第4話 離れ離れと進む関係
動物園の入口前で別れた優はぶらぶらと散歩でもするように園内を目的もなく歩き回っていた。
色彩豊かなクジャクが檻の向こうから顔を覗かせていたが、そちらに視線をやりつつも歩みを止める気配はない。
時折サルやキリンなどの前でも立ち止まっていた優だが、少し足を止めて眺めるとまたすぐに歩き出してしまう。
ひとつのことにじっと執着せずに、俯瞰するように全体を観察する。それが彼なりの物事の観察法だった。
そうして動物たちからアイデアを捻り出そうとしていた優だったが、突如彼の視界に着信を現すアイコンが表示される。
相手は拓也だ。
「もしもし拓也か? 急にどうした?」
「アイ、そっちに行ってないか?」
「アイちゃん? いや来てないけど」
「そうか……悪い、また連絡する」
「待て待て! なぁ、なんかあったのか?」
怪訝な表情をしていた優は、そう言って慌ただしく通話を切ろうとする拓也に待ったをかける。
「いなくなったんだよ。ちょっと目を離した隙に」
「え……。ちょっと待て、いなくなったってあれか? お前の視界から消えたってことか?」
「あぁ、不愉快ながらそういうことだよ」
投げやりに返してくる拓也に一瞬言葉を失う優だったが、すぐに言葉を続ける。
「ヤバいんじゃないのか、それ」
「だから園内走り回って必死で探してんだよッ」
切羽詰まったように語尾を荒げた拓也。
確かに彼との会話の合間合間に勢いよく地面を踏みつける足音や拓也の荒い息も混じっている。
それだけでも拓也の必死さは優に伝わっていた。
「わかった。こっちでもアイちゃんを探してみる」
「あぁ、頼む!」
最後にそう言って拓也は通話を切る。右手を耳元から離した優は、軽くため息をつく。
「イベントごとにトラブルはつきものってか、まったく親父の言う通りだな……」
そう愚痴りつつ、優はアイを探すために早足で園内を回り始めた。
同じ頃。
いなくなってしまったアイを探して拓也は園内を走り回っていた。
家族連れなどが訝しげな視線を送ってくるが、そんな視線を歯牙にもかけず、周囲の植木や檻の死角などを覗き込む。
ある程度を探し終わると、また走って別の場所に向かって同じことを繰り返し、拓也は愛を探し回っていた。
「ハァ、ハァ……ハァ…………」
しかしやがては両膝に手をつき、息も絶え絶えになりながら、拓也は立ち止まってしまう。
突然動いたのと久しぶりに全力疾走したせいで、体が悲鳴をあげている。
目だけは必死に動かして辺りを見回したが、アイの姿は影も形も見当たらない。
「アイツ……一体、どこにいんだよ……」
そう呟きながら、拓也は考える。園内に入ったまだ一時間も経っていないし、回ったのもサイと先ほどのカフェしか行っていない。
彼女は人工知能として並外れた検索機能を保持しているが、
だから多分遠くには行ってはいない。この園内にいるはずだ。
といっても園内は結構な広さがあるし、あたりの検討などつけようもない。
「ハァハァ…………クソッ……!」
そんな状況で頭をフル回転させて推理していると、ふと拓也は思う。
何故、自分はこんなにも焦っているのだろう、と。
アイは人間ではない。人工知能だ。
人間のように見えても彼女は所詮機械だし、バックアップも取ってあるのだろう。
だからここでアイを放っておいて帰っても、別にテストユーザーの一人である拓也が失うものは特にない。
なのに何故、自分はこんなにも動揺しているのだろう。これではまるで――。
そこまで考えて拓也はハッと、余計なことを忘れるように頭を振る。
いま自分自身を責めても仕方のないことで、いま率先すべきはアイを一刻も早く見つけることだ。
「あと探してないエリアはッ……」
無意識に呟きながら、拓也はAirに園内の全体図を表示させ、自らが歩いたルートを照らし合わせる。
すると未だに探索していないルートが現れたが、いずれもアイが行きそうな場所ではない。
「他にアイが行きそうな場所は……もしかして、あそこかッ……!」
心当たりに行き着いた拓也は再び走り出す。
アイツはいる。きっとあそこにいるはずだ。
Airのナビを使うことなく、全力疾走しながら自分に信じ込ませるように内心で呟く。
やがて拓也はその場所にたどり着く。
だがそこには誰もいなかった。
あたりを見渡しても人影はなく、目の前の柵の向こうにも何もいない空間が広がっているだけだ。
そこは拓也とアイが園内で最初に見たサイの檻の前だったが、Airの表示されているのは画像と体調不良で展示を自粛しているという添え書きだけだった。
しぶとく視線でアイを探していた拓也だったが、彼女がこの場にいないことを理解するとがっくりと膝から崩れ落ちる。
「アイぃ……。どこにいんだよ…………」
拓也の口からそれまでより一層弱々しい言葉が漏れる。
だが全ては拓也の責任だった。
だいいち彼女を置いてトイレに行ったのも、沙羅に聞かされた三つの契約のうちの二つ目――傍にいるということに反している。
そのことは拓也も重々承知していた。自分が彼女を一人にしなければこんなことにはならなかったのだから。
しかし、嗚咽が漏れそうになりながらも拓也は思った。
もう一度彼女に会いたいと。
そんな時だった。
「拓也さん?」
ふと自分の名前を呼んだ声にうずくまっていた拓也はピタリと動きを止めて声のした方向を振り返る。
そこにはキョトンとした表情でこちらを見つめるアイの姿があった。
「おま……おま、おま、お前…………」
「そんなところでなにをしてるんです?」
怪訝な表情になりながら、アイが訊ねてくる。
その空気の読めていない顔に少しばかり落ち着きを取り戻して拓也は深呼吸をした。
「お前……どこ行ってたんだよ。死ぬほど探したんだぞ……」
「すいません。道に迷っている方がいたのでその方を案内するために席を離れていました」
「それならそうと、連絡のひとつくらい入れてくれよ……」
ホッとした表情でガクッと肩の力を抜いた拓也。そんな彼の表情を覗き込んでアイは口を開く。
「心配してくれたのですか?」
「当たり前だろ。小さな子供が迷子になってるのに放っておけるかよ」
拓也のセリフにアイはびっくりしたような顔をするが、彼はそれに気付かず立ち上がり、自分を元気付けるように少しばかり声を張る。
「今日はもう帰ろう。正直に俺もお前を探して走り回って疲れた……」
苦笑いを浮かべながら拓也は歩き出し、その後ろをアイも付いて歩く。
「ありがとうございます。私を見つけてくれて」
アイが満面の笑みでそう言うと、拓也はキョトンとした顔をしたが、やがて照れたように視線をそっぽに向けて片手を上げて応じた。
その日の夜。
動物園から帰宅した拓也とアイは自宅で、少し早めの夕食を食べていた。
ちなみに今日の夕食は帰り道の途中で買ってきたお弁当で、もちろんアイの目の前に置かれているのは真弓のアプリによってコピーされたデジタルホログラムだ。
そんなホログラムの弁当を摘みながらアイは反対側に座る拓也をじっと見つめる。
「拓也さん」
「なんだ?」
「私が食べる姿を眺めるのは構いませんが、もう少し自重してください。非常に食べづらいです」
そう言われて、拓也は机に頬杖をついた体勢から居住まいを正す。彼の弁当はすでに食べきられて、空っぽだった。
「悪い……」
「構いません。それよりも二つほど拓也さんにお願いがあるのですが」
「お願い?」
珍しい、というか出会ってから初めての頼みごとに僅かに身を乗り出す。
「パパと呼んでもいいですか?」
「ダメだ」
アイから口から飛び出た頼みごとを拓也は速攻で否定した。
彼女は重ねて訊ねる。
「何故ですか?」
「俺はそんな歳じゃないし、彼女もいない。そんな状況でパパなんて呼ばれてたまるか」
「どうしてもダメですか?」
「ダメだ。死んでも呼ばせないぞ」
「そこまでですか……」
激しい拒絶にアイが若干引き気味になっていると、拓也のAirに着信があり、発信者が優であることを確認して通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「お前ら、先に帰ったなら帰ったって言えよ!」
開口一番に怒鳴られ、反射的に耳に添えた手を遠ざける。
どうやら、あの後一言も連絡せずに帰ったことを怒っているらしい。
「あぁ、悪い悪い。ゴタゴタしてて連絡するの忘れてたんだよ」
実際はあのタイミングで連絡するのが面倒だっただけなのだが、それを言うとさらに激怒されるのは目に見えていたので、とっさに嘘をつく。
「だいたい、勝手に連れてきたのはお前だろ?」
「うっ……、そ、それはそうだが……。それとこれとは――」
「はいはい、それこれうるさいぞー。あとアイはこっちで見つけたら大丈夫だ。じゃあなー」
拓也はそのまま通話を勝手に切ってしまい、彼の一連の動作を見ていたアイが口を挟む。
「良かったんですか。通話を勝手に切って」
「いいんだよ。それよりもお願い事ってなんだ?」
そう言って話を元の方向へ軌道修正する。アイのお願いは二つ。
さっきのお願いは却下したが、もう一つの方はまだ聞いてもいない。
アイは箸を置いて拓也をまっすぐに見つめる。
「あの……、私に折り紙を教えてくれませんか?」
数秒ほど無言の間。それを破ったのは拓也の大笑いだった。
「何かおかしいことでも言いましたか?」
「いいや、生真面目な顔で何を言い出すかと身構えたらそんなことかと思ってな」
ひとしきり大笑いして目の端の涙を拭って息を整える。
「いいぜ。じゃあ、飯食い終わったらさっそくやるか」
その返答にパァッと目を輝かせ、アイは微笑んで頷いた。
A.I.のいる日常 森川 蓮二 @K02
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