第3話 初めての体験

 数十分後。真弓と別れ、大学の食堂を出た拓也たちは電車を乗り継いで市内のある場所にいた。


 周囲を高層ビルに囲まれたその場所は、広く空けており、拓也は四角く切られた石畳の道を歩きながら後ろを振り返る。

 そこには大きな門のようなオブジェが壁のように並び、その下に小さく穴の空いた本物の入場用の入り口があった。


「で、なんで学校帰りに動物園なんだ?」


 首を戻しつつ、前を歩く優に訊ねる。

 春の風に乗って、時々鼻をつく獣臭や糞尿の臭いがここが市街地の一角にある動物園であることを示していた。

 優は拓也に視線をやりながら、軽やかに答える。


「次のサークルのショーの資料集めさ。今回は脚本と悪役のスーツも担当しなきゃなんないからな。そのための取材だ」

「あんな三流脚本にわざわざ取材をする必要あるか?」

「お前って、時々容赦ないよな」

「そうか? 本音で話してるだけなんだが」

「自覚がない分タチが悪いな……」


 ボソッと呟いてため息をついた優は、気を取り直すようにまた話しだす。


「とりあえず、俺はそういうわけだからお前はアイちゃんと好きに回ってこいよ」

「一緒じゃダメなのか?」

「俺と一緒じゃアイちゃんがゆっくり見れないだろ? 俺は俺のペースで行く。それじゃッ!」

「あ! ちょッ……ったく、せっかちなやつだな。帰るときはどうすんだよ……」


 声をかける暇もなく片手を上げてそそくさといなくなってしまった優に愚痴りつつ、どうしたものかと考えていると、じっとこちらを見ていたアイと目があった。


「…………」

「…………行かないのですか?」

「え? あぁ、行こうか」


 彼女に促されてぎこちなく返事をして歩き出す。

 入場のためのチケットはすでに購入済みで園内にもすでに入ってしまっている。後戻りはできない状況だが、拓也はどうしたものかと考えていた。


 動物園なんて小学校以降だし、こんな何の目的もない大学生に動物園で何をしろというのだろう。

 そもそも拓也たちがここに来たのはアイが楽しめるようにということだったが、彼女がこの状況を楽しんでいるのか正直測りかねている。


「お前って、動物園はもちろん――」

「初めてです。ネットで存在は把握していましたが」

「だよな」


 質問に答えながらキョロキョロとするアイの表情はあまり変わらない。

 なので本心なのかは不明だ。


 入場口でチケットと共に配布された園内の地図データをAirに表示させ、現実層に重ねる。


「さて、どこから回る? なんか見たい動物とかいるか?」

「見たい動物、ですか?」

「そう。例えば、ライオンとかパンダとか」

「じゃあ、サイが見たいです」


 淀みのない答えに思わずアイを見る。


「……随分とチョイスが渋いな」

「あの立派な角を持つ猛々しい姿はぜひ間近で見てみたいです」


 真顔でそう語るアイにやっぱり人間とは好みが違っているなぁ、と内心で呟く。


「まぁ、いいや。ならサイのところにでも行ってみるか」


 そう言って地図データの案内に従ってサイの檻まで歩いていった。




 それからものの十分もしないうちに拓也とアイは、サイの檻から少し離れたところにあるペンギンたちの前――軽い軽食などを取ることができる小さなカフェの机に突っ伏していた。

 他にも何人か人がいたが、拓也たちの座っている席だけはどよーんという擬音が聞こえてきそうな負のオーラが漂っているようにも見える。


「まさかこんなに人がいるなんてな」

「サイもいませんでした」

「それは言うな。いても人が多すぎて見えなかったよ」


 カフェのお客の何人かが訝しげな視線を向ける中、二人は同時にため息をつく。


 これまでに起きた出来事を説明すると、意気揚々と地図データに従ってサイの檻に向かったものの手前にあるレッサーパンダのいる建物に異常に人が集まっていた。

 イベントか何かなのだろうが、その列はとてつもなく長く、サイの檻へと向かう進路を完全に塞いでしまっていてひたすら人ごみに揉まれるハメになったのだ。


 人ごみを苦手とする拓也は、そういえばこの動物園はごく最近リニューアルオープンし、レッサーパンダの子供が生まれたというニュースをごく最近見たことを今更ながらに思い出す。

 しかも今日は土曜日で平日などに比べれば明らかに来客数が多かった。

 そんなげんなりするような人ごみをやっとの思いで抜け、アイが見たがっていたサイの檻にたどり着いてみればサイは体調が優れないらしく、今日は休みだったのである。


 そんな訳でまったく関係のない人ごみに揉まれただけの拓也たちは初っ端から体力をげっそりと削られ今に至っていた。


「……拓也さん。何か食べてください」


 拓也と同じようにも机に突っ伏していたアイはゆっくり上体を起こして呟き、それに応じて拓也も顔を上げる。


「あのな……、さっき親子丼食ったばかりなんだが」

「味が知りたいのです」


 視線を向けると彼女は真面目な表情をしていた。


 人工知能である彼女にとって、人間の食べているものの味を感じ取るというのは初めてのことなのだ。好奇心が湧くのは当然だろう。

 好奇心の湧くものに興味を持つという気持ちは拓也にも分からなくもなかった。


「でもシートはさっきあいつに……」


 そこまで言いかけてハッと舌の表面に触れてみると、舌の柔らかさとはまた違うプラスティックのような滑らかな舌触りが帰ってくる。


「しまった。返し忘れてた」


 今更ながらに気づいたが、直後それを狙いすましたかのようにAirに着信を表すアイコンが表示される。

 着信相手は真弓だ。


 テレパシーでもあんのか、と内心でツッコミながらスピーカーにしてやってから通話ボタンを押した。


「もしもし?」

「拓也、私の貸したシート舌に貼り付けたまんまでしょう?」

「悪い。いま気づいた。明日返せばいいか?」

「ごめん、それは無理。明日から旅行だから」


 質問に対してさらっと返ってきた真弓の言葉に拓也は怪訝な表情を作る。


「は? 何処に?」

「何処だっていいじゃん、とりあえずここからちょっと遠いところ」

「授業はどうすんだよ?」

「もちろん休むよ。ここ数日の授業は別にテストの日だけ出てやれば単位取れるだろうし」


 あっけからんとした彼女の口調に拓也は無意識にこめかみを抑えた。


 真弓が突発的に何かの物事を決めることは知っていたが、ここまで行くとさすがに頭痛を覚える。

 しかし、ある意味大学生らしい自由を謳歌している真弓に拓也は一種の憧れも持っているのだが、突然の講義のボイコットは彼の常識ではあり得なかった。


 そんな自分の意見を飲み込んで、拓也は意識を真弓との会話に戻す。


「にしても急だな」

「うん、昨日決めたから。旅は計画して行くよりもその場のノリでした方が面白いからねー」

「それを唐突に伝えられる側からしたら溜まったもんじゃねぇよ。このシートいつ返せばいいんだよ」


 混ぜ返しながら、拓也はオーグの空いたスペースにカフェのメニュー表を呼び出し、その中からバニラのアイスクリームを注文する。


「まぁ、サンプルデータも欲しいし、とりあえず旅行の間は貸してあげる。シートはデータはちゃんとアイちゃんに伝えられるようにしてるし、食べ物のオブジェクトデータの表示はそれようのアプリがあるから、アンタのAirに送ってあげる。帰ってきたら連絡するね、それじゃ」


 用件が済んでそっけなく通話を切ってしまった真弓のさっぱりした調子に苦笑し、拓也はSNS形式の個人トーク画面を開く。

 するとそこに真弓のアカウントでURLが送られてきて、開くとデフォルメキャラのアイコンアプリがダウンロードされる。

 そこにちょうど、さっき拓也が頼んだアイスクリームがコーンカップに乗せられて運ばれてきた。


「拓也さん」

「あー、分かったよ。食べればいいんだろ」


 急かすアイに拓也は投げやりに答えつつ、紙ナプキンと共にアイスクリームを運んできた店員に軽く頭を下げる。

 そして真弓から送られてきたアプリをAirで開き、アイスクリームを食べ始める。


 乳白色のアイスクリームは口に入れるとキンっとした冷たさと共に甘い柔和な味を残して解けて消えていく。

 暖かい春の空気と口の中のアイスの冷たさを感じながら、拓也は黙々と食べ続けた。


 それを興味と羨ましさの入り混じった視線でアイは眺めていたが、拓也がアイスクリームのコーンに手を出そうかという頃になると、彼女の目の前にアプリがコピーしたアイスクリームのオブジェクトが現れる。

 アイはそれを恐る恐る手に取るとゆっくりを口を近づけ、アイスクリームの表面をひと舐めしてみる。


「うまいか?」


 彼女の反応を伺いながら拓也がそう訊ねると、アイは目を輝かせながらコクコクと頷く。

 よほどアイスクリームの味と舌触りが気に入ったのか、満面の笑みで食べ進める。


 一足先に食べ終わった拓也はそんなアイの姿を眺めていたが、ふと外の視線でをやると何かを思いついたようで、目の前に置かれていた紙ナプキンを広げると正四角形になるようにサイズを合わせた。

 次にその紙ナプキンを半分にして、左の頂点と三角の上の角から少し下がった部分をつなげるように折り、裏も同じようにする。


「何をしているんですか、拓也さん」

「まぁ、見てろ」


 それだけを答えながら、拓也は先ほど折った左側の先に折り目をつけ、さらに折った部分を広げて、外側に折り込む。

 さらに反対の角もななめ上に折り目をつけると、その部分を広げて中に折り、そっとテーブルに置いた。


 アイはそれをじっと見てから視線をある方向に向ける。

 そこには氷に見立てられたオブジェの上にいる何匹ものペンギンがいた。


「これってペンギンですか? すごい……、一体どうやったんですか?」


 興奮気味にそう訊ねてくるアイに拓也は不敵に笑う。


「折り紙だよ。他にも色んな折り方があるんだ。例えば……」


 アイの手前に置かれた紙ナプキンを貰い受けると、さっきと同じように正四角形になるように余計な部分を切り取って三角形に折り、さらにもう一度同じ動作を繰り返す。

 その次に袋になっているところを四角に折り、裏側もおなじようにする。

 今度は四角の端の部分を谷折りし、裏側も同じように折って、正方形と菱形を合わせたような形を作る。

 裏側も同様にして織り上げて完全な菱形にすると、その両端を内側に谷折りし、折った部分を内側にする。

 下の部分を上へと折りあげ、その折った部分を内側にしてやり片方を頭にして胴体に息を吹き込んだ。


「拓也さん、それはなんですか?」

「折り鶴だよ。折り紙の中じゃ、一番よく知られてる」


 そう言って、折り鶴を先ほどのペンギンの隣に並べてやる。

 アイの視線は紙で作られた二匹の鳥に釘付けだった。


「面白いだろ? 一枚の紙を使って何匹もの鶴を折る蓮鶴なんていうものもあるし、折ると願いが叶うって言われている千羽鶴なんてものもある」

「スゴく詳しいんですね」

「世の中にはもっとお前の知らないことや驚くことで溢れているさ。この折り紙みたいにな。ちょっとトイレ行ってくる」


 そう言い残して拓也は椅子から立ち上がると園内の地図データを思い出して一番近いトイレのある方向へと足を向けた。

 スタスタと歩きながら、昨日言われたことを思い出す。


 学ばせること、そばにいること、そして愛を与えること。


 沙羅から提示された三つの契約の内、学ばせるというのが一体何をさせればいいのか拓也には分からなかったが、あれは彼女が知らない人の持つ知識を与えてやることではなかったのかと、今更ながらに思う。

 彼女の今までの学習はあくまで人の役に立つための、実用性のある知識ばかりだったのだろう。

 だから、もっと柔軟性を与えるためにスマートアローズ社はこのプロジェクトを立ち上げたのではないのか。

 ならば、学ばせるという意味では彼女に折り紙を教えるのもいいかもしれない。そんなことを考えて拓也は微笑む。


 しかしその五分後、慌てた表情で園内を走り回ることとなる。

 何故ならカフェにいたはずのアイの姿が忽然と消えていたのだから。

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