第4話
戻ってきた真弓はあるものを差し出す。
それは非常に薄くて透明なシートで受け取った圭太は真弓をまじまじと見つめる。
「……これは何だ?」
「食べた物の味覚の電気信号にを読み取って記録するシートよ。試作品で試してもらおうと思って持ってきてたの。舌に貼ってみて」
そそくさと言った真弓はAirで空中にキーボードを展開して素早い動作でタイピングし始め、圭太は受け取ったシートをしぶしぶ舌に貼る。
「圭太、ちょっとその親子丼を口に運んでみて」
キーボードをタイプしながらの真弓の指示通り、圭太は冷めつつある親子丼を口へと運び、優は二人のやりとりをじっと眺める。
「オッケー。もういいよ」
真弓はそう言うと、キーボードと空中の間で視線を往復させる。
恐らくは自分以外には可視化していないシークレットウィンドウを見ているのだろう。
しばらくすると、それまで何もなかったはずのアイの目の前にホカホカと湯気をあげる親子丼が現れた。
「アイちゃん。ちょっとその親子丼を口に運んでもらえる?」
突然指名されたアイは虚を突かれたように目を丸くしたが、おずおずとスプーンを手に取る。
もちろんアイには実体はなく、圭太たち三人のAirの中で共有された情報にすぎないので、彼女の目の前にある親子丼も可視化されたデータの塊にすぎない。
アイはその情報の集まりでしかない親子丼を一口すくうと、パクッと口に運んだ。
「どう? おいしい?」
咀嚼しながら、眉を寄せたり驚いたりと一人で百面相をしながらアイはしばらく無言だったが、やがてポツリと呟く。
「おいしい、……のでしょうか?
ジューシーで甘い味付けですけど、それが卵のふんわり感とマッチして非常に印象に残る味です。
私には人間の味覚に関するデータが皆無なので本当においしいのか図りかねますが」
「いいのいいの、初めてなんだから。それが人でいうところのおいしいなのよ」
それを聞いた真弓はそう言って、小さくガッツポーズを作った。
どうやら実験は成功したらしい。
頃合いを見計らって、優が口を挟む。
「なんか知らないけどおめでとさん。で、いまのはなんなんだ?」
「仕組みは簡単よ。さっき圭太に親子丼を食べてもらった時の脳へと伝わる電気信号と素材の食感なんかを記録して、それをアイが親子丼を口に運んで咀嚼した時に反映させただけ」
「つまり俺が食べた時の感覚をアイにトレースしたってことか」
「そういうこと。まぁ口で言うのは簡単だけど、素材同士の崩れて混ざり合う時の相関や舌触りの再現の計算には結構お金はかかっちゃったからねー。そのかいがあるなら万々歳」
「ふーん。ちなみにこの親子丼のビジュアルデータは?」
「画像や動画から抽出した簡易データだよ。さすがにリアリティ重視の高級ホログラムは使えなかったんだ」
そう愚痴りつつも、真弓は満面の笑みでアイが興味深そうに親子丼を口に運ぶ姿を眺めている。
彼女は機械の部品などを寄せ集めてロボットなんかを作っている工学サークルで人間の五感を完全にデジタル化するという個人的趣味に没頭しているが、今回のこの作品はその集大成なのだろう。
そうして三人でなんとなくアイの食事姿をぼうっと眺めていたが、やがて優が圭太の方に視線を向ける。
「そういや圭太。お前昼から暇だろ。ちょっと付き合ってくれないか」
「勝手に暇って決めつけんなよ。まぁ、いいけど」
「なら決まりな。真弓も一緒に来るか?」
ノリよく優が真弓に訊ねると、彼女は申し訳なそうに両手を合わせた。
「ごめん、私はこのあと講義とサークルがあるから無理」
「そうか、ならしゃーないな。圭太、用がないならもう行こうぜ」
「あぁ、わかったよ。そう焦るな」
急かす優をなだめながら、圭太は足元の自分のリュックを背負うと食べ終えた空のどんぶりをトレーと共に返却する。
「それじゃ、また今度な真弓」
「うん、またねー」
暖かく真弓に手を振って見送られながら食堂を後にする。
「圭太さん」
食堂の喧騒から離れ、正門側へ向かっていると、ふとアイが話しかけてきた。
「なんだ?」
「先ほどの優さんの問いかけはいささかいかがわしいと思うのですが」
「どういうことだよ?」
眉を寄せて少し後ろを歩くアイに視線を向ける。
アイはストレートに訊ねた。
「付き合うというのはあれでしょう? 圭太さんと優さんが性的な関係にあるということではないのですか?」
「…………あのな、付き合うってそういう意味じゃないから。今後そんなこと言うなよ。絵面を想像しただけで吐きそうだ」
アイの言葉にげんなりしながら言いつつ、圭太は優の背中を追った。
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