第5話

 数十分後。

 真弓と別れ、大学の食堂を出た圭太たちは電車を乗り継いで市内のある場所にいた。


 周囲を高層ビルに囲まれたその場所は広く空けており、圭太は四角く切られた石畳の道を歩きながら後ろを振り返る。


 そこには大きな門のようなオブジェが壁のように並び、その下に小さく穴の空いた本物の入場用の入り口があった。


「で、なんで学校帰りに動物園なんだ?」


 首を戻しつつ、前を歩く優に訊ねる。

 春の風に乗って、時々鼻をつく獣臭や糞尿の臭いがここが市街地の一角にある動物園であることを示していた。


 優は圭太に視線をやりながら軽やかに答える。


「次のサークルのショーの資料集めさ。今回は脚本と悪役のスーツも担当しなきゃなんないからな。そのための取材だ」

「あんな三流脚本にわざわざ取材をする必要あるか?」

「お前って、時々容赦ないよな」

「そうか? 本音で話してるだけなんだが」

「自覚がない分タチが悪いよ……」


 ボソッと呟いてため息をついた優は、気を取り直すようにまた話しだす。


「とりあえず、俺はそういうわけだからお前はアイちゃんと好きに回ってこいよ」

「一緒じゃダメなのか?」

「俺と一緒じゃアイちゃんがゆっくり見れないだろ? 俺は俺のペースで行く。それじゃッ!」

「あ! ちょッ……ったく、せっかちなやつだな。帰るときはどうすんだよ……」


 声をかける暇もなく片手を上げてそそくさといなくなってしまった優に愚痴りつつ、どうしたものかと考えていると、じっとこちらを見ていたアイと目があった。


「…………」

「…………行かないのですか?」

「え? あぁ、行こうか」


 彼女に促されてぎこちなく返事をして歩き出す。


 入場のためのチケットはすでに購入済みで園内にもすでに入ってしまっている。

 後戻りはできない状況だが、圭太はどうしたものかと考えていた。


 動物園なんて小学校以降だし、こんな何の目的もない大学生に動物園で何をしろというのだろう。


 そもそも優がここに連れてきたのはアイが楽しめるようにということだったが、彼女がこの状況を楽しんでいるのか正直測りかねている。


「お前って、動物園はもちろん――」

「初めてです。ネットで存在は把握していましたが」

「だよな」


 質問に答えながらキョロキョロとするアイの表情はあまり変わらない。

 なので本心なのかは不明だ。


 入場口でチケットと共に配布された園内の地図データをAirに表示させ、現実層に重ねる。


「さて、どこから回る? なんか見たい動物とかいるか?」

「見たい動物、ですか?」

「そう。例えば、ライオンとかパンダとか」

「じゃあ、サイが見たいです」


 淀みのない答えに思わずアイを見る。


「……随分とチョイスが渋いな」

「あの立派な角を持つ猛々しい姿はぜひ間近で見てみたいです」


 真顔でそう語るアイにやっぱり人間とは好みが違っているなぁ、と内心で呟く。


「まぁ、いいや。ならサイのところにでも行ってみるか」


 そう言って地図データの案内に従ってサイの檻まで歩いていった。




 それから十分もしないうちに二人は小さなカフェの机に突っ伏していた。


 他にも何人か人がいたが、圭太たちの座っている席だけはどよーんという擬音が聞こえてきそうな負のオーラが漂っている。


「まさかこんなに人がいるなんてな」

「サイもいませんでした」

「それは言うな。いても人が多すぎて見えなかったよ」


 カフェのお客の何人かが訝しげな視線を向ける中、二人は同時にため息をつく。


 これまでに起きた出来事を説明すると、意気揚々と地図データに従ってサイの檻に向かったものの手前にあるレッサーパンダのいる建物に異常に人が集まっていたのだ。


 さすが園のアイドルとして名が上がる動物なだけあり、人混みはどこまでも続きサイの檻へと向かう進路を完全に塞いでしまっていていた。


 そしてその中をもみくちゃになりながら横切ることとなり、さらに悪いことに圭太は人混みが苦手だった。

 それでも人ごみをやっとの思いで抜け、アイが見たがっていたサイの檻にたどり着いてみればサイは体調が優れないらしく、今日は休みだったのである。


 青い顔で景色を眺めながら、そういえばこの動物園が最近リニューアルオープンし、レッサーパンダの子供が生まれたというニュースを見たことを今更ながらに思い出す。

 しかも今日は土曜日で平日などに比べれば明らかに来客数が多かった。


 そんな訳でまったく関係のない人ごみに揉まれただけの圭太は初っ端から体力をげっそりと削られていた。


「……圭太さん。何か食べてください」


 同じようにも机に突っ伏していたアイはゆっくり上体を起こして呟き、それに応じて圭太も顔を上げる。


「あのな……、さっき親子丼食ったばかりなんだが」

「味が知りたいのです」


 視線を向けると彼女は真面目な表情をしていた。


 人工知能である彼女にとって人間の食べているものの味を感じ取るというのは初めてのことなのだ。

 好奇心が湧くのは当然だろう。


 好奇心の湧くものに惹かれる気持ちは圭太にも分からなくもなかった。


「でもシートはさっきあいつに……」


 そこまで言いかけてハッと舌の表面に触れてみると、柔らかさとはまた違うプラスチックのような滑らかな舌触りが帰ってくる。


「しまった。返し忘れてた」


 今更ながらに気づいたが、直後それを狙いすましたかのようにAirに着信を表すアイコンが表示される。

 着信相手は真弓だ。


 テレパシーでもあんのか、と内心でツッコミながらスピーカーにしてやってから通話ボタンを押した。

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