第3話 37度、初めて握った手の温度

 なぜ助かったのか、いまでも不思議なのだがぼくは釣りをしていた男性に助けられ、救急車で病院に運ばれた。言わないと病院に連れて行かないと脅されて、ぼくは本名と住所、学校名を救急隊に言った。今思えば、連れて行かないなんてこと、できる訳もないのに。ぼくは水をたくさん飲んで朦朧としていた。だから病院についてタオルを掛けられ、服を着替えさせられてもぼんやりしながらただ震えていた。水温はそこまで低くなかったのに、ぼくは歯の根も合わないほどの震えに襲われていた。

 一通り処置が済むと、若い女性の看護師がぼくの手を握って、できるだけ強く握り返してください、と言った。ぼくはしっかり彼女の手を握りながら、女性の手を握ったのは生まれて初めてだな、と場違いな感想を抱いた。眼鏡がなくなっていたのでよく見えなかったが、彼女は綺麗だと、ぼくは思った。握力があることを確認して彼女は手を離そうとした。ぼくはその時急に心細くなって、その手を離したくないと思った。初めて知る女性の手の感触は柔らかで、よるべなきこの自分を暖かく包んで守ってくれるような気がした。手を離そうとしないぼくを、彼女は不思議そうに見つめた。その表情は、何か聞きたそうに見えた。ぼくはその目を覗き込みーー手を離した。ぼくを乗せたストレッチャーは、他の看護師に押されて緊急外来を出た。お互いが見えなくなるまで、ぼくと彼女は互いを見つめあった。


 やがて警察が来て、事情聴取をした。自殺未遂なのだと確認をとると、二度としないように、と念を押して彼らはすぐに帰った。その後に両親が来た。母は忙しいのになぜこんなことをして困らせるのか、げんなら絶対にこんなことはしないのに、とぼくを詰った。父はいつもどおり何も言わなかった。ぼくは母が一通り怒りを発散するまで黙っていた。ふたりが出て行った時、ぼくは思わずため息を漏らした。ぼくはさっきの看護師を思い出した。そして、あの手を、その温もりをすでに懐かしく思っている自分に気づいた。


***


 家に帰って数日間、ぼくは呆然として時間を潰していた。自分でご飯を準備できるようになったら、母は何もしてくれなくなった。ぼくはレトルトのカレーを渡されて、それを食べるように言われた。数分後、沸騰したお湯の中にレトルトのを流し込んでいるぼくを見て、母は悲鳴をあげた。

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