竜の大腿部止血。呪い付き Ⅰ

「寒っ……」




 新しいこの身を腕で抱く。


 ひ弱な人間としてはいつまでも全裸ではいられない。




 気温としては十度台だろうか。風もあるのでかなり堪えるところである。




「うーん、これは最悪の場合、ドラゴンさんの口の中で暖を取る選択肢あり得そうなレベルですね。そこんとこ、どう思います? と思ったらいない……」




 問いかける前に竜はサクサクと動き出していた。


 思い当たる何かでもあるように、その動きには迷いがない。とりあえず服に関しては彼の配慮に甘えることとしよう。




 そんなことより、カドは自分の状態を確かめた。


 腕は二本。足は二本。それぞれの指も五本。肌は黄色系。


 人間の特徴からは逸脱していなくて何よりである。




 あとは個人的な特徴だ。


 胸はなくて、下半身に一物はあるので記憶通りの男と見て間違いはない。


 ――そう、間違いはないはずなのだが、少しだけ違和感がある。想像通りと言うには体の逞しさがいささか足りない気がした。




 気になって自らが浮かぶ水面を覗き込む。


 鏡面のように風景を反射してくれる水面は、この新しい姿を映し出してくれた。




 肉体年齢的には十代後半から二十歳くらいに見えるのだが、妙に童顔だ。


 ふにふにと触って確かめられるのは、肌荒れとは無縁の玉肌である。しかも顔つきは中性的で、美形と言っていい。




「ありゃま。これは驚きました」




 この時点で違和感が否めない。


 いくら記憶の中の自分を美化すると言っても、美形と言える顔ではなかった。世のイケメンって羨ましいとは思っていたはずである。




 さて、それならこれは如何なる異変だろうか。


 気がかりなのは、髪の毛先が黒から茶色にグラデーションとなっていることである。


 元の自分の頭髪は黒色だったという印象が強いことから、これはまるで別の何かが混ざり込んだかのようだ。




 ――混ざる?


 その言葉が妙に引っかかったカドは逡巡し、理由を推測した。




「あ、なるほど。混ざり込んでおかしくないですよね。杖はハルアジスの魔法で加工されてましたし、竜の血をかけられてますし、この迷宮の魔素が材料ですし」




 迷宮の魔素。竜曰く、泉の乙女だったか。


 カドは数歩先の水面に浮く剣を見た。あの物体が集めている力の一部を拝借したはずである。




「もしかして、物凄い美人さんでした? うん。平凡な男とかジジイとか竜とか。表に出ないくらいに塗り潰してくれてありがとうございます」




 美形というのはそれだけで人生がお得と聞く。まさに祝福だ。


 話に言う泉の乙女とやらには感謝の念を込めて一拝を捧げておく。




『存外、汝にも敬いがあるようで何よりだ』




 そんなことをしていると竜がのそのそと帰ってきた。




『丈が合うものを見繕った。ひとまずはこれらに袖を通し、凌ぐが良い』




 複数の物品が目の前にぼとぼとと落とされる。


 どうも解決法は身近なところに転がっていたらしい。


 これは比喩ではない。竜はこの塔の最上階をうろちょろとして、何かを拾い集めていた。読んで字の如く転がっていたのだろう。




 持ち上げてみるに、ローブや衣服などひと通りの物が揃っている。


 武器や野宿などの道具もあることからすると、冒険者の道具一式と見るのが正しいのだろう。




「準備が良いのとは違いそうですね。どうなっているんです?」




 くたびれている――というより、解れてボロっちくなっている装備からすると前々から準備していたとは思えない。


 サイズも仕様もバラバラなのが気になるところだ。




『それらは遺品だ。あの遺物を得ようと挑み、散っていった者達のな』


「なるほど。道理で一式揃っているわけですか」




 腹を横切りに掻っ捌かれたらしい傷がある服を見れば負けっぷりがよくわかる。


 カドは比較的に損傷のない魔導師のローブに袖を通す他、使える道具がないかと冒険者のポーチを漁っていた。




 竜はそれをまじまじと見つめてくる。




『汝は淡々としておるな。同族に憐憫は抱かぬのか?』


「べったりと血痕が残って生々しかったら違ったかもですね。でも、幽霊が成仏したみたいに有機物の汚れが皆無じゃどうにもそれっぽくないんですよ」


『ふむ、その見解は正しくもある。このような場に挑める冒険者の大半は幻想種と似た体の作りになっておるからな』




 盗賊もいたのだろうか。ピッキングキットと思しき金属の棒やピンセットの他、手頃なナイフも見つかった。




 そんな作業がてらだったところに竜は視線をくれている。


 先程は何となく含みのある物言いだった。


 竜との話題よりは道具漁りへの関心の方が強かった自覚はある。そのせいで倫理観を疑われているとか、そんなところだろうか。




 ああ、我ながら人に対する同情はあまり湧いてこない。


 現場に居合わせたり、理不尽な危険に晒されている人相手だったりするなら話は別だろうという思い程度だ。




 杖であった時もそうだが、今もそれは変わらない事からするに、自分という人間はそういう性分なのだろう。


 自前なのか、変質してこうなのかは謎だ。


 まあ、解き明かす意味も見出だせないので、これは迷宮入りでもいいだろう。




『カドよ、冒険者が如何なる存在か語ろう。これは汝が人の群れに帰ることを志す時にも重要になる知識だ』


「いや、そいつは後にしましょう。ドラゴンさんの傷をいつまでも放ったらかすのは良くないですし」




 自分の人間性やこの世界の常識なんてこれから確認していけば良いことだ。


 ひとまずはいつまでも血が伝い続けている竜の大腿部を指差す。




 痛みに慣れているのだろうか。竜は指摘されてからようやく気付いた様子である。




『正論よな。処置は可能か?』


「それも含めてまずは所見を取らせてもらいます。何せこっちは呪い付きの傷なんて知識の範疇じゃないですし」




 さて、この体も試運転だ。慣れなかった目と同様、少しは感覚の違いがあるだろう。




 膝を立て、立ち上がる。


 体重や力加減が微妙に合わず、おっとと声を出してふらついてしまった。


 けれども、調子は比較的良好だ。座ったまま遺品漁りをしている時点で身体の動かし方は大方習得できていたらしい。




 相変わらずわんこ座りをしている竜はこちらの様子を伺っている。




『仔細ないか?』


「大丈夫です。生まれたてみたいで体の欠陥は感じないですね。飛蚊症も全く感じないくらいに良好ですよ」


『その病は知らぬが健康であれば何よりだ』




 肩凝り一つないのだ。健康なことに感謝し、竜に近づく。


 ひとまず傷については後回しとする。先に全身の状態を確認し、竜というものと他の傷の有無を把握しなければならない。




「とりあえず、わんこ座りだと傷に圧力がかかりますし、腹側も見えないから立ってください」


『わんこ、とな……』


「三角座りともちょっと違うし、わかりやすい表現といったらもうこれ一択かと」


『うむ……』




 表現に対し、竜は何かこう、物言いたそうな顔をしてくる。


 だが生憎と人の座り方ではないので良い表現が思い浮かばないのだ。


 こだわられても仕方がないのでさらりと流し、立ち上がってくれた竜の様子を見る。




『それは良しとしよう。だが、汝の身丈では立位に対応できぬのではないだろうか?』


「あー……」




 目の前で見上げる高さになってしまった傷を見やったカドは語尾を濁す。


 戦闘モードだかなんだか知らないが、当初の竜は頭尾長約三十メートルだった。それが英霊からの逃走時に何やら小回りになり、今では約十メートル。


 体高で言うなら象より少々高く、四メートル超えというところだろうか。これはちと厳しいサイズ感である。




「よし。とりあえずそれについては後で。ひとまず全身を見ます」




 周囲に生えた樹でも利用すればよかろう。ダメであれば横臥位になってもらってよじ登るなり、手段はあるものだ。


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