肉体を思い出した結果ですが、何か

 あちらは杖に二匹の蛇が絡んだ意匠で、翼も描かれる。


 自分がここにいられるのは、杖に一匹の蛇が絡んだ杖を、竜が救い出してくれたからだ。とすれば蛇の頭と翼が足されたその意匠は、モチーフとしてまさに適しているだろう。




 幸い、杖が持つ曰く的にもよく似ている。


 であれば、あちらから名をもらう方が縁を感じられそうだ。




《類似品で、カドゥケウスの杖っていうのがあります。ちょうどこの杖に蛇をもう一匹足して、翼をつけた見かけの杖なんですよね。今の自分があるのは竜のおかげだし、ちょうどいいと思います》


『蛇と翼だと?』




 竜はすぐには理解できなかったようだ。


 しかしながらすぐに自分の顔と翼に思い至ったらしい。小憎らしそうに笑い声を漏らしている。




『では、カドゥケウスと名乗るか?』


《いや、一部だけもらって、カドっていうだけがいいと思います》


『ほう、それは何故に?』


《カドって二文字の方がなんかしっくりくるんですよ。元居たところだと、そういう音の方が近しかったんですかね》




 はっきりとは思い出せないが、それで十分だろう。


 竜にしてもこうして名前が決まれば満足のようだった。




『ふむ、それではカドよ。残るは一つだ』


《肉体を再生する理論についてですね。早く。そして詳しくどうぞ》


『汝はアレか。我に適宜修正させたいのか?』




 合っているようでも、そこではないと否定される。


 ああ、もうその答えについては聞いていたからこそのおふざけでもある。




 あの剣と自分はよく似ているという。


 そして、遺物は豊富な魔素があれば幻想種――あの剣の場合は全身甲冑の騎士を生まれさせたらしい。


 となれば必要なものはわかっているのだ。




 思ったことはこの意識共有のおかげでちょくちょく伝わる。竜は疲れたように息を吐いた。




『のう、泉の騎士よ。こ奴は賢いものの、このような困り者だ。縁ができてしまった時点で運の尽きだろうか』




 満更でもないくせに、言ってくれるものだ。


 この竜は足の怪我が致命傷に至らなかったこと、これからの治療も含めて借りはあると考えている。だから先程も言った通り、これからしばらくは行動を共にする気が満々なのだ。


 これは先程のおふざけに対するささやかなお返しとでも捉えればいいのだろう。




 竜は咳払いをすると、足の傷に口先をつけた。


 流れ出ている血を口内に吸い貯めているらしい。




 どうするのか読めたカドは意気消沈する。生身であったなら、顔を存分にしかめていたところだ。




『この場は一層では最も魔素が濃い。幻想種となるにはお誂え向きの場である』




 宿したものに合わせて形状まで変える依代。


 言ってみればそれは、魂の象徴とか言われた遺物とあり方が似ているのだろう。




 であればそこに材料を足せば、生まれるものがあるという話だ。


 理論抜きの奇跡なのでげんなりしてしまうのは内緒にしておこう。




『汝は泉の乙女の祝福に身を浸している。その中で在りし日の肉体を思い出すが良い。介添えは竜の血が果たそう』




 そんな言葉と共に、竜が吸い貯めた血が杖に吐き出される。




 やはり思った通りだ。


 竜の血と言えば浴びた人間が不死身となったという逸話があるくらいである。魔術的な意味合いでは大変重く、貴重な代物なのだろう。




 しかしカドとしてはコップ一杯の血を頭にざばーっと掛けられた心地である。


 思い出せ。そんなことが起きたらどうなるだろう?




 血は、黒い髪を伝って滴り落ちる。胡坐を掻いている足の上にぽたぽたと滴ったことだろう。


 顔に流れ落ちた血を手の甲で拭う。




 逸話がある竜の血だ。伝説通り魔法じみた効果でもあるのか、若い肌には吸い込まれるように馴染んで消えた。


 形ない何かとして吸収されたそれは酒気のように熱を持って総身を巡る。心臓はどくりどくりと強く拍動しながらその熱を総身に行き渡らせ、収まる気配がない。


 こんなもの、老体で受け入れるのは無理だ。若すぎる身でも無理がある。受け止めるのであれば、肉体的に最盛期と言える二十代半ば辺りが適当だろう。




 そんな感覚と共に目を開ける。


 まだ感覚が馴染まない視野はピントがズレているかのごとく、酷くぼやけて見えた。




『どのような世界が見える?』


「うーん、いろんな色のモヤが漂っている中に、大きさの違う火の玉が浮いているような感じですね」


『ほう、それが見えるか。間違ってはおらぬよ。それは魔素を見ているのだ。しかしそこまで目を凝らさずとも良い。ただ受け皿として目に映す世界。それこそ本物の風景だ』




 声からわかる。目の前で揺らめいている大きな何かこそ、竜だ。


 魔素とやらの多寡が目に見えているだけと取れば良いのだろう。




 通常の色彩を目に映すように意識下でレンズを変えてやればいい。ちょうど眼鏡屋で新しい眼鏡をしつらえる時と同じだ。




 ああ、見えた。


 透き通る蒼の水面に、頭尾長十メートルほどの竜が立っている。


 アレだ。わんこ座りである。




 空から注ぐ陽光を反射する竜の鱗は黄金と白銀を混ぜ合わせたかのような美しい色合いだ。水面と同じく、眩しいほど煌めいている。


 金色の瞳がこの姿を見据えてくる。獣と同じく、細く鋭い瞳孔だ。




 竜の口が開き、言葉を紡ぎ出した。




『カドよ。気分はどうだ?』


「――そうですね」




 この世界に生れ落ちてどんな気分か。そんな問いなのだろう。


 抱いている気持ちを率直に伝える。




「体ばっかりイメージしていたから全裸になってます。どうしよう」




 ちゃんと肉体の感覚もある。この高度だからか、非常に寒いのだ。


 窮状を訴えてみたものの、竜からの返答はなかなか返ってこない。




 背後にいた全身甲冑の騎士は脅威なしと判断したのか、気が削がれたのか。この時を境に、ふっと姿を消したのだった。


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