第2話
住宅街にあるアパートの一室で、圭太は訝しげにテーブルの前に座っていた。
その日は陽気を超え、夏のような日差しによる暑さが街を包み込むような日だった。
開け放たれた窓から吹き込む風が白いカーテンを揺らすが、圭太の眉間には岩の亀裂のごとき深い皺が刻まれている。
なぜ彼がそんな顔をしているのかというと、半ば強引に部屋に入ってきた女性のせいだ。
ビシッと着こなしたサングラスの彼女は視線を気にすることなく、最低限の礼儀として出したお茶をすすっていた。
その隣には見た目十歳程度のアイが興味深げに部屋を見回している。
「で、インターネットサービスなんかを提供するスマートアローズ社のエージェントがどうして一介の大学生である俺のところに?」
圭太は訊ねつつ、先ほどもらった手元の名刺に目を落とす。
名刺にはスマートアローズ社の三本の矢を模したロゴが描かれており、読むのもげんなりするような長文な役職の後に
沙羅はサングラスを外し、そのくっきりとした切れ長の目で圭太をまっすぐ見た。
「圭太さんは我が社が取り組んでいる人工知能育成プロジェクト。通称AIUをご存知ですか?」
「あぁ、確か公募で募集した人の中から何人かに最新の人工知能を育成させるプロジェクトでしたっけ?」
うろ覚えながら答えつつ記憶を呼び起こす。
確か八ヶ月ほど前にネットサーフィンをしていてお遊び半分で応募したような覚えがある。
あの時はニュースでも大々的に報じられており、それに乗っかった一時的な人工知能ブームのようなものが起こっていた。
「はい、あなたにはそのAIUプロジェクトで人工知能を育成するテストユーザーに選ばれました」
「…………はい?」
圭太が首を傾げると、沙羅は隣のアイを指差す。
「つまりあなたはこのアイのテストユーザーに選ばれたということです」
そう言われて圭太がアイに目を向けると、恥ずかしそうに沙羅の背中に隠れるように上体を動かす。
「でもあれは面白半分でやっただけで、本気で選ばれるとは思ってなかったんですよ」
確かにプロジェクトに応募した覚えはある。だが興味本意でまさか本当に選ばれるとは夢にも思っていたかったのだ。
「しかし、今から変更はできません。応募と同時に契約が成立したものとすることは応募の規約要項で記されていたはずです」
沙羅は困ったように眉を八の字にする。
確か規約要項はあったが、あんな長ったらしい文章を上から下まで読む奴など余程警戒心に強い人間か物好きぐらいしかいないだろ、と内心でツッコミを入れたが、そう言われてしまえばこちらに非があるのは明らかだ。
「で、でもただの大学生にこいつをまかなえる資金なんかはありませんよ」
「その点はご心配なく、彼女はホログラムなので基本的に費用はかかりません。Airを切って確かめていただいても結構です」
そう言われて、圭太は左目を閉じて右目のAirの拡張層を切ってみる。
するとそこにいたはずのアイの姿が忽然と消え、拡張層を広げたままの左目だけで見ると、彼女は微動だにすることなくそこにいた。
「アイは人とネットワークとの繋がりを円滑にするためのインターフェイスとしてこの姿をしています。起動している限りは彼女の姿は確認できます。もし彼女に関する費用があった場合は我が社が持ちますので、圭太さんは安心してアイを使ってください」
沙羅はそう言って一人立ち上がって玄関の方へと向かっていく。
その後ろ姿に声をかけた。
「ちょ、マジで育てろってことですか!?」
「はい、今回のプロジェクトではこちらで厳重な精査をした上で幅広い世代に参加してもらっています。データ収集と学習のために必要なことなんです」
はっきりした口調でそう言われ、圭太は座布団の上にちょこんと座っているアイに一瞬視線を送る。
沙羅は最後に付け加えた。
「最後に一つ。彼女を預ける前に三つの契約を守ってください」
「三つの、契約?」
「学ばせること、そばにいること、そして愛を与えること。この三つを守っていただければあとは自由です」
沙羅は言葉とともに指を一本ずつ立ててそう言い、頭を下げるとそのまま玄関から出ていってしまう。
一方的に状況を説明された圭太はドアを呆然と見ていたが、首をアイの方へ戻すと愛想笑いを浮かべた。
―――――
朝食と歯磨きを終えた圭太はジャージを脱いでシャツとズボン、そして紺色のパーカーという服装に着替えてた。
乱れたパーカーのフードを直しつつ、どうしたものかと考える。
休日であった昨日と違い、今日は大学の講義があるのだ。
アイを連れて行っていいかどうかについて沙羅は何も教えてくれなかった。
彼女が教えてくれたのは三つの契約についてだけだ。
言わなかったということは恐らくは問題ないのであろうが正直面倒である。
そんなことを考えながら鞄に必要な物を詰め込んで携帯の時計を一瞥すると、液晶は午前九時を過ぎたことを表示しており、十時半からの講義にはまだ時間があった
「時間は大丈夫なのですか。圭太」
「大丈夫。ここは学校から近いし次の授業が始まるまでには時間があるよ」
後ろから投げかけられた言葉に答えつつ、支度を粛々と進めた。
今日は早めに出て、カフェなんかで時間を潰そうと考えていたが、ふと手を止めてアイの方を向く。
「そんなに見られるとやりづらいんだが……」
「すいません。でも学ぶのが仕事なので」
「学生の俺もそれは一緒だよ」
きっぱりと答えたアイの言葉に拓也は苦笑する。
アイはそんなせわしなく動き回る拓也の動作をひとつひとつ目で追っていた。
あまりにも凝視されるのでつい口を開いてしまったのだが、考えればこっちが気にしなければいい話だ。
そんなことを思いながら、戸締りを確認してから鞄を背負う。
「それじゃあ、大学行くから何かあったら呼んでくれ。余計なものには触るなよ」
そう言って家を出ようとしたが、トテトテとアイが付いてきた。
圭太は立ち止まる。
「なんで付いてくる? お前は部屋で留守番」
「私も連れて行ってください」
「ダメだ」
提案をバッサリと却下すると、彼女は首を傾げて訊ねる。
「何故ですか?」
「子供連れで学校なんて行ったら、周りからなんて言われるか知れたもんじゃないから」
大学とは教員を除けば基本的に二十歳前後の人間しか集まっていない場所である。
もちろんそこには拓也の友人たちもいるし、そんな中に子供を連れて行けるほどの勇気は持ち合わせていない。
「でも、連れて行ってもらわないと三つの契約に違反します」
何かを教える。側にいる。愛を与える。
確かにアイを大学に連れて行かないということは彼女から離れるということで側にいるという契約に違反することになる。
そのことを脳裏で思い出して頭を掻く。
「…………ったく。ほら行くぞ」
「はい」
抵抗が無駄であると悟って盛大にため息をついた圭太に対し、アイは嬉しそうな笑顔でその後をついていった。
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