1日目 夕方 ハイ・ブラセルの塔へ

 日暮れがもう間もなくとなったが、カドたちの進行は順調だった。ハイ・ブラセルの塔の姿ももう遠目に確認できている。


 移動時間の最中には長いお叱りがあったり、そのお詫びとしてしばらくはリリエにご飯を振る舞うと決まったり、今後の予定を決めたりしていた。




 それも落ち着けば、会話がなくなってしまう。


 黙りこくっての移動は勿体ないと考えたカドは雑談でもしようと考えた。




「リリエさん。一つ思ったことを言ってもいいですか?」


「ええ、もちろん。何か気になることでもあったの?」


「この飛んでいる姿、傍目から見ると獲物を捕まえたトンボみたいだなって思うんですけどどうでしょう?」


「あのね、カド君……」




 何気なしに問いかけてみたところ、リリエは眉間の皺を深くする。


 純白の翼を持つ天使としては、虫に例えられると沽券に関わるのだろうか。何気ない会話のつもりだったのだが、それは申し訳ないことをした。




 と、思っていたところ、彼女はハッと一転した反応を見せる。


 空を飛ぶ敵に気付いて気を尖らせるとか、目的地に到着したとかではない。


 一体どうしたのかと疑問に思いながら振り返って彼女の顔を見ると、そわそわしたり、ちらりとこちらに目を向けたりと妙な様子である。




 怒りが持続していないようで何よりだ。


 安堵の息を吐いたちょうどその時、カドが抱える忌み子がもぞりと動き始めた。




「そんなことを言っていると、本当にお持ち帰りして食べ――」


「この子、起きたみたいですね」




 気付くと共に言葉にしたらリリエの声とちょうど重なってしまった。


 何か言っていたのだろうかと振り返ると、彼女は首をぶんぶんと横に振っている。




「そうなの!? 良かったわっ。それなら聞けるだけ話を聞きましょう!」


「あ、はい」




 何事もなかったと装いたいのか、リリエは問いかける間も与えないように早口である。


 この勢いを無視するのもマズそうなのでカドは忌み子の様子を窺った。




 忌み子はあれから、中学生程度の少年の形を取っている。


 尤も、彼の手足はほとんどが魔素で補ったもので、本来の肉体は頭と胴体くらいである。彼を動かすには操作魔糸を駆使してやらねばならず、魔力を食ってしまう。だから省エネのためにも動かすことは最小限に抑える方針だ。




 カドは少年を抱える腕を引き上げ、横合いから顔を覗き込んだ。




「う、あ……?」


「目が覚めましたか?」




 彼は目をぱちくりとさせている。


 討伐された直後に体の再形成をされ、意識を失っていたのだ。状況を掴み切れていなくても無理はない。




 カドはあの場所からハイ・ブラセルの塔へ移動中であること、そして、彼の肉体を保つのは数日が限度だという真実を告げる。


 末期癌の患者への告知と同じだ。こんな死の宣告、誰でも辛かろう。


 それを告げられた当初、彼は呼吸さえ忘れた様子だった。




 しかし、徐々に自分の状況を思い出したらしい。


 自分の近い将来の死を認めたかのように落ち着いた。




「あり、がとう……。忌み、子……討伐……当たり前。意識なかった、のに、ここまで戻った……願っても、ないこと……」




 声帯も損傷しているのか、酷く枯れた声が返される。


 討伐されて当然の忌み子。それも自我さえなく暴れ回っていたのに、猶予ができた。それは普通ではありえないことだから、感謝する。そんな意味だ。


 これはせめてもの救いになっているらしい。




 カドは彼に問いかける。




「せめて故郷に連れて行くとか、出来ることはしたいと思います。まず、名前を聞いて良いですか?」


「アル、ノルト」


「アルノルト君ですか。了解です。あと、どこに住んでいたか言えますか?」


「アッシャーの、街」




 記憶にある。


 奇しくもそれはこれからの目的地であり、カドが最初にいた冒険者の街だ。




 それならばこれからの日程的にも問題ない。


 同時に、覚悟する。問題が生ずるとすれば、それは自分の能力の限界故だろう。カドは緊張で息を飲んだ。




 その時、空気を読んで黙っていたリリエが声をかけてきた。




「話のところごめんなさいね。目的地に着くわ」




 話に集中していて気付かなかった。確かに塔はもう目の前である。


 眼下に広がっていた自然が開け、塔の最下層が見えた。




 壊れた鳥居に近い構造物がいくつか並んだ先に、入り口らしき場所がある。その前には竜もいた。


 見慣れない姿だからだろうか。アルノルトはびくりと体を震わせ、緊張する。




「大丈夫ですよ。あの竜は良い竜ですから」


「知っ、てる。あれは人を助けてくれる、竜。冒険者……噂、ある」


「え、そうなんですか?」




 アッシャーの街ではあれだけ総攻撃にあったことからすると、嘘のような話だ。


 意外に思ったカドはリリエに目を向ける。


 すると彼女は頷きを返してきた。




「真実よ。彼はよく冒険者を助けていて、ギルドの息がかかった冒険者以外には好かれているわ」


「なんでまた、そんなややこしい関係になっているんですか?」


「端的に伝えるのは難しいのだけれど、そうねえ。黄竜は人がこの境界域を攻略することを望んでいるから、手助けはしているの。ただし、攻略できればなんでもいいと手段を選ばないわけじゃない。一方、冒険者のお偉方は利益と効率を最重視。だからそりが合わないのよ。結果、足の引っ張り合いとなっているというところね」




 随分と省略した物言いなのだろう。


 竜と冒険者の立場が少しは見えたが、具体的なところは不明だ。




 しかし、このアルノルトは疑問に思った様子もない。つまり、冒険者にとっては有名な話らしい。


 惜しいことにそれを深く確認する時間はなかった。リリエは竜の前に降り立つ。




『来たか』


「ん……?」




 そう言って出迎える竜は本らしきものを咥えている。


 疑問に思ったカドは早速問いかけようとした。だが、それよりもリリエが歩み出す方が早い。




 ああ、そういえば彼女にはやることがあっただろうか。


 素晴らしいエンジェルスマイルを浮かべた彼女はかなりのハイペースで竜に歩み寄る。一歩ごとに表情のメッキが剥がれ、青筋が露わになっていった。




「エーワーズーッ! あなたはなんて子を巻き込んでいるのっ!?」




 軸足の踏みしめ方といい、体重移動といい、リリエは見惚れる型で拳を突き出した。


 瞬間、軸足の地面に亀裂が走り、拳がキュバッと空を切る。


 残念ながらカドの目に移る次元の速さではない。音速を越えたのか、破裂音と共に空気の波が押し寄せたくらいだ。




 だが、竜はそれを尾で器用にいなしたようだ。未だにいきり立っている彼女と面を突き合わせている。




『鎮まるが良い、リリエハイム。確かに我に落ち度があり、ここまで関わらせている。だが、危険に晒すつもりはないのだ』


「わかっているわ。それにあの子が上手くやらなければあなたの身が危険に晒されたのもね。旧知のあなたが死ぬのも嫌だもの。良い妥協点よ、ええ。だけど殴るわ!」




 もう一歩踏み込んだリリエは再度拳を突き出す。


 これは尾では受けきれないと判断したのだろう。竜は前肢を盾に受け止めた。




 体格差もあるのに竜は石畳を一メートル以上も滑る。


 こういう体格の身に縛られない身体能力はファンタジー世界ならではと言えるだろう。




 カドはほほうと感心しながら観察する。


 リリエは二発殴ると言っていた。気が尖るのもここまでである。彼女はため息を吐き捨てる。竜はそんな彼女に視線を向けた。




『もう良いのか?』


「いいわ。カド君、養いたいくらいに良い子だったもの。ご飯を作ってくれたり、洗濯をしてくれたり、マッサージをしてくれたり。文句はないわ」


『ふむ、背を中心によく揉まれなかったか?』


「……? ええ。その辺り、凝るものよね」




 それは出会った当日のことだ。


 確かにお世話になるからと食事は作ったし、すぐに終わることだったのでその他雑用もした。


 ついでに、天使というものの翼はどう動かしているのかということや、人間と骨格筋はどう違うのかということを調べるためにもマッサージを言い出した覚えはある。




 それについて好意的に解釈してくれているのならwin-winだ。


 竜はちらとこちらに視線をくれていたが、気にしない。世の中には知らないままの方がいいこともある。




『それは良かろう。それで、確か殴ったのは汝の性格を語ったからであったか』


「そうよ。失礼極まりないわ」


『十分に堕落していると思われるが。背徳にも覚えはあろう』


「……」




 竜が言うと、視線を合わせていた彼女はしばし硬直していた。


 その後、静かに顔を背ける。


 彼女はすたすたと歩いてくるとカドの手を取り、竜の口を指差した。




「カド君、プレゼントがあるみたいよ。受け取ってくるといいわ」




 汚い大人の姿をここに見た気がした。

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