竜の大腿部止血。呪い付き Ⅱ
まずは何と言っても一般的な動物――哺乳類とは異なるその外皮を見る。
鱗だ。アルマジロトカゲ以上に一つ一つの鱗が立派で、非常に硬質だ。
冒険者が放った攻撃を何発も受けていたというのに白と金を混ぜたような美しい色合いにはくすみ一つない。
一つ一つの鱗が強靭な上に流線型なこと。さらにはある程度の柔軟性があることが防御能力の高さを作り上げているのかもしれない。
しかしその防御力は問題でもある。
「うーん、これはどうやって開腹すればいいんでしょうか」
腹の下でさえ、鱗は頑丈だ。
普通のトカゲであればもっとしなやかなものだが、ドラゴンの場合は鎧そのものである。
亀の甲羅とてどうにか切らなければ内部にアプローチできない。と、すれば必要なことは言わずもがなだ。
こんな存在の治療をしようと思ったらそれなりの準備が必要になっていくだろう。
続いて四肢に目を向ける。
「ほうほう、爪は犬猫と同じですか。黒爪だと切る時に血が出ることもあって厄介なんですよね。野生なら伸びすぎることはないんでしょうけど」
上面に黒い筋が入ったクリアな爪だ。
竜の鉤爪と言えば金属でも引き裂くとの話が創作物でよく出る。
無論、この竜の爪に関しても立派だ。鷲掴みにされようものなら、岩でも穴が開くだろう。
続いて関節部だが、こちらは鱗がコンパクトになっただけで軟という印象はない。
さらには頭を下げてもらい、目や口などの粘膜部分を確かめる。
爪や鱗への注目に関しては黙っていた竜であるが、こうして顔面をべたべた触られ始めると顔を歪ませる。
『傷を見るのであろう? 何故このような部位まで気にするのだ。顔には傷はもらっておらぬぞ』
「そうですね。でも僕――」
口にしかけたカドは不意に動きを止める。
俺、私など、どの一人称が自分であったのだろうか。
……これもよく思い出せない。とりあえず真っ先に口から出た僕という一人称を採用し、続けることとする。
「僕には傷に掛けられた呪いの本質がまだよくわかっていませんから」
『本質だと? 言ったであろう。それは不治の呪い。傷は傷として残り、出血は止まらないのだ。治療術で回復を促そうにも、周囲の肉が覆い込むのみ。刻まれた傷は傷として残り続け、治癒せぬものよ』
「うん、それは症状と治療の試みですね。本質じゃないです。傷が治らなくて血も止まらない――止血作用や肉芽形成が働かない。つまり血管収縮、血小板、凝固因子、血管内皮の状態などなど、どこが狂っているのかというお話です。まあ、竜の体に僕の知識が適応できるのかが果てしなく謎なんですが」
カドが言葉にしても、竜はあまり理解できていない様子だ。
けれども、それは今すぐ理解してもらわなければいけない事柄でもない。こちらにとっての魔法と同じで、知ろうと思うのなら後々噛み砕いていけばいいだろう。
カドは竜の唾液で汚れるのも構わずに口唇を押し上げる。
そして歯茎に当たる粘膜をべしべしと遠慮なしに叩きつつ主張した。
「こうして防御力的に弱そうな粘膜を見て、全身にも出血らしいものがないか確かめているんです。何せ、その呪いがどこに働きかけているかも僕にはわからなかったですし」
『働きかける部位であればわかる。呪詛は媒介にした刀剣が触れた部位のみに作用している。そうさな、先程に汝が見た視界だ。あの中で我の魔素が変質しているのが見えぬか?』
「なるほど、さっきの視界ですか」
見ることに集中すると、世界の見え方が徐々に変じていく。
サーモグラフィーで見る世界のように、色合いの異なる世界だ。紫から青までのグラデーションが多い色の世界に、金色の揺らめきが見える。
燃え上がる炎と上昇気流のように一定方向に揺らめいているのだが、竜の後肢――傷の部位だけは緑の色合いが混ざり、流れも歪んでいた。
「ははあ、こういう質の違いにも意味があるんですね」
『水の流れと同様であるな。己の魔素に他者からの影響を受ければ変化がある』
「もう一つ疑問があるんですけど、色に意味はあるんですか?」
『あるとも。先程発言したように、境界域は深層ほど魔素が濃厚だ。量が増えるのではない。質が変じる。純度が高まるとでも言えば良かろうか』
第一層:紫
第二層:藍
第三層:蒼
第四層:翠
第五層:黄金
第六層:橙
第七層:朱
それぞれの色はこのように見えるらしい。
ハルアジスに五層まで来いと言ったり、色合いが黄金色であることからこの竜は五層の存在であることが伺い知れる。
そして、あの剣もらしい。剣の周囲に漂うのもまた、黄金色だ。
「んん? ということはあの剣になった人はその五層で生まれたってことですか?」
『確かに五層で生まれた存在はそうなるが、あれは違う。そうさな、個人が内包する魔素――魔力は変質する。細かい説明は省くが、各層に存在するある存在を倒して魔素を取り込めば、次の層の魔素に適応できるようになるのだ』
「クラスチェンジのための試練みたいなものですか」
『試練と言えばまさにそうであろう。それを越えなければ深層の魔物を倒そうが、魔素を己のものにできぬからな』
それを聞いてカドは理解した。
あの街にとってこの竜の襲撃は本当に利益がないのだろう。
やたらめったらと強いのに、頑張って倒しても経験値が全然得られないのだ。そんなもの罰ゲームでしかない。
そしてこの話題に関してはもう一つ気になることがある。
「そんな二つの存在からお溢れをもらった僕も黄金色とか、随分な特典ですね」
竜と話している最中にも視界に入っていた自分の肉体。
そこには竜と同色の色合いが確認できていたのだ。
『それについては計らずも得たことではある。汝は非業の死を遂げた上、縁もない世界に放り出されたのだ。こんなものはせめてもの慰みとでも思うが良い』
今まで見てきただけでも文明社会より弱肉強食に近い世界とは思える。まだまだ試せてはいないが、動ける体であることは決して損ではないだろう。
カドはこくりと頷きを返す。
「さてさて、それより傷のことですね。確かに今の話の通り、呪詛の作用は創傷部位に限局しているみたいですね。例えば肝臓みたいな臓器に働きかけて凝固因子が作られないとか、そういう話ではないことが確かめられました」
肝臓の機能不全でも血が止まらないということはありうる。
それは止血において重要な役割があるものが肝臓で作られるからだ。
例えば血小板造血に関するトロンボポエチン、止血の機序で重要なフィブリノーゲン、凝固因子の第II、V、VII、IX、X因子などだ。
ドラゴンが肝臓を持つのか、これに類する因子はあるのかという疑問は残るが、確かめるのは今後の課題だ。
要はこのような直接ではない原因も症状に絡むことはあるので、知る限りの方法で状態を確かめるのは悪いことではない。
「じゃあ傷を見たいと思うんですけど……ふむ」
ここで傷が届かないところに行ってしまったという、最初の問題に立ち戻る。
カドは何か良い足場はなかろうかと、周囲を見回した。
周囲の樹や遺跡のような残骸など、歩み寄れば踏み台にできそうなものはいくらかある。
そんな事を考えていると、竜の尾が足元まで寄せられた。
『乗るが良い。人の体重であれば持ち上げるのは造作もない』
「ほほう、それもできるくらいに力が出るんですね」
知的好奇心が刺激され、視線につい力が籠もる。
実に力強いもので、竜の尾に乗っても揺れることはない。重機に身を任せたような安定感だ。
さて、ここで気になるのが竜――否。幻想種とひと括りにされる生物がの身体能力とその構造である。
象も人を鼻で持ち上げられると言うが、それはあくまで巻き込んで持ち上げている。鼻先に乗った大人を、棒のように伸ばした鼻で持ち上げるなんて芸当はできない。
先端に重りを付けた棒を持ち上げるのが大変なのと同じく、尾の半ばよりも先に乗った人間を安定して持ち上げるなんて普通の動物の肉体では無理だ。
「……仕組みは?」
『うむ、その視線はやめるのだ。肝が寒々としておる』
目を爛々と輝かせて顔を見ていると、背けられた。
これは純然たる好奇心である。何もやましいところがないというのに酷い言われようだ。
しばらくして自分から視線を戻してきた竜はようやく説明をしてくれる。
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