1日目 夕方 獣医の本領発揮計画

 カドはアルノルドを崩壊した建造物にもたれかからせる。


 人形のような扱いになって申し訳ないが、彼を自由に歩き回らせるほどの余力はないのだ。今はとことんまで節約し、最後におまけができるくらいが最善の運びだろう。




「すみません。辛かったりはしないですか?」


「大、丈夫……。あり、がとう」




 問いかけてみると、彼は返答してくれた。


 それを聞いてひとまず安心した後、カドは竜に近づいていく。




「昨日ぶりです、ドラゴンさん。それで咥えているそれは何なんですか?」


『あ奴の言うとおり、汝に渡すべき代物だ。受け取るが良い』


「それはどうも」




 リリエが手を取って示してくれた本は本当に言葉通りの贈り物だったらしい。


 わざわざ用意してくれた配慮だ。カドはそれをありがたく受け取る。




 黒い革の表紙に、辞典と同じく分厚いページ数。それに丈夫そうな栞紐の先には金属の塊がついている。


 妙に豪勢な装丁に圧倒されつつ、表紙を捲った。




 目次らしきところにはこの世界の言語で索引が書かれているのだろう。しかし読めないのでさっさと先に繰り進める。


 図鑑と同じく各種装備の絵柄と、その説明が書き連ねられたページが見えてきた。




 しかもこれらの装備には見覚えがある。確か塔の屋上で拾い、竜に預けた物品だっただろうか。


 疑問に思って竜の顔を見つめる。




「これは一体何ですか?」


『かつて我に挑んだ者が落とした代物だ。これも一種の遺物。魔素を含む物体を内に取り込む性質がある。迷宮とはまた真逆の在り方であるな』


「ははあ。つまりは便利な収納袋?」


『然り。魔術師は己の魔法を強化するために様々な触媒を収集したという。汝にとっても、それは重宝することとなろう』




 確かに、元の重さも関係なく収納できるというだけで非常に便利だ。


 試しに剣の絵柄に触れてみるとそれはページから浮かび上がる。


 そしてその剣を本に近づけ直してみると、如何にもここに入れてくださいというようにページの欄が光った。


 押し当ててみると剣はずるりと引き込まれ、再び図鑑のような見かけとなる。




「なるほど、ありがとうございます。活用させてもらいますね」


『うむ』




 竜は鷹揚に頷いた。




『して、これからの動きは如何とする? 当初はこの塔で手頃な幻想種を使役するか、傀儡にするという話であったな。加えて言えば、汝がそこな忌み子を養っておれば、疲労によって状況は刻々と変化するであろう。カドよ、今の状態はどうだ?』




 竜は問いかけてくる。


 その内容についてはリリエも気にしていたのだろう。顔色などをつぶさに観察してきた。




「疲労的には全力で勉強し続けているみたいですね。頭がぼうっとするというか、痛くなってくるというか」


「そうね。低位の魔法でも使い続ければ疲労は溜まるわ」


「はい。そこについてはひとまず状態によって臨機応変に対応という形にさせてください。夕食まではとりあえず大丈夫だと思います」




 このように何もしていない時ならばいいが、これから塔の内部に入って気を張れば疲労度が加速度的に上がることだってあるに違いない。


 竜とリリエもそのようなところだろうと予測していたようだ。




『残存魔力についてはどうだ?』




 魔法を使う上では精神力のみならず体内魔素――魔力も消費する。このどちらが欠けても魔法は成立しないため、これも必要な情報だった。


 これは量としては非常に捉えにくい。例えるなら、現在の活力はどのくらいあるかイメージするようなものだろうか。




「同じく、徐々になくなっていっている感じですね。でも、しばらくは大丈夫そうです」


『ふむ。それについては塔の内部で魔物を狩れば補充はできる。しかし精神力は補いようがない。気を付けよ』




 空腹についてはご飯を食べれば何とかできるが、精神的な疲労については栄養ドリンクなどを飲んでも回復するわけではない。一時的な誤魔化しができるだけだ。


 アルノルドを生かすために微弱な魔法を使い続けている以上、回復は望めない。


 心していると、リリエが顔に人差し指を向けてきた。




「気を付けるといえばもう一つ。カド君はこの塔の頂上も見たのよね?」


「はい。それが何か……?」




 これほど念を押すように確認してくることからして、風景についての問いではないのだろう。あの頂上における特殊な何かを聞いてきているのだろうか。




「そこの大気中の魔素を見たのならわかると思うわ。この塔――というより、迷宮全般はね、遺産と同質の魔素まで発生しているの。ただし注意すべきなのは魔素がどこも斑状なこと。無論、遺産の傍が最も深層の魔素が多いのだけれど、それは入り口から徐々に増えていくという感じなの。つまり、何が言いたいかわかる?」




 カドは今まで教えられたことを元に思考する。


 魔素が入り混じっているからこそ生じる問題――。何かあるだろうか?




「うーん、魔物……ですか?」




 まず危険といえばこれが思いついた。


 後付けとなってしまうが、魔物は魔素が形となって自己の存続のために襲い掛かってくる存在だという話だ。であれば、この辺りが妥当なはずである。




 答えは適切だったらしい。リリエは頷きを返してきた。




「正解よ。魔素を元に魔物が自然発生する。ということはごく稀にだけれど、迷宮の入り口付近にその迷宮の最強レベルの魔物がいたりするのよ。五層の魔物なんてまともに相手をするべきではないわ」


「それはそうだと思うんですけど、強い魔物なんですよね? そういうものをもし倒せたら経験値的に美味しくないですか?」




 一般的な冒険者の場合はその層ごとの特殊な存在を倒さなければ次の層の魔素には順応できないらしい。




 ただし、カドに関しては別である。


 元々、五層の魔力を有しているのだ。それもできると考えてしまった。




 しかしこれは安易な考えらしい。竜は『出来ぬな』ときっぱり否定してきた。




『良い例が思い浮かばぬが、そうさな。酒豪のドワーフさえ昏倒せしめる重い酒があったとしよう。軽い酒ならば童であろうと口にできるが、いきなりそんなものを口にすればどうなると思う?』


「そういうことよ。もしくはカド君がアルノルド君を助けようとした時に腕に起こったことが全身で起きるかもというところね」


「あー……」




 許容量を超え、崩壊しかねない。そんな感じらしい。


 自分はまだ生まれたてで脆弱だ。




 確かに、第二層相当の忌み子の魔素の吸収や、第三位階魔術を目指して第一位階魔術の複数行使をしたところ限界が来た。


 一層違えば実力が数倍違ってもおかしくないという魔素をいきなり取り込めばどうなることか。その意味がよくわかった。




「惜しいですね。ということは僕がもっと熟達していたらドラゴンさんの生き血を啜って回復とかもできたかもしれないわけですか」


「ええ。尻尾を焼いて食べたりしても良かったかもしれないわね」




 惜しいことだと悔やむカドに、リリエが悪乗りする。


 そんな二人に対して眉間に皺を寄せた竜は尻尾を体の後ろに隠した。




『話は決したであろう。塔の内部では気を付けよ。従者契約をする幻想種の目星でもつけておくが良い。寄り付く敵は我らで払おう』




 話があらぬ方向に進む前に片付けたかったのだろう。


 竜はカドを咥えると、自らの背に乗せた。そしてアルノルドにも歩み寄り、彼をカドの前に乗せる。




「僕も戦闘を頑張らなくていいんですか?」


『良い。――というより、それ以前に汝はその子供の生命維持で手一杯であろう。従者契約でも力を使うのだ。無駄な労力は避けるに越したことがない』


「そういうことよ。安心して? 二人掛かりなら大体の敵は凌げるわ」




 リリエはそう言って、翼を大きく広げる。


 確かにこんなに強い二人なのだ。手出しはかえって足手まといになってしまうだろう。


 お零れに与かるようで悪いが、ここは頼りにさせてもらう。




『カドよ、我が知る限りの従者契約についても語っておこう』


「何かコツとかあるんですか?」




 使おうとした際、『自分と対象に縁を結ぶ』というイメージは脳裏に浮かんだのだが、それくらいだ。とりあえず手頃な相手を見つけて使ってみるまではわからないかと思っていた。




『従者契約とは、双方向に同意があって初めて成り立つ術式だ。その本質は魔素の変換と、その引き渡しのための回路を繋ぐだけの酷く単純なものである。強制的に相手を使役する魔法は精神魔法や呪術の類となり、根本的に異なるのだ』


「というと、つまりどういうことですか?」


『相手に汝を主と認めさせる必要がある。力によっての屈伏もあるが、低層の幻想種はそこまで好戦的なものがいない。信頼を得る方法については汝が考えるのだ』


「なるほど、そういうことですか」




 ゲームではとりあえず倒せば従ってくれる精霊のように都合がいい存在がいたものだ。けれどもそんな武闘派なんてそれこそレアケースだろう。


 竜の言葉を聞いたカドは顎を揉んで考える。




 思考に没頭していると、今度はリリエも語りかけてきた。




「カド君、従者契約はそれが最も難題なの。その魔法を取得しても、どの幻想種とも契約できないなんて人も珍しくはないわ。一日、二日という短い期間だけど、頑張ってね」


「うん、それについては一つ案があります」




 塔内部に入り、幻想種を探すうちにでも考えさせるつもりだったのだろう。竜とリリエは進めようとしていた一歩を急に止めた。


 いや、そんなすぐに思いつく訳が――と懐疑的な顔である。


 しかしカドとしては十分な自信と、勝算があった。




「二人共、僕の特技を忘れていませんか? 僕のお仕事はそもそも、動物が対象です。それを対価に信頼を勝ち取りましょう」


『案としては理解できる。だが、安易だ。手負いの獣は多少の傷であれば自ら治す上に、他者を寄せ付けようとはせぬ。そう上手くいくとは思えぬが……』


「病気で困っているのとか、何かがあって調子が悪くなっているのとかはいると思います。それを探してみましょう。数打てば当たることもありますよ、きっと」




 動物には嫌われることに定評のある獣医だが、その例外だってなくはない。


 カドはその意気込みを胸に、拳を握ったのだった。

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