第2話 お昼のひととき

 正午過ぎ。

 大学の敷地内にある食堂は学生などでいつものように賑わっていた。


 食堂は敷地の端の方に位置しており、裏は大学を建設する前から存在する森が広がっているが、午前の授業が終われば生徒の大半がここか、大学の正門に近いカフェに集まってくる。

 そのため食堂に用意されたテーブルはほとんど埋まっているのに人の出入りが収まるような気配はない。


 食堂のおばちゃんたちの前には食券を持った学生が並んでおり、トレーに乗ったご飯やみそ汁、ラーメン、はたまた単品で頼んだパンやおにぎりを買って食堂の窓口から離れていく。

 そんな食堂の片隅、丸テーブルの一角で拓也は頬杖をついて食堂の喧騒を眺めていた。


「毎度思うけど、よくこれだけの人間捌ききるよな。ここは」

「まぁ、お客である学生もおかげでもあるんじゃね。人間には他者に協調するっていう機能があんだから」

「でも食券と引き換えに食事を受け取るシステムあってこそじゃない?」


 口から溢れた愚痴にも等しい独り言に重ねてきた声に首を戻す。

 そこには彼の友人の西宮優と桜井真弓の姿があった。


「もちろん食堂のルールに則ってこそこの空間はあるけど、人間の場の空気を読んだり、他人に場所を譲る精神も大事だろ?」

「でもそれだけじゃ、こうはならないよね」

「それを言えば、食堂のルールだけでここまで統率が取れてる訳でもないだろ?」


 独自の理論を展開しながら優は自作の弁当を、真弓はダイエット中と言って、アンパンをそれぞれ会話の合間に口に運んでいる。

 その姿を眺めて拓也はトレーに乗った親子丼に口をつける。


 優と真弓とは拓也とは別の学科に所属している同級生で一年の時に同じ科目を履修していて仲良くなった。

 互いに思想も考えも違うが、知らず知らずのうちにこうしてつるむようになっていた。

 そうして他人からすればどうでもいい議題について語っていたが、優がハッとした顔でこちらを見る。


「そんなつまらねぇ議論をしてる場合じゃない。拓也、この子は誰だよ?」


 そう言って優はビシッと卓の端っこに座ってぼんやりと周りを眺めているアイを指差す。


「私も気になってたけど……もしかして、拓也の子供?」

「いくつの時の子だよ」

「じゃあ誘拐とか……?」

「そんな訳あるか‼」

「落ち着け、拓也。真弓はお前が真面目に返すのを楽しんでるだけだ」

「えー、バラさないでよ。その生真面目さが面白いのに」

「これが俺の生き方だって前に拓也は言っていた。俺たちから見ればとても窮屈な生き方をしてるのかもしれないが、本人は納得してるんだ」

「いや言ってないし、納得もしてない。てか、お前もさりげにひどいこと言ってんからな」


 ツッコミを入れつつ昨日のアイの保護者になった経緯を懇切丁寧に説明してやる。

 二人は雑談程度の軽い気持ちで聞いていたが、すべてを話し終わると真弓は脳内で説明を噛み砕くように視線を遠くにやってからアイと拓也の間で視線を行き来させた。


「へー、じゃあこの子人間じゃなくて人工知能……この携帯に入ってる音声で質問なんかを返してくれるアプリの最高級バージョンってこと?」

「身もふたもないけど、まぁそういうことだ」

「それはすごいじゃん。どう見ても人と区別つかないやー」

「外面が人間みたいだからそう認識するだけだろ」

「優はちょっと空気を読んでよ、そんなんじゃモテないよ」


 冷めた優の発言をバッサリと切り捨てると、真弓はテーブルに両肘をついて前のめりになってアイに話かける。


「こんにちは、それとも初めましての方がいいかな? お名前は?」

「アイと言います。今は拓也さんのところで人間や社会についてを勉強させてもらっています。よろしくお願いします」


 そう言ってぺこりと礼儀正しくお辞儀をするアイを見て、真弓は子供のように目を輝かせた。


「すごいなぁー。本当に会話できてるし、コミュニケーションもスムーズ。ねぇ、私と一緒に暮らさない? 私なら色んなこと教えてあげるよ」

「すいません。私は拓也さん以外の他人に身体を預けることは認められていないんです」

「そこをなんとか……!」

「えっと……」


 両手を合わせてお願いしてくる真弓にアイは困惑したようにオロオロした視線を拓也に向けられ、仲裁に入る。


「保護者の前で口説いてんじゃねぇよ。アイも律儀に挨拶しなくていい」

「す、すいません」

「えー、ちょっとくらいいいじゃんッ、ケチ」


 物腰低く頭を下げるアイに対し、真弓はふてくされたように口を尖らせたが、ふと何かを思い出したかのように立ち上がる。


「そうだ。ちょうどいい物持ってるんだ。試してみてよ」

「……変なものじゃないだろうな?」

「失礼な。れっきとした研究品だよ。ちょっと取ってくるね」


 矢継ぎ早にそう言うと、真弓は足早で食堂から去っていく。その後ろ姿を見ながら拓也はため息をついた。


「ったく、スマートアローズもこんな平凡な学生に人工知能の育成任せるとか何考えてんだかな」

「スマートアローズ社の意向としては人工知能にAR上でインターフェイスを持たせてユーザーと円滑なコミュニケーションによる親和性を図るという意味で、テストユーザーは偏りのないように選ばれています。要はただの偶然です」

「前半部分がまるで分からん……」


 拓也がアイの説明に首を傾げる。今度は優がため息をつく番だった。


「ようは幅広い世代からのフィールドバックを集めたいんじゃないのか? これが個々の端末に搭載されるとなれば、多くの世代が運用できるようにしなきゃならんし。そう考えるとお前は最高で最強の安パイだったってことじゃないの?」


 怪訝な表情の拓也に優は肩をすくめて続ける。


「だってお前って危ないことはしないし、バカ真面目だから、アイを危険な目に合わせる可能性は低い。しかも講義で他人の邪魔になるのが心配で途中退席すらできない臆病者ときてる。これほどの適任はいないだろう?」

「お前なぁ……何を言いだすかと思えば、ただ俺をディスってるだけじゃねぇか」

「少しは褒めてるつもりなんだけどな」


 心にもないことを言いだす優に冷めた視線を送っていると、席を離れていた真弓が足早に戻ってきて、あるものを差し出す。

 それは非常に薄くて透明なシートで、疑うことなく受け取った拓也は真弓をまじまじと見つめる。


「……これは何だ?」

「食べた物の味覚の電気信号にを読み取って記録するシートよ。試作品で試してもらおうと思って持ってきてたの。舌に貼ってみて」


 そそくさと言った真弓はAirで空中にキーボードを展開して素早い動作でタイピングし始め、拓也は受け取ったシートをしぶしぶ舌に貼る。


「拓也、ちょっとその親子丼を口に運んでみて」


 キーボードをタイプしながらの真弓の指示通り、拓也は冷めつつある親子丼を口へと運び、優は二人のやりとりをじっと眺める。


「オッケー。もういいよ」


 真弓はそう言うと、キーボードと空中の間で視線を往復させる。

 恐らくは自分以外には可視化していないシークレットウィンドウを見ているのだろう。

 しばらくすると、それまで何もなかったはずのアイの目の前にホカホカと湯気をあげる親子丼が現れた。


「アイちゃん。ちょっとその親子丼を口に運んでもらえる?」


 突然指名されたアイは虚を突かれたように目を丸くしたが、おずおずとスプーンを手に取る。

 もちろんアイには実体はなく、拓也たち三人のAirの中で共有された情報にすぎないので、彼女の目の前にある親子丼も拓也たちの目に見えるように可視化されたデータの塊にすぎない。

 アイはその情報の集まりでしかない親子丼を一口すくうと、パクッと口に運んだ。


「どう? おいしい?」


 咀嚼しながら、眉を寄せたり驚いたりと一人で百面相をしながらアイはしばらく無言だったが、やがてポツリと呟く。


「おいしい、……のでしょうか? ジューシーで甘い味付けですけど、それが卵のふんわり感とマッチして非常に印象に残る味です。私には人間の味覚に関するデータが皆無なので、これが本当においしいのか図りかねますが」

「いいのいいの、初めてなんだから。それが人でいうところのおいしいなのよ」


 それを聞いた真弓はそう言って、小さくガッツポーズを作った。どうやら実験は成功したらしい。

 頃合いを見計らって、何が行われたのか理解できてない優が代表として口を挟む。


「実験は成功したみたいだな、おめでとさん。で、どういう原理なんだ」

「仕組みは簡単よ。さっき拓也に親子丼を食べてもらった時の脳へと伝わる電気信号と素材の食感なんかを記録して、それをアイが親子丼を口に運んで咀嚼した時に反映させただけ」

「つまり俺が食べた時の感覚をアイにトレースしたってことか」

「そういうこと。まぁ口で言うのは簡単だけど、素材同士の崩れて混ざり合う時の相関や舌触りの再現の計算には結構お金はかかっちゃったからねー。そのかいがあるなら万々歳」

「ふーん。ちなみにこの親子丼のビジュアルデータは?」

「画像や動画から抽出した簡易データだよ。さすがにリアリティ重視の高級ホログラムは使えなかったんだ」


 そう愚痴りつつも、真弓は満面の笑みでアイが興味深そうに親子丼を口に運ぶ姿を眺めている。


 彼女は機械の部品などを寄せ集めてロボットなんかを作っている工学サークルで人間の五感を完全にデジタル化するという個人的趣味に没頭しているが、今回のこの作品はその集大成なのだろう。

 そうして三人でなんとなくアイの食事姿をぼうっと眺めていたが、やがて優が拓也の方に視線を向ける。


「そういや拓也。お前昼から暇だろ。ちょっと付き合ってくれないか」

「勝手に暇って決めつけんなよ。まぁ、いいけど」

「なら決まりな。真弓も一緒に来るか?」


 ノリよく優が真弓に訊ねると、彼女は申し訳なそうに両手を合わせた。


「ごめん、私はこのあと講義とサークルがあるから無理」

「そうか、ならしゃーないな。拓也、用がないならもう行こうぜ」

「あぁ、わかったよ。そう焦るな」


 急かす優をなだめながら、拓也は足元の自分のリュックを背負うと、食べ終えた空のどんぶりをトレーと共に返却する。


「それじゃ、また今度な真弓」

「うん、またねー」


 暖かく真弓に手を振って見送られながら、拓也と優、そして食堂を後にする。


「拓也さん」


 食堂の喧騒から離れ、正門側へ向かっていると、ふとアイが話しかけてきた。


「なんだ?」

「先ほどの優さんの問いかけはいささかいかがわしいと思うのですが」

「どういうことだよ?」


 眉を寄せて、少し後ろを歩くアイに視線を向ける。アイはストレートに訊ねた。


「付き合うというのはあれでしょう? 拓也さんと優さんが性的な関係にあるということではないのですか?」

「…………あのな、付き合うってそういう意味じゃないから。今後そんなこと言うなよ。絵面を想像しただけで吐きそうだ」


 アイの言葉にげんなりしながら言いつつ、拓也は優の背中を追った。

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