竜と少女の生き急ぎ Ⅰ
一つの難関を乗り越えたカドは竜とリリエの手配によって川まで移動していた。
塔に川があるとか、どこからどこへ流れているとか、そんな常識はすでに捨て去っている。あるならばあるで活用していくだけだ。
それに、酷使した頭を冷やすためにもこれは必要だった。
(あー。予想外の辛さ……)
靴を脱いだカドは川に入り、頭を水にざぱりと浸す。
掻いてしまった脂汗と一緒に気分が晴れればよかったのだが、効果は一時的だ。
シャワーやコーヒーで徹夜明けの辛さを誤魔化すのに同じ。実際に降り積もった疲労が消えるわけではないのだ。
魔法を使う上での注意を散々してくれた竜とリリエはそんな変化を見逃さない。
そうなるものと思われていたらしく、じっと注がれる視線は強がって隠す隙も与えてくれなかった。
「ええーと、ご心配をおかけしています」
カドは顔をぽりぽりと掻きながら、二人を見た。
無茶を承知で付き合ってくれた二人は揃ってため息顔である。
「心配ではあったけれど、一番の山を越えられたようで何よりよ。大体のところはわかるのだけれど、一応、体調を自己申告してくれるかしら?」
リリエはハンドタオルを取り出すと、カドの濡れた髪を拭いつつ問いかけてくる。
体を巡る魔素の流れから状態を読み取る――。
教えられてはいないが、そんな方法もあるのだろうか。
あってもおかしくないだろう。頬をぐいぐいと拭いつつ、訝しむようなジト目を向けてくるリリエに対してカドは正直に吐露した。
「すぐさま倒れるようなものではないです。ただ、出来ることならすぐさま休みたいってレベルですね。あと丸一日起きているなんていうのは絶対にムリかと思います」
答えている間、審問官と化したリリエがじぃーっと見つめ、嘘の有無を見抜こうとしてくる。
答え終えてもその観察はしばらく続いた。
彼女は息を一つ吐いてから、ようやく止めてくれる。
「妥当なところね。この子との契約が上手くいった以上は、早く移動をする方がいいかしら」
リリエはそう言って、足元にいたサラマンダーを持ち上げる。
抵抗も何もない。まるでぬいぐるみだ。
彼女は抱き上げているサラマンダーに、湿っているタオルを被せる。
するとすぐにしょわしょわと水分が蒸発し始めた。簡易的な乾燥機としても働くなんて、案外便利なやつである。
そうしてカドがサラマンダーに目をやっていたところ、リリエの声に竜が答えた。
『それが良かろう。長引かせたところで、カドにとっては益がない』
彼は背に乗せているままのアルノルドを見てから、カドに視線を戻した。
『この者の事もある。汝がアッシャーの街ですべきことはすでに心得ているな?』
「それはもちろん。最初に計画したところに追加こそあったけれど、内容は何も変わっていないですし」
自分の身を得てから今まで、少々遠回りはしたが目的は変わっていない。
思い出す間でもないその事を、カドは改めて口にする。
「まず、魔力を遮断する外套僕の魔力を隠します。それで、普通の冒険者でも装って、アッシャーの街に入ってアルノルド君を家に送り届けます。そこで体力が続く限りは付き合うことになりますね」
と、言っても先程の話のとおり一日はもたない。
余命はあと一日もないのだと告げるようで、心苦しさが絶えなかった。
けれど、魔法を覚えたての人間が延々と死体を動かし続けるというのも無理な話だろう。
死霊術師の大家であるハルアジスは、二重三重の意味で頼れない相手だ。それに下手な接触を試みれば、自分の身すら危うくなってしまう。
竜の呪詛を解く必要がある以上は、非情ではあるがそこまでが限界だった。
「その後、冒険者ギルドなり酒場なりで不治の呪詛の使い手について情報を集めます。ドラゴンさんに一泡吹かせた存在なんですから、周囲はそのネタで盛り上げているでしょう。情報を得ること自体は難しくないと思います」
あいつにひと槍入れたやったぜ! と盛り上がるのが冒険者像だ。
そうでなくとも、全員が現場を目撃したわけではない。どこのどいつがやったんだという話は大いにされることだろう。
その予想は竜もしているらしく、確かな頷きが返された。
『うむ、そうであろうな。その事件以後に戻った冒険者として振る舞えば、さほど怪しまれることもなく情報を得られるはずだろう』
「はい、そうなると思います。その後は――……」
順を追って考えていたカドは、流れのままに呟いた。
けれども、それに続くものがないことに気付いて次の言葉を発せられなくなる。
思えば、街で行うことなんてほとんどなかったのだ。そこまで改めて言わせるつもりだったのかと、カドは竜を見た。
竜はその様子を見つめ、静かに頷いた。
『そうとも。その後など、ない。我と汝の縁はそこで終わりであるな』
竜は事もなげに断じる。
この二日間、あれこれと付き合ってきて少しは変わるものがあるかと期待もしていたが、彼の意向は変わらないようだ。
わかってはいたものの、少なからず衝撃を受けていると、竜は少しばかり同情をした目になる。
『カドよ、その考えが間違いなのだ。一度言ったが、人は人の群れで生きるもの。命を助けられたと言っても、それは偶然が成した巡り合わせだ。そんなものがあったからと言って、我に傾倒しようだとは思うでない』
「……」
確かに助けられたからこそ、そこの縁が最も大切になってしまった。
冒険者の敵をしていた竜に好意を抱くなんて、ストックホルム症候群のようなものだったかもしれない。
あの時、後で駆けつけた女性の騎士がハルアジスの手から救ってくれていたとしたら、また違った思いを抱いていたことだろう。それはわかる。
だが、割り切れない。
何よりストックホルム症候群とは違い、この竜は本当に良い存在でもあるとよくわかったからだ。
冒険者の街の襲撃にしても、人を殺しに行ったわけではない。何らかの警告をしに行き、邪魔者は蹴散らしたというだけである。
そんなことを思っているのが物言いたそうな雰囲気に見えてしまったのだろうか。
竜はため息を吐いた。
これでは下手なことをしかねないとでも思われたのかもしれない。
『どうあろうと、我は最初に決めた以上の事を必要とはせぬよ。しかし、汝の信頼に敬意を表し、多少、物を語るとしよう。我はな――』
ああ、これはきっときっぱりと別れを告げるための口上なのだろう。
この竜には人との関わりにきっぱりと線引きをするだけの過去があったのだ。恐らく、それはハイ・ブラセルの塔の故人に関係あるに違いない。
カドは静かに耳を傾けた。
『我は昔、馬だった』
耳を傾けるどころか、カドは体が傾いだ。
「……いや、あの。えぇ……?」
ちょっとそれについてはどう反応すればいいのかわからない。
そんな顔を向けていたのだが、竜は大真面目に言葉を続ける。
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