化け猫 直腸脱 Ⅰ

 ハイ・ブラセルの塔内部は案の定、特殊な世界だった。


 一応、塔の内部ということで壁は見えるのだが、空間は明らかに外観より広い。二、三倍程度はあるだろうか。




 地底だったはずなのに空があった境界域第一層を見てから言うのも何だが、ここでも空は青く、天井というものがない謎空間だ。


 塔という概念が全く通用しないので、どうやって進んでいけばいいのかわからない仕様である。


 これで道でもあってくれればいいのだが、目の前に広がるのは草花が茂る草原だ。どこかの片田舎にでもありそうな雰囲気をしている。




「うん、もう空間が捻じ曲がっているとかそういうことは気にしませんよ」




 カドはもう見慣れたと驚きはしない。


 するとリリエが、ふふっと笑いを漏らした。




「もしかしたら塔の姿というのは見せかけだけで、黄竜に渡された本のように私たちは取り込まれているだけかもしれないわね」


「なるほど。そういう理屈だったら、その迷宮ごとに全く違う様相でもおかしくないかもしれないですね」


「まあ、千差万別よ。迷宮はこういうものと割り切って、柔軟に理解していくしかないわ」




 リリエの言葉に、竜も頷く。


 年長者である彼女らがそうと言うのだからそういうものなのだろう。




 頷きを返していると、ドラゴンは歩を踏み出した。


 リリエが彼に乗ることはない。彼女はもし何かあった時に迎撃に走るつもりなのか、すでに大鉈を手にして歩いてついてきている。




『流石に低い階層では弱い魔物や幻想種しかおらぬ。先に進むぞ』


「進むというのは良いんですけど、どこにどうやって進むんですか?」




 カドは疑問に首を傾げる。


 天井がないので、上の階に続く入り口というものがわからない。当てもなくさ迷うのではないのだろうか。


 疑問に思っていると、リリエが補足をしてくれる。




「迷宮によってちゃんと階段があるものもあるわ。それらしきものが見えない場合でも、大抵は魔素の流れを見ればわかるのよ。この迷宮はあくまで遺物が作った捕食器官みたいなもの。栄養は本体に流れないとダメでしょう?」


「なるほど」




 目を凝らして魔素の流れを見ると、この場から真っ直ぐ行った場所に突き立った一枚岩に集まっているのがわかる。


 疑問は解消したかと視線でのみ確認してきた竜は先を見つめた。


 翼を広げ、飛び立つ。




 牧歌的な風景だ。ちらほらと生物は見えるものの、凶暴そうなものはいない。鳥や小動物、草食獣、あとは草食の恐竜と思しき存在が見て取れる。


 ただし全部が全部弱いかと言えば答えは否。


 この階層では、青い水晶を背に生やした大型のトカゲが蒼――第三層の魔素を持っている。しかし、あれは輪郭がぼやけていることから、魔物であるらしい。




 現在カドが抱えているアルノルドの忌み子状態よりあのトカゲの方が強いのだろうが、何かの冗談のようだ。


 この目がなければ安易に挑んで死にかねない。迷宮の恐ろしさというものを垣間見ていた。




 しかし、そうしてただ見回しているだけでも時間が余ってしまう。何かすべきことはないだろうかと考えたカドは手付かずだったことに思い至った。




「あ、そういえばアルノルド君本人には僕らの予定を話さずじまいでしたっけ」




 忌み子状態だった彼を延命し、目を覚ましてからは名前と出身を聞いただけであった。


 説明不足のまま連れ回されては不安にもなるだろう。


 配慮不足を反省し、彼に話しかける。




「寄り道になってすみません。実は僕自身、ちょっとあまりよろしくない身の上なんです。いざこざを防ぐためにも、ここで使い魔を手に入れてからアッシャーの街に行きたいと思っているんです。すみませんが、付き合ってください」


「話から、なんとなくわかっ、てた。大、丈夫……」


「ありがとうございます。できるだけ早く解決できるように頑張りますね」




 そんなことを話しているうちに、件の岩に到達した。


 近づくと岩の正面が歪み、空間の裂け目が生じる。


 どうやらこれが次の階層への階段ということになるらしい。




 それを越えると次に広がったのは自然に飲まれた街だ。


 今度は第一、第二層の魔物と野生動物しか見られない。上空からそんな様子を確認すると、そのまま次の階層を目指す。




 風景はがらりと変わり、迷宮らしい洞窟が前に開けた。


 三種三様の風景を目にしたカドはこの法則のない風景に対して疑問を抱く。




「これって生前の心象風景や記憶に結びついた土地だったりするんですか?」




 竜を見ても後頭部しか見えないため、リリエに目を向ける。




「あ、ええと……」




 話を振ってみると、彼女は答えにくそうにして竜に視線を向けた。


 彼の様子を窺っているようである。




『そのような場合が多いと聞く。さて、次の階層で良かろう』




 竜は深く語らなかった。


 リリエの反応からして、カドには状況が理解できた。


 この塔は竜と関係があった人物の迷宮なのだろう。そんな個人の記憶を垣間見るような内景なのであまり喋る気にはなれないらしい。




(僕は部外者、ですもんね)




 理解しているとも。


 竜は心優しい存在だ。だからこそ、カドが人の群れに戻れるように敢えて距離を置こうとしている。


 今は不治の呪詛を解くという目的があって行動を共にしているが、それが終われば縁もそこまで。そうするために、踏み込ませてはくれないのだ。




 そこには複雑な思いを抱きながら、周囲を見回していた。


 先程までと同じように空間の裂け目を潜り、次の階層に向かう。




 そこで待っていたのは、空に島が浮かんだ光景であった。


 物理法則が通じていないのはいつものこと――なんて思っていると、懐に抱えていたアルノルドがびくりと身を震わせた。


 彼はこの風景に目を見開いている。




 その反応から、カドは思い出した。


 そう、境界域第二層は確かこんな世界観であると聞いていた。




「ドラゴンさん、もしかしてここの風景は第二層のものですか?」


『うむ。冒険者として踏み込んだ者は忘れぬであろうな。第一層はまだまだ生易しい。境界からこちらに馴染むまでが冒険者としての第一のふるいであろうな』




 竜は語る。


 その落伍者であるアルノルドの末路を目にしたカドとしては、それが単なる脅し文句とは思えなかった。


 重く受け止めると共に、アルノルドの肩に触れる。




「辛い思いをさせてすみません」


「気に、しなくていい。自業、自得。家族のため……危ないの、わかっ、てた」


『二人とも、警戒せよ。せめて我から振り落とされない程度には気を張るのだ』




 声色からして沈んでいたアルノルドに同情の目を向けていたところ、竜は注意を促してきた。


 それによってカドは気付いた。周囲の茂みに十数頭の魔物が隠れているのだ。


 けれど第一層相当の魔物である。竜とリリエにとっては敵ではない。




 右翼についてはリリエが受け持つらしい。彼女が手を掲げると翼から羽根が抜け落ち、魔物に向かって放たれた。


 それはまるで機銃の掃射である。一瞬にして魔物は細切れとなって散った。


 翼に関してもそれで禿げるわけではない。魔力によって形成されているらしく、すぐに補完された。




 竜は左翼を迎え撃つ。


 彼は魔法を駆使することもない。口に炎を溜めたかと思えば、それを茂みに放って魔物を消し飛ばしていた。




 どうやら竜は炎も吐けるらしい。


 それを自分の目で確認したカドはどのような構造なのかと、彼の口に熱い視線を向ける。


 すると、竜に半目を返された。




『カドよ。汝の責務は覚えておろうな?』


「ここで幻想種の手当てをして従者契約をします。ハイ、覚えていますとも。でも、口を火傷して困った時はいつでも言ってください」


『この世では、口を焼く竜とは愚か者を指す慣用句だ。そんな竜はおらぬよ』




 全くもって残念な真実を告げてくれるものだ。


 なかなか機会には恵まれそうにないことにカドは落胆する。




 そんな間に竜は飛び上がり、周囲を見回した。


 この階層に手頃な幻想種はいないかと探しているのだ。




『……む』




 きょろきょろと見回していた竜は一転を見つめた後、小さく唸った。


 いいものを見つけたとは言えない雰囲気である。気になったカドはその視線の先を追ってみた。




 すると、森の手前に巨大な猫を見つけることができた。


 その猫は妙に尻を気にして舐めている様子である。




『あれは第一層の幻想種であるな。しかも汝の身丈より巨大だ。目的の使い魔にはそぐわぬ』


「そうなんですけど、見つけた以上は放っておくというのも嫌なところですよね」




 せめて症状を確認してみるくらいが人情というものだろう。


 見捨てにくいという空気を伝えてみると、竜はひとまずそちらに飛んでくれる。


 しかし、猫の直上を取るところまで来ると、そこは野生の生物だ。機敏に察知してこちらを見上げると、森へ逃げ出そうとした。




 リリエはそれを先回りして道を塞いでくれる。


 それで猫が立ち止まったところに竜が着地し、挟み撃ちをする格好となった。


 まるで虎のように大きな化け猫だ。けれども大きさにしても魔力にしても大差があることは感じ取っているのだろう。


 尻尾を丸め、リリエと竜を交互に見やって逃げる隙を探している。




『鎮まるが良い。汝を傷つけるつもりはない』




 竜は意識の共有をもって意思疎通を図る。


 どう足掻こうとも逃げられぬ状況というのは化け猫も感じ取っていたのだろう。


 警戒をするように低い声で唸りながらも竜と何言か交わし合うと、ようやく逃げる姿勢を解いた。




『理解した。カドよ、どうやらこの者は魔物と遭遇した折、体当たりをされたらしい』


「あらら。それで下半身が痛いとかですか?」


『遠からずであるな。この者は尻に問題を抱えたそうだ』


「尻に?」




 言われたカドは竜から降りると、化け猫の反応を見つつそろそろと近づく。


 そしてその尻を見て納得をした。




「ああ、なるほど。体当たりをされる瞬間に身を強張らせた上、衝撃があったから出ちゃったんですね」




 状況を把握したカドはうんうんと頷く。


 化け猫が問題を抱えているのは尻――それも肛門だ。




 腸粘膜が肛門から外に脱出し、炎症によって充血している。


 これは恐らく、直腸脱と呼ばれる症状だ。


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