仕方がなかった。


 商店が立ち並び、馬車が行き交う街を駆けていく。

 カドは神代樹のうろの前に位置するギルドと管理局を見遣った。

 騒ぎとなれば手練が溢れ出てくるであろう蟻の巣だ。変化の徴候がないかつぶさに観察する。


 すると――


「事情がわかった様子でこちらを見ようとする人はいませんね。ただ、トリシアさんとリリエさんがこっちを見ています」


 ギルドの前から、酷く気にした様子でこちらに視線を向けてきている。放ってなどおけるはずはない。だが……と、二人して苦悩した顔だ。

 一緒にいるということは、こちらの経緯はすでに伝わっていると見ていいだろう。

 大体のところを察し、そして踏み止まってくれているらしい。


『リリエハイムは我らに付き合うべきではない。彼女には、彼女にしか救えぬ者が多い故な。リーシャの子孫もまた、同様だ。正道を進むべきだろう』

「リーシャ? それってもしかして……」

『ふむ、言っておらなんだか? ハイ・ブラセルの塔に眠る我が朋友の名だ』


 カドは、なるほどと頷く。死に瀕した時に見た幽霊と瓜二つだ。

 それを思ったカドはくすりと笑う。


『どうしたのだ?』

「ドラゴンさんはあの血筋に随分と縁があるものだなと思いまして。彼女はそのリーシャさんと家を出たのは馬で、竜の姿は知らないようでした。でも、この姿を見ればきっと――」

『……そうさな、それは都合が良い。リーシャを弔う際には、是非とも手を借りるとしよう』


 そんな事を言い交わしているうちにうろの前まで至る。

 そこを警備している門番には「止まれ!」と叫ばれるのだが、強引に突破して境界域に戻るのであった。



 

 □



 

 境界域に戻るカドたちの後ろ姿を見届けたリリエはため息を吐いた。

 すると、早々にこうなってしまう予兆を伝えてくれたトリシアは、自分の失敗を思って縮こまっていく。


「ああ、ごめんなさいね。あなたの失敗ではないの。あの二人ならどうせこうなるとは思っていたし、私を関わらせまいとしていたのもわかっていたわ」


 そういう点で言うと、カドと竜は酷く似通っている。

 自分たちの問題を解決するために人の手は借りるものの、迷惑を掛けないように一線だけは厳しく敷くのだ。


 他人も巻き込んで解決を目指せばもう少し痛い目をせずに達成できそうなものを、やろうとはしない。そういう意味で、男の子なのだろう。

 傍から見る側としては辛いところだ。

 こんな気分も、何かにつけて叱って返してやろうと思うだけで終わらせる。


「それで、あなたはどうするの?」


 リリエはトリシアに問いかける。


 先程から、急に目覚めたハルアジスの本体が錯乱しているだの、イーリアスや別の人も次々に目を覚ましているだのと内部が慌ただしくなってきた。

 トリシアを連れてきた人間が目を覚ましたということは、彼女のパーティの中核が瓦解したということなのだ。


 問いかけてみると、彼女はカドたちの後ろ姿の幻影を見るように遠くに視線をやる。


「私は……進もうと思います。竜に諭されたように、この街は歪になりつつあります。何を正し、何を守るべきなのかは先に進み、彼らの後を追えば見えてくるのだと思います」

「“彼ら”、ね」


 その言葉の意味するところは、リリエにも理解できた。

 トリシアの先祖と竜に関しての話ならば随分と昔に自分の目でも見てきたことである。


 カドといい、トリシアといい、これは新たな時代というものが到来しそうな風だ。

 そんな事を思っていたところ、こちらにギルド職員が目をつけて走ってきた。まさかカドらを討伐しろなんて依頼がかかるのではないかと、リリエは身を強張らせる。


「あ、あら、どうしたの? 内部も慌ただしそうだし、何かあったのかしら?」

「えっ、ええ。それが二、三立て続けに……。いえ、内部事情はともかく聞いてほしいことがあります! たった今入ってきた情報です。今回の〈魔の月涙〉は規模が異様だということに加え、第一から二層の境界近辺でその影響と思われる魔物が――」


 ひとまずカドらに関わることではない。

 そこに安堵を覚えたリリエは、本腰を入れてその要件を聞くのだった。



 

 □



 

 アッシャーの街から逃げたカドと竜が目指したのは、ハイ・ブラセルの塔だ。

 並の冒険者では来られないこと、そして縁も含めてひとまずやってくるにはこれ以上の場所はないのである。


 麒麟の姿から竜に戻っている彼とカドは改めて向き合っていた。


『カドよ。まず伝えておく。此度の汝には失望したぞ』

「ええ、はい。そうですよね」


 竜は終始、カドを人の世に戻そうとしてくれていたのだ。

 いろんな動きがあったとはいえ、その期待に答えられなかった点で反省すべきところは多い。カドは竜の苦言を粛々と受け入れる。


『だが、こうなってしまったものは仕方がない。我と共に歩めとは言わぬが、今しばらくは汝を見守ろう』

「えっ。僕もお尋ね者になったんですよ? ここは僕がそこのリーシャさんを手にできるまで成長して恩を返すとかそういう話にならないんですか?」

『ならぬ。まだそうと決まったわけでもない。境界域にはまだ人の住処も在る。それらに居着く道もあるということだ』

「なんと……。頑固ですね」


 竜の人の良さは筋金入りらしい。当事者ではないから関わらせまいとするところは相変わらずだ。

 この点について宗旨変えをさせる方が面倒そうである。

 カドはひとまず受け入れ、別の話題を提示した。


「それはそうと、ドラゴンさん。約束です。あなたの名前を教えてください」

『そういえばそのようなことも言っておったか』

「はい」


 叱った後で改めて言うには空気が悪いのだろう。

 竜はあまり乗り気ではなさそうだが、渋々と口にしてくる。


『エワズという』

「ええ、知ってました。あそこのリーシャさんが付けてくれたんですか?」


 視線と共に意識が向いたからか、湖面の騎士剣に甲冑が浮かび上がった。

 それを流し見た竜は頷く。


『そうだ。馬であり、変じる者という意味も持つ。故にエワズという名でよかろうと名付けられたのだ』

「そうですか」


 カドは頷くと、竜の前へさらに歩み寄った。

 すると、竜は長い首を下げてくる。


「戦闘中の際どい時、彼女に会った気がします。それで手は貸してくれなかったんですが、もらったものがあります。今あるものを失うのを怖がり、まだ見ぬものを楽しめ。そう言われて、皆を笑顔にしたがる欲張りさを貰いました」

『……左様か』

「はい、よろしくお願いします。エワズ」


 カドはエワズの頬に向けて手を伸ばす。


 すると、彼はどこか遠い目になった。

 恐らくはカドが受け継いだリーシャの面影から、過去を思い出しているのだろう。


『首が血だらけではあるが、その手と顔は血塗れではないな』

「んん? あ、そうですね。忘れていました。洗いましょう」

『うむ。それで良い』


 同意の言葉にしてはどこか変な気もするが、カドは深く気にせずに受け取る。


「さて、それではですね。エワズにはいろいろと言われましたが、個人的にはあなたへの恩返しとして、そこのリーシャさんを継承できる身になるつもりです。それくらいに強くなってみせるので、故郷へのお墓参りはちょっと待ってください」

『期待せずに待つとしよう』

「はいはい、それでいいです。のんびりでいいので、ささやかな願いの成就を目指して、旅をしましょうか」


 カドは竜に対して苦笑しつつ、手を差し伸べるのだった。

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