竜の大腿部止血。呪い付き Ⅳ
「ちなみに、この呪詛も永遠に持続するわけではないですよね。どれぐらい耐えれば効果が消えるんですか?」
『術者の練度にもよるが、効果は極めて長い。大概は術者を討つか、衰弱死するほうが早いであろう』
「魔法って、術者の魔力を燃料に効果を出すものだと思ったんですが、そうでもなかったりします?」
『多くの魔法はその認識で正しい。だが、精神操作、呪い、契約、封印等に関する魔法はその限りでない。対象の魔力そのものを燃料に効果を持続しておるのだろうな』
「なるほど、だから傷周囲の色合いが変わっていたわけですね。大体わかりました」
竜の大腿部出血。呪詛付き。
自然治癒は難しく、二次感染による被害は大きな懸念材料。
焼いたり、結紮したりすることによる止血は有効。ただし、それによって損傷した組織を増やすこともまた細菌感染の増悪材料となる。
こういうことらしい。
治らない傷というのは案外、扱いに困る。特に抗生物質がない状況ではなおさらだ。
「じゃあ治療をするなら僕に挙げられるのは二択。一つは血管を焼き止めたり、結紮したりして止血。その後、細菌感染を起こさないように処置して、傷が悪化しない内に術者を殺す。二つ目は傷をくり抜いて、治癒できる範囲で無理矢理に傷を塞がらせること。ちょうど耳にピアスの穴を開けるのと同じ方法で治そうぜって話です」
呪詛が及ぶ範囲の部位が治らないのであれば、その外側で塞がるようにしてしまえばいいだけだ。
ただし、竜が傷を負ったのは大腿部。第二の選択を取るとなると、どうしても脚力への影響は出てしまうだろう。
提案する身としては何だが、答えは端から一つに絞られているようなものだ。
「さて、どうします?」
『汝は殺すなどと簡単に言ってのけるものよな』
竜は少々気にした素振りを見せる。
「恩人の命か赤の他人の命かって言うと、迷う必要もないじゃないですか。計算を弾くように答えが出ちゃったので、仕方ないことです」
確かに人らしさを計るとしては失格なのかも知れない。
けれどこんな存在の自分がそれを語るのも妙なことである。
『細かいことを言うのは止そう。汝の判断は実のところ、咎める事態にもならぬよ。それを語るには冒険者という存在と、英霊などの問題について語らねばなるまいて』
殺人までするとなると、本格的に人の道からは外れそうだ――なんて思っていたところ、竜の言葉はそんな不安を解消してくれる。
それにしてもなんだろうか。
竜から向けられる目は保護者か、あるいは親類縁者の心配の目のようだ。
拾った命だとしても、そこまで気にする理由は何だろうか?
カドが疑問に思った時、視界の端に風で煽られた自分の髪が映った。
毛先に向かって黒から茶へと色が変じた髪である。
……なるほど。竜にとってこの塔とそこに眠る剣は、所縁ある存在なのかもしれない。
その面影をどこか引きずってしまったから、より一層気にされているのだろう。
(だったら僕は、この竜のために出来ることをするのが恩返しですかね)
竜自身に対しての、そしてこの身を作ってくれた泉の乙女とやらに対しての恩返しだ。
人の倫理も大切かもしれないが、この世界で命を拾えた自分にとってはそれが第一義である。
今、そう決めた。
「その話は長そうなので、先にどっちの治療方針でいくか決めてもらっていいです?」
やはり流血を目の前に駄弁るのは気が引けるのもある。
処置は早い方がいいのは確実だ。竜に指示をして、電気の魔法で焚き火を起こしてもらう。
戦士の遺留品の兜に溜めた水をそれで温めているうちに言葉にした。
『選ぶとしたら前者であろうな』
「やっぱりそうなりますか。うんうん、となれば僕も協力しますよ。ドラゴンさんは冒険者の街では総攻撃に会うのが確実。となれば、僕がアサシン並みに暗躍すれば、サクッとナイフ一本で終えられるかもしれません」
『――許さぬ』
ざわりと空気が凍てつく声を向けられた。
視野を変えればその正体がわかる。竜が言葉にした瞬間から周囲の魔素がざわついているのだ。
それが真実、周囲に影響を与える威圧と化したらしい。
「それはどうしてか聞いてもいいですか?」
『どうもこうもない。人は人の群れで生きるもの。術者を害せばその群れにいられるはずもなかろうよ。我と汝の関係は人には知れておらぬのだ。そこまでする必要はない』
「なるほど。むしろ迷惑ですか」
『然り。聞き分けが良いと助かる』
こう言われるのであれば仕方がない。
善意の押し売りで自分だけ満足したつもりになるのも好ましくないのだ。
では、打開策として何が適当か。その答えくらいは簡単に思いつく。
「よし、それなら僕は人里で情報収集をしましょう。術者の特定と、その行動の把握。そこまでだったら迷惑にならない。ですよね?」
『ふむ。その程度が妥協点か』
「ではそういうことで。互いに無理をしちゃ駄目ですしね」
今後の話についてはそこまでだ。
あとはいらない服の繊維を解いて器具と一緒に煮込んでいく。
手術用の薬、縫合糸、器具などなど、これからも自分の技術を腐らせずに行くのなら準備が必要だろう。
そのことを念頭に置きつつ物品の消毒を済ませると、処置を開始した。
行うことは単純だ。
まず、剣が貫いた傷なだけに創面には焼き止めや結紮ができるほどの空間がない。
このような創面を広げて処置するには開創器と呼ばれる、万力に似た形状の器具を使うのだが、生憎とそんな器具もなかった。
ということで用いるのは盗賊のピッキングツールである。
長い棒状の金属ツール四本を消毒したカドは一本を創面に差し込み、もう一本は腕の外側に添える。
この二本の棒を紐で縛り、反対側でも同じことを行えば傷は◇型に開かれるという寸法だ。
ちなみに、麻酔なしの痛みは我慢してもらう他ない。
ドラゴンさんは強い子。頑張れるはずである。
布で拭いてもすぐに血が浮き上がり、滴り落ちようとする速度は変わらない。圧迫止血を試みようとも、血は変わらずに溢れるという点は厄介だった。
「血管豊富な腫瘍の切除術みたいですね。電気メスとか挟みっぱなしにできる鉗子とかあれば良かったんですが」
こればかりは仕方ないと手にするのは、ピンセットと先端を熱した金属棒だ。
まず布で拭き取り、出血量の多寡から血管の部位を探る。
だが、刃が強引に貫いた傷なのだ。血管が綺麗な管として、ぴろんと見えるかと言えば答えは否。
感触も色合いもほぼ同じ組織に紛れてしまっているのでほぼ見えない。
ピンセットで摘むことで出血量が減れば、そこには血管があると判断し、適宜焼き潰していくという繰り返しである。
大きめの血管さえ焼き止めてしまえば、毛細血管らしきものから針先のように僅かな血が滲み出してくるのみだ。
滴り、伝い落ちるくらいの出血量に比べればまだいいだろう。
「とりあえず止血は完了です」
『手際が良いことだ。汝はこのようなことをしてきたのか?』
「動物相手に治療をする仕事だったはずですね。手技以外はうろ覚えですけど。獣の医者と書いて獣医と読む職業でした」
『得心いった。それ故、汝は人外寄りに物事を考えるのか』
「……ん?」
微妙に違和感が残る返しである。
元の世界とこちらの世界では『人外を対象とした医療』というものはかなり意味合いが違いそうだ。
例えば犯罪者だろうが何だろうが、金次第で治療する闇医者――そんな意味合いで捉えられているような気がしないでもない。
「まー、そういうことでいいんじゃないでしょうか」
少々考えたものの、この竜と付き合う上ではそんな勘違いをされたところで問題はないだろう。
そんな思いが過ったカドは考えるのをやめた。
止血を済ませた後はテキパキと器具を片付ける。
最後に湯で煮ておいた革のバンダナを取り出したカドは、絞って水気を取ると傷口に包帯代わりに巻いた。
「さてさて、これで血の流出はかなり減ったと思います」
『ありがたい。これで数日中にと逸らずに済むか?』
「ええ、その程度は確実に」
カドはこくりと頷きを返す。
「今回の手技のポイントは治らないということです。なので、血の流出だけは止めるようにしました」
『丁寧で何よりだ。おかげで熱した棒で焼き留めずに済んだ。礼を言う』
「そう、それですよ。痛みが少ないというのはもとより、そうやって広範囲を焼かないこともポイントです」
手段を選ばずにいればそれでもよかった。
だが、そうはしなかったことにもちゃんと理由はあるのだ。
「いいですか。傷全体を焼かず、目立つ血管のみを焼き潰したことの最大の利点は死んだ組織の少なさです。火傷なり、壊死なり、死んだ細胞は細菌感染の温床になります。そうしないことが第一目的。続いて包帯や布で覆わなかったことに第二の目的があります」
竜はこの専門話についていけないらしく、座って聞こうとする。
しかしわんこ座りも香箱座りも後肢を折り曲げて圧力を上げてしまうのでダメである。座ろうとする竜を精一杯押し、横臥位を受け入れさせてから話を再開した。
渋い顔をされても受け入れてはあげない。
「今も僅かな血や浸出液が出ています。その新鮮な体液には細菌感染を防ぐ力もあるんです。傷が傷として残る以上、体液の免疫能力で傷を守ってもらうため、液体は吸わないもので覆いました。数日おきに綺麗な水で洗浄しつつ、こうやって革なんかを包帯代わりに外からの異物を防げばしばらくは傷も感染しないでしょう。だからこの間に――」
『術者を討つ、か』
「そうなります。計画を立てていきましょう」
話からするに、治癒のためにはその選択肢しかない。
まあ、そのために人間の命を奪うというなら一考の価値くらいはあったかもしれない。だが、竜の言葉からするに、そこにもカドの持つ常識との違いが隠されているようなのだ。
『そうさな。では手始めに、汝が自覚する術を得てもらう。その上で情報収集に励んでもらうとしよう』
「ほほう。冒険者が使っていた魔法! あんなのも使えちゃいますか!?」
焚火をするにも火打ち石がないとできないとは不便だ。
自分で魔法を扱えるとならば、生活の幅はググっと広がりそうである。
その期待を向けてみると、竜は頷いた。
『大概のものは訓練次第で扱える。何より、汝の魔素は五層の質だ。使える魔法は波の冒険者を凌駕するだろう。その習得のためにも、天啓を聞く必要がある。幸い、古い神殿と天使には心当たりがあるでな、それを尋ねるとしよう』
「じゃあ、移動時間にいろいろ教えてください。天啓とか、神殿とか、天使とか知らない専門用語が溢れているんですよね」
竜はちょいちょいと尾を動かし、背に乗れと指示をしてくる。
それに頷きを返しながら、カドは問いかけるのだった。
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