第14話 忍びよる魔の手

「ねえ、チョップくんは、大きくなったら何になりたい?」


 そう言って、くるくる金髪のサイドテールを夕方の潮風に揺らしながら、幼き日のマルガリータはチョップを見つめる。


 いつものように朝から全力で遊び回り、西の港のベンチで海を眺めていた二人。

 海に沈み行く夕陽に照らされて、夕焼け空と同じ色の顔をした小さな少女は、これから美しい女性に成長するだろうという兆しがすでにかい見えている。


「僕はいつか泳げるようになって、じいちゃんみたいなりっぱな水兵さんになるよ。マルガリータは?」


 チョップは桃の実メロコトンのような赤いほっぺで笑顔を見せながら、逆に聞いてみると。


「わたしは……、チョップくんのおよめさんになりたいなー、なんてね」

「えっ?」


 マルガリータはいたずらな笑みを浮かべて、上目遣いでチョップをる。

 年端もいかない子供とはいえ、女の子。これくらいの駆け引きは自然にやってのけるのだ。


「ぼくも……」

「でも、わたし心配だなぁ」

「えっ? 何が?」

「チョップくんが水兵になったら、敵と戦わないといけないんでしょ? 人の命をうばったり、うばわれたり……。わたしは、チョップくんにはそんなふうになって欲しくないな……」


 少しずつ、夜の気配が忍びよる港で、チョップは暗くなっていく雰囲気を振り払うかのように。


「わかった! じゃあ、ぼくは大きくなったら、誰もころさない水兵になるよ」

「ええっ?」


 思いもよらない言葉で目を見開くマルガリータ。チョップはベンチから立ち上がり、拳を握ると。


「僕は話し合いとかでたたかいを解決する、人の命をうばったりしない『優しい水兵さん』になるよ。そして、僕はマルガリータのそばでずーっとまもってあげる」


 チョップは決意を秘めた瞳で、少女を見つめ返すと。


「そして、僕はマルガリータをお嫁さんにするよ」

「ほんとー? うれしいっ!」


 マルガリータはチョップに抱きつき、少年も少女をてらいもなく抱きしめ返す。


「わたし、チョップくんのこと、だーいすき! ずーっといっしょにいようねっ」

「うん!」


 時が経てば消えてしまいそうな、どこにでもある淡い約束。


 それが失われる事などないとばかりに、純真な心で固く信じあい、幼い二人は日が暮れるまでずっと寄りそい続けた……。



 *



 そして、現在。


 チョップは東の海が一望できる丘の上の公園に、水兵服を纏って立っていた。

 風が立つ崖の上で、彼はマルガリータとの思い出に浸りながら、島を離れる五隻の黒船を見送る。


「これで、いいんだ……」


 ここは昔二人で良く遊んだ、チョップのお気に入りの場所。そして、三ヶ月前に二人が最後に別れた場所。


(チョップくんの、ウソつき……)


 脳裏に浮かぶのは、あおい満月を背景に涙を流す、美しくも悲しげなマルガリータの表情かお


「これで、いいんだよな……?」


 心の中で何度も繰り返した疑問を改めて口にしながら、チョップは自らの右手をじっと見つめ、首を振る。


「そうだよ……。僕は彼女と共に生きる資格なんて、すでに無くしているんだ……。だから、これでいいんだ……」


 チョップはそれを最後の結論とし、これ以上は未練だと、去り行く黒船とマルガリータに背を向ける。


 しかし、その時。


 チョップの鼻腔に入ったのは、木材が焼けるような焦げた匂いだった。


「……火事?」


 匂いを感じる東の方角を見下ろすと、水兵団の船が停泊している東の港から煙が上がっている。


「船が燃えている……?」


 それも、一隻や二隻のものではない。

 瞬く間に積乱雲のような黒煙が東の港を覆い尽くし、明らかに異常な事態が発生していた。


「まずい、急がないと……」


 むりやり休暇を与えられていたチョップだったが、水兵団員の任務を果たすべく、丘を駆け下り、東の港へと向かう。


「これは、一体……」


 東の港へ到着したチョップが目にしたものは、すでに燃え尽き、変わり果てた姿となった水兵団の船舶群。

 目に写る限りのすべての船が、見る影もない有り様となっていた。


「うぉおおい、チョップーっ! お前、こんな時に何しとんねん、こぉのポンコツこらぁーっ!!」


 慌ただしく現場作業をしている水兵団員たちの中、チョップの姿を見つけた少年水兵が、騒々しくやって来る。

 ツンツンの明るい茶髪をした小柄な水兵。チョップと同じ第一部隊所属のチャカである。


「ごめん。僕、今日は非番だったんです」

「あれ、そうやったっけ? そら、大きな声出してすまんかったな」

「いえ。そんなことより、これはどうしたんです?」

「どうしたもこうしたも、あるかい! 見ての通りや、放火や放火!」

「放火……?」

「ほうか。やあらへんがな! ダジャレぶっこいとる場合かーい!」

「いや、僕シャレなんか言ってませんけど……」


 チャカの話では、水兵団員はパレードの警備に当たっていたが、第一部隊に限っては『パレードが終わったら、すぐに東の港で待機しろ。目立たないようにこっそりな』とトーマス副隊長から指令を受けていた。


 しかし、隊員たちが東の海岸に移動していたところ、港から煙が上がっているのを発見し、あわてて駆けつけたが、船番の兵たちは無惨な焼死体になっており、兵団船五十隻に全てに火の手が上がっていたとの事だった。


「とりあえず、旗艦の『エルアルコン』だけは、なんとか火を消し止めてんけど、火の回りが異常に早くてなあ。他の船までは間に合わへんかったんや」


 すでに船とも呼べない状態の黒焦げの山々を前に、第一部隊の隊員たちは落胆した様子で、現場の検証や片付けを行っている。


「一体、誰がこんな事を……?」


 本来なら真っ先に疑うべきはバミューダ帝国なのだが、これからマルガリータ姫と皇帝が結婚し、同盟を結ぼうという矢先であるため、その可能性は限りなく低い。

 だとすれば、何者が?


「くるっくー!」


 チョップとチャカが思案に暮れていた、その時。

 彼らの頭上に、パタパタパタと一羽の白いハトが飛んでくる。


「あれは……、スワン副団長の伝書鳩やないか?」

「ピーちゃんですね」


 ピーちゃんと呼ばれる白鳩は二人の目の前に着陸し、ふんぬっとばかりに右足を上げて、くくりつけられた金菅を取るように指示する。

 それを受け取ったチョップは、巻物状の手紙を広げ、小さな文字に目を凝らす。


「なんやなんや? 何て書いてあんねん?」

「こ、これは……!?」



 *



 時は数刻前にさかのぼる。


 サン・カリブ島を出港した黒船は、さしあたった障害もなく、東に向かって航海を続けていた。

 天気は快晴。風は追い風三ノット。

 航海をするにはもってこいのシチュエーションである。


「風、止まないかな……」


 みるみる離れ行くサン・カリブ島を眺めながら、船尾に一人たそがれるマルガリータ姫。


 当初、婚礼の一団は王国の船でバミューダ帝国に向かう予定だったが、帝国の様式では『婚礼の儀』は自国の船で花嫁を迎えに上がるものだという強い要望があり、マルガリータたちは帝国の軍艦での渡航を余儀なくされていた。


 慣れない帝国船に乗り心地の悪さを感じながら、マルガリータは潮風と船の揺れに身を委ねる。


「チョップくん……」


 美しい婚礼衣装を身に纏いながらも、彼女の脳裏に浮かぶのは、愛しい少年の事ばかり。


「最後くらいは、笑顔でお別れしたかったな……」


 そう言って、寂しげにため息をつく。


「くるっくー。姫様はご機嫌が優れないようですな」


 そこに現れたのは、シルクハットをかぶって丸眼鏡をかけた鳩胸の男。

 サン・カリブ王国水兵団の副団長兼、第二部隊隊長のスワンである。


「あ、副団長さん。ご機嫌うるわしく」

「ぽっぽっぽ(笑い声)。やはり、この結婚は気が進まれないようですなあ」


 すると、スワン副団長はシルクハットを取り、胸元のハンカチーフを被せると、帽子の中から白い鳩が現れる。


「まあ、お上手」

「ぽっぽっぽ。なんのこれしき」

「それにしても、副団長さんは名前がスワン(白鳥)なのに、鳩がお好きなのですね」

「その上、今日は尾服を着ておりますからな。どこの鳥貴族かって話ですよ」


 それを聞いて、プッと吹き出すマルガリータ。スワンはバーコード頭を撫でながら。


「やはり、姫には笑顔の方が良く似合いますな。帝国に行かれた後も伝書鳩を時々送りますので、何かありましたらすぐにお申しつけ下さい。不肖このスワン、微力ながらいつでもお力になりますよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いしますね」

「それでは。くるっくー」


 少しだけ元気が出た様子のマルガリータを見て、スワンは深々と紳士然に会釈をして別れる。

 今後の対応を打ち合わせるため、ジョン=ロンカドル水兵団長がいる客室へと向かった。


「くるっくー」

「おっ、スワンさん。姫の御様子はどうでしたか?」


 部屋の中では待ってましたとばかりに、ジョンが言葉をかける。


「随分しょんぼりされてましたな。まあ、当然と言えば当然ですが」

「そうですか……」


 マルガリータ姫の事を幼い頃からよく知るジョンは、彼女の様子を聞き、神妙な面持ちになる。

 ちなみに、兵団長であるジョンと副団長のスワンがお互いに敬語を使うのは、スワンの方が年長であり、水兵団の在籍期間も長いためである。


「しかし、やはりこの状況は異様としか言いようがないですなあ。これから同盟を結ぶとはいえ、元は敵だった国の船に王国の要人がまとめて載せられているなどと。もし、これが帝国の策略だとしたら、我々は一網打尽にされてしまいますなあ」


 ちょんと首を切る仕草を見せて、スワンはおどけてみせる。

 飄々としながらも歴戦の勇らしく、眼光鋭く現在の局面を分析する副団長。


「一応、各隊長たちには帯刀をさせて、各船に搭乗させてはいますし、たとえ罠だとしても一方的にやらせはしませんよ」

「ぽっぽっぽ。しかし、うちの王様たいしょうも人が良すぎですな」

「仕方がありませんよ。政治的な駆け引きについては、我々が関与するところではありませんし、『友を疑うような行動は慎むべし』というのが王のお達しですから」

「はっ、友ですか? 俺は全く信用してませんがね」


 筋肉がありすぎてムチムチの燕尾服を着た赤髪の男が、腕いっぱいに干し肉を抱えながら船室内に現れる。第一部隊副隊長のトーマスである。


「トーマス。なんだ、その肉の山は?」

「これですか? これはヤケ酒がわりのヤケ肉ですよ」


 言いながら、ライオンのように干し肉をむしっと囓り取るトーマス。


「ほう、お前さんが何か荒れるような事があるのかね」

「そりゃ、荒れもしますよ。サン・カリブ王国全男子の憧れの的、マルガリータ姫がよりによって帝国の皇帝に奪われるんですよ? それに戦争を止めるためだなんて、ひとくうもいいとこじゃないですか!」

「まあ、政略結婚とは元々そうしたものではあるのだが……」

「しかも、皇帝は女を喰いまくってるオークみたいな性欲の塊らしいじゃないですか。俺はNTR属性はないですからね。これなんてエロゲですか?」


 さらに、むしっむしっとビーフジャーキーにかぶりつくトーマス。


「こんな事なら、チョップをハブらずに連れてきた方が面白かったんじゃないですかね? まだアイツの方がよっぽどお似合いですよ」

「ぽっぽっぽ。お前さんには燕尾服は似合っておらんがな」

「そりゃ俺だって、好きで着てるわけじゃありませんや」


 スワンのいじくりに子供のようにむくれるトーマス。年の上ではアラフォーだが、腕白な様子を見せる彼は、いろんな意味でまだまだ血気盛んな若者と言えよう。


「ともかく、全部隊で派手に動く訳には行きませんから、とりあえず第一部隊ウチのれんちゅうには東の港にこっそり待機するように伝えてます」

「ご苦労。ひとまず、婚礼の儀が済むまでは何が起こるか分からん。引き締めてかかってくれ」

「くるっくー!」「了解シーセニョール!」


 意思を統一し、三人が決意を新たにしていた、その時。


 ドラッゴォーン!


「うおっ!」

「何だ、座礁ですか?」

「いや、ここは海の真ん中です。そんなはずは……」


 いきなり船が大きな衝撃に襲われ、グラグラと大きく傾く。

 ジョン達は急いで甲板に上がり、そこで彼らが見たものは、船首の先に岩山のように立ち塞がる巨大な生物の顔面。

 ひとたび暴れれば国一つ滅ぶとも言われる、恐怖の存在であった。


『ド……、ドラゴン!?』

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