竜と少女の生き急ぎ Ⅱ
『そうとも、この姿からは想像できぬだろう。だが、そうであったのだ。そうだったものが、こんなものに成り果てようとしたから、多くの事があったのだ』
幻想種は人の天啓のように加護を得て強くなれる。だが、それは良い事づくめではないのだろうか。
そんなことを思いながら見つめていると、竜はアルノルドを咥えて背から下ろした。
そして以前、彼の三十メートルほどもあった巨体が今の十メートルサイズまでスケールダウンした時と同じく、魔素が剥がれ落ちて別の姿が現れる。
そこに見えたのは、確かに馬だった。
体高二メートルを超え、重種馬よりもさらに一回り大きな月毛の馬だ。
けれども普通の見かけではない。体には一部竜のままの鱗と、角まで残っている。
この姿はユニコーンではない。最も近いもので言えば、麒麟だろうか。
『我はある家の馬だった。元より多少特殊ではあったが、それがさらに加護まで得て変異を始めたから人々に恐れられたのだ。そうさな、悪魔払いが来るどころか、雇われ冒険者が殺しに来たほどだった。それでも撃退しながらしばらくはまともな生活ができたのだが、限度というものがある。人は群れて生きるもの故な、その家も我という厄介者がいると迫害され始めた』
その流れは無理もない。ある意味、魔女狩りと同じだ。
『やれ、不吉を呼ぶ前に殺せと声高に叫ばれ始めた時にはもう、我は身を引くべきかとも考えた。如何に居心地が良くとも、心優しき家主たちには代えられるものではなかった』
思い返しているその表情も、声色も優しい。
彼にとっては本当に良い家族だったのだろう。
『けれど、我が家を去る前に娘が手綱を引いてきたのだ。一緒に旅に出よう、とな』
それを語られた時、カドの胸でずぐんと何かが疼いた。
ああ、きっとそれが答えなのだろう。
自分はこのハイ・ブラセルの塔で魔素を得て生まれ、容姿も微量ながら引き継いでいる。生前の記憶とも言うべきものが反応したのかもしれない。
「誘われて、嬉しかったんですか?」
『うむ。家や人の群れを捨てるなと怒りはしたのだがな、嬉しくないはずがあろうか。牧野を走るだけではない。外の世界を初めて駆けたその瞬間は心躍ったとも』
そこまで語った時、麒麟だった姿にまた魔素がまとわりついて竜の姿に戻った。
今の彼にとってはこの姿こそが基準になってしまったのだろう。
『そうして流れ着いたのが、この境界域だ』
竜の声色が少しばかり変わってきた。
リリエは過去を聞いたことがあるのだろう。その結末を知っているからか、重い表情を浮かべている。
わかりきっていることだ。
竜が拒む理由になる通り、この話の終着はバッドエンドしかないのである。
『徐々に竜と化していったが、冒険に困るものではなかった。前人未到の領域も開拓し、形ばかりだった表層の街も大いに発展した。英雄と評されるほどの活躍だったとも。誰にも認められる存在にでもなれば、大手を振って故郷に帰れるだろうと彼女は我に夢を語り聞かせていた』
幸せの絶頂とも言える時期だったんだろう。
彼の目は遠い日を懐かしんでいた。
それがずっと続けば良かったが、竜は『だがしかし』と自ら終わりを口に出す。
『甘い夢を見ていたものだ。生き急ぎ過ぎたのであろうな。我らは、ただ生きるだけで満足していれば良かった。――否。我を生かすために、あの者まで付き合う必要はなかったのだ。この境界域を踏破せんと深層に挑んだ結果、あの者は命を落とした』
それこそが竜の後悔なのだろう。
彼は口惜しそうに眉間に皺を刻んでいた。
「それで生まれたのが、あの塔の剣なんですね?」
『然り。そして、我はそう成り果てた彼女を、故郷に埋葬してやることすらできなかった。深層から遺物を持ち帰ったは良いが、この境界域を独占しようと集まった人間が張った障壁のせいで外に出ることができなくなってしまっていたのだ』
そう言われて、カドは竜がアッシャーの街に来た時を思い出す。
彼のブレスは確かに空の障壁か何かに阻まれ、散っていた。あれが彼の語るものなのだろう。
「閉じ込められてしまったこと、恨まないんですか?」
『不満はある。だが、我を通さんと暴れ狂えば人の営みは崩れよう。彼女はそんなことは望まぬよ。尤も、彼女を故郷に帰すことを諦めたわけでもない。我に出来ぬとしても優秀な冒険者が彼女の遺物を入手し、故郷に送り届けてくれさえすれば良いのだからな』
「……あ。だから冒険者を助けているって話があったんですね」
それは、アルノルドが語っていた事だ。
世話になった故人を故郷に帰したい竜は、人類の最高到達者だったハイ・ブラセルの塔の遺物を打倒し得る人物を育てたいのだ。そうして遺物の担い手にでもなってもらえば、いつかは彼女の故郷に帰してやることもできるのだから。
冒険者を助けているというのは、それに繋がるからこその行為なのだろう。カドはようやく理由を理解できた。
だが、同時に生じた疑問もある。
「でも、ちょっと待ってください。手助けしてくれるんなら冒険者としては大歓迎ですよね。外に出してくれないことといい、なんで融通が利かなかったり、街では争いになったりしたんですか?」
問いかけたところ、竜は初めて言い渋った。
すると、聞くに徹していたリリエが口を開く。
「それはね、人の都合のせいよ」
「人の都合?」
「ええ。この境界域に集まった人にとっては、もちろんこの境界域が経済の中心になっているのはわかるでしょう?」
それはよくわかる。
リリエが助けた村人や冒険者は境界域の産出物から生まれた利益で生活している。
地上の人間はその村人や冒険者のためのサービス業や、産出物目当ての行商だ。
魔物という危険な存在が出るのにこの地に住み続ける理由なんて、この他にはないだろう。鉱山都市と同じことである。
「その話について語るには、冒険者の話をまず思い出してほしいの。純系と混成の二種がいるって話をしたでしょう?」
「はい。自分の才能で生きる人と、お金で過去の英霊を元に冒険者としての素体を作って、それを操る人ですよね」
自分の才能だけで生きていける者ばかりではない。
だから、過去の優秀な人材に似せたアバターを冒険者にできるよう、街のお偉いさんである五家が頑張ったとかそういう話だったはずだ。
思い出したことを口にすると、リリエは頷きを返してくる。
「私たち天使はね、純系冒険者に天啓を与えるだけの存在だったわ。でも、利益を重視する人間がそこに手を加えたのよ」
リリエは苦々しそうにそれを語る。
けれどカドとしては理解ができない。不滅のアバターで、しかも優秀な人材をより輩出しやすくなるのだ。人道的な上に、利益にもなっているので悪い事とは思えない。
「費用が掛かる以外は良い事づくめに思えるんですけど、それのどこが悪いんですか?」
「二つの問題が生じているのだけれど、混成冒険者の作られ方から順を追って説明しましょうか」
複雑な話になるのだろう。リリエはそのように前置いてくる。
「地上の街にある管理局と呼ばれる施設には、過去の優秀な人材の遺物が保管されているわ。そこに所属する天使と、五大祖の人材はそれから発生する魔素に冒険者の魔素を混ぜて傀儡を作っているの」
「はい。それを操作するわけですよね。僕の体と同じです。器にしているか、遠隔操作にしているかって差しかないんじゃないですか?」
「そうね。けれどその差こそ、重要なのよ。まずここで一つの問題が生じているの」
リリエは指を一本立てる。
「魔素はね、万能の要素よ。何にでも変化するし、記憶や感情まで内包する魂の欠片でもあるわ」
リリエの言い分の通り、たった今も竜の言葉に体内の魔素が疼いたくらいだ。それは実感すら伴って理解できている。
「強い精神を持っていたからこそ形が残った遺物と、凡人の魂が掛け合わされて新たな肉体ができるのよ? 適合率が低かったり、心の強さが負けたりすると、混成冒険者は体を乗っ取られることさえあるわ。そうして自我すらも曖昧で、徘徊するようになったのが
「アッシャーの街の麓にいたやつですか……!」
記憶にも強烈に残っている。
あの幽霊じみた存在は、竜にも損害を与えた強敵だった。
新しいジョブに付いたはいいが、自分と過去の英雄の相性が悪かったので成長率も悪い上、体を乗っ取られた。そんなゲームがあったら最悪である。
金を払いさえすれば安全に冒険ができるとはいえ、凶悪な魔物じみた存在に変異する危険性もあるなんて実用していい技術とは言いにくいところだ。
「まあ、それだけなら強い人がチームを組んで倒せばいいわ。ただ、もう一つが厄介な問題なのよ」
「二つ目の問題ってやつですね」
「そう。このハイ・ブラセルの塔然り、遺物がその形を留め続けるには大量の魔素が必要になるわ。自然界であれば、迷宮が生まれて魔物や幻想種を引き込んで形を維持するものなの。じゃあ、地上の管理局はどうやって複数の遺物を管理していると思う?」
「えーと、人間や幻想種みたいなのを生贄に捧げる?」
この便利システムは人間の命を糧に働いていたのだ! なんて衝撃的真実を隠していたゲームは少なくない。
それが記憶に残っていたからか、カドは何気なく答えた。
すると、リリエはびくっと身を震わせて身を引く。
彼女は本気で心配した顔になり、肩を掴んできた。
「あ、あのね、カド君? 当たらずも遠からずなのだけれど、そこまで猟奇的ではないわ。君はそんな子じゃないとわかるけれど、一応言うわ。そういうことはやっちゃダメな部類よ」
酷い目に遭った影響で、ハルアジスと同じ外道に落ちるのではと心配されているらしい。
アルノルドの命を助けようとしたことで信頼は得ているようだが、それでも傍目から見ると危ういのだろう。
死霊術師という適正といい、日頃の言動にはもう少し気を付けるべきかもしれない。
それはともかく、話は元の方向に戻る。
「正解は、混成冒険者そのものよ。冒険し、魔素を蓄えたその体を管理局で分解し、遺物の餌と、次の混成冒険者の素にしているの」
「なるほど。そういうことでしたか」
「わかった? 大丈夫よね……?」
お姉さんは心配ですと顔に書いたリリエはおどおどと問いかけてくる。
ここで否定しようが何しようが、この心配はなかなか解消しそうにない雰囲気だ。
竜もこのままでは話が滞ると考えたのだろう。彼は使い物にならなくなったリリエを他所に、話を引き継ぐ。
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