第11話 王家の使命

 光と影が美しく彩ったマジックアワーが終わり、夜の気配が強まりだした西の港。


「はあ……、はあ……、なんて逃げ足の速い……」


 執事長のケイマンは、荒い息をつきながらチョップの近くまでやって来る。


 ポマードで固めた黒髪とタキシードは乱れにみだれ、彼が王女の命令を忠実に守る水兵団員から必死に逃れ、彼女を追跡して来たことが伺い知れる。


「ケイマンさん、お久しぶりです」


 そう言って、チョップは防波堤から飛び降り、彼の元へと近付く。


 執事長ケイマン。端整な顔立ちの長身の男性。

 王家に使えること二十数年。王族の身の回りの世話を一手に引き受け、さらにはボディーガードをも兼ねる執事職。

 その中でも彼はよわい四十半ばながら、トップである執事長を勤め上げる超スーパー優秀な人物なのだが。


「また、貴方ですか……」


 ケイマンは乱れた髪にくしを入れ、居住まいを正すと、眼鏡をくいっといじりながら、不快感をあらわにした冷たい視線をチョップに投げつけた。


「貴方には金輪際、私共に関わらないように申し付けられてあるはずですが」

「すいません。僕から連絡を取るつもりはないのですが、そちらの方から来られてしまったら、どうする事もできません」

「ポンコツ水兵の分際で、減らず口だけは達者ですね」


 ケイマンはチョップを心底忌み嫌うかのように、鼻にもかけない態度を取る。


「七年前のあの誘拐未遂事件、よもや忘れたわけでは無いでしょうね」

「はい……、良く覚えています」

「あれは、貴方のせいで引き起こされた事件もの。貴方が迂闊な行動をとったせいで、あのような大惨事になったのです」


 口調こそは丁寧だが、ケイマンは傷口を抉るかのように、チョップに鋭い言葉を浴びせかける。


「あの事件のことになると、あの活発な姫がふさぎ込んだようになります。あの時、何が起こったのかは知る由もありませんが、貴方が姫の心に深い傷を負わせた事を分かっておいでですか?」

「重々、承知しております」


 慇懃にして無礼なケイマンに対し、それでもチョップは真摯に言葉を返す。

 ケイマンはわざとらしく、ふうーっと大きなため息をついて、かぶりを振ると。


「マルガリータ姫は黙ってさえいれば、西海洋マオエステでも随一の美姫びき。とうにいずれかの国に輿入れをされていてもおかしくない年頃。それが未だに結婚をされないのは、貴方の存在が姫を縛り付けているからに他なりません」

「……」

「できるなら今後一切、私共に干渉しないでいただきたい。そして、姫とも二度と会わないでもらいたい。貴方は我々にとって疫病神。邪魔者以外の何者でもありませんし、関わるとろくな事がありませんから」


 冷たい海風が、彼らの間を吹き抜ける。


「ずいぶん時間を無駄にしてしまいました。それではご機嫌よう」


 心にもない礼辞を述べ、ケイマンはその場から立ち去ろうとするが、それでも文句を言い足りなかったのか、足を止めてまでさらに吐き捨てる。


「あてつけのように水兵団に入隊されたみたいですが、貴方のような輩が姫と添い遂げようなどと、はかない夢は持たない事です。天と地がひっくり返っても、絶対にありえませんのでね」


 チョップが何も言い返さないのをいいことに、とどめとばかりに釘を刺し、ようやく姿を消す執事長ケイマン。


 人がいない港、闇が覆い始める世界にいつまでも一人立ちすくむチョップ。

 一文字に口を引き締めたその表情からは、誰も彼の思いを伺い知る事はできなかった。



 *



 夜空に浮かぶアーモンド型の月が、サン・カリブ島を柔らかく照らす。

 島の中央にそびえるグアドループ王城も、厳めしい風体を闇夜に浮かべている。

 そして、橙色の燭台の光が煌々と漏れる、一室の窓。


「何のご用でしょうか、お父様?」


 マルガリータは父親である王に呼び出され、王の執務室にいた。

 年期の入った渋い風合いの机に座る、王冠を被ったカイゼル髭の恰幅かっぷく良い人物。

 現サン・カリブ国王のマルティニクは、机を挟んで対面に立つ娘に問いかける。


「マルガリータ。また、あの少年と逢い引きをしていたらしいな?」

「逢い引きなんてしていないわ。デートをしていたのよ」

「それを逢い引きというのだ」


 あけすけに言う姫に、ツッコミを入れるマルティニク王。

 マルガリータは父王の脇に侍り、告げ口をしたと思われる執事長のケイマンをジロリとにらむ。


 サン・カリブ王国の現国王、マルティニク=グアドループ。


 実父である前国王ウィンドワードと比べ、自ら戦いに赴き、軍を指揮する才は大きく劣るものの、政治的能力においては前王をしのぎ、現在のサン・カリブ王国の発展に大きく寄与している。

 そんな彼の今一番の悩み事は、愛娘マルガリータのお転婆ぶり。


「年頃の娘が男と二人きりなどと……、間違いがあったらどうするのだ」

「望むところよ! 心の準備はできてるわ。カモン&ウェルカム!」

「だから、それがいかんと言っておるのだ!」


 頭が痛いとばかりに、こめかみを揉むマルティニク王。

 マルガリータは、やれやれだぜと肩をすくめ。


「用が終わったなら、わたし部屋に戻るよ?」

「待て待て! まだ、本題にすら入っておらんぞ!」

「そもそも、お父様はチョップくんに会ったことが無いからそんな事を言うのよ。一目見たら、きっと気に入ると思うんだけどなー」

「人の話を聞きなさい!」


 自由奔放な娘の言動に、なんでこんな風に育ったのやらと、マルティニク王はため息をつく。


「お前を呼び出したのは、逢い引きを咎めるためでも、親子漫才をするためでもない。実はある縁談が持ち上がっておるのだ」

「またぁ?」


 それを聞いて、マルガリータはあからさまに嫌な顔をする。


「さる国の頭主がお前に興味を示し、妻にもらい受けたいとの申し出があったのだ」

猿国さるくに投手とうしゅって、ゴリラのピッチャー?」

「いいかげんにしなさい。ごまかそうたってそうは行かないからな」


 さすがにふざけ過ぎを咎められ、口を尖らせながらやむなく王の話に耳を傾けるマルガリータ。


 グアドループ王家に生まれた女性は、西海洋の百からなる周辺諸国との親交を深めるため、それぞれの王室や有力者の子息と結婚させられる事が多い。いわゆる政略結婚である。


 マルガリータも例外なくその風潮に乗せられているのだが、美人でおっぱいが大きいと名高い彼女の場合は、逆に他国の王または王太子から求婚の申し込みが殺到している状況である。

 しかし、恋愛結婚がしたいマルガリータは、それらの縁談を片っ端からムエタイのように蹴りまくっている。

 もちろん、今回も居合い斬りのようにバッサリ斬って捨てるつもりなのだが。


「で、それはどこの国の誰?」

「バミューダ帝国……」

「!?」

「皇帝、アンドレス=バミューダだ」

「えっ……?」


 予想だにしなかった国と相手の名前を聞き、言葉を失うマルガリータ。マルティニク王は淡々と話を続ける。


「今、ここに帝国からの書状がある。ケイマン読んでみてくれ」

「はっ、代読させていただきます。『ぶひっ、猛暑のみぎり、親愛なるマルティニク=グアドループ王および、サン・カリブ王国民の皆さま、ぶばばばば、いかがお過ごしでしょうか?』」

「待て待て、ケイマン。なんだ? その『ぶひっ』とか『ぶばばばば』とか」


 ケイマンは、クールに眼鏡をくいっといじりながら。


「確か現バミューダ皇帝は、豚のような御仁だったかと思い、臨場感を演出してみたのですが……」

「面白いそうだからいいじゃない。試しにそれで続けてみて」

「はっ。『ぶひひ。さて御国王の、ぶひっぶひっ、御息女マルガリータ王女について、私は一目見た時から、ぎょふっぎょふっ』」

「あ、やっぱり不愉快だからやめてくれない? 話の内容もまったく入って来ないし」

「左様ですか、では……」


 ケイマンは普通の口調に戻し、帝国皇帝の書状を読み始める。

 内容としては、皇帝が気高く美しいマルガリータに一目惚れしたこと、気が強く行動力がある女性を伴侶として求めており、正室として迎え入れたいとのこと。そして、これを機会にバミューダ帝国は、サン・カリブ王国とよしみを持ちたいとのことを、切々と綴られてあった。


「ふーん、今まで散々ウチにひどい事して来といて、虫が良すぎない?」

「あ、まだ手紙には続きがございます。『P.S. 二年前の晩餐会の事ですが、頭にシャンデリアを落とすのはあんまりだと思います。あの時は本当に死ぬかと思いました』」 

「あら、ばれてーら」

「お前は、一体何をやったんだ?」


 読み終わった手紙をケイマンから受け取り、マルティニク王は机の上で両手を組み、エヴァの碇ゲン◯ウスタイルでマルガリータを見据える。


「絶対イヤ」

「まだ何も言っておらぬぞ」

「どうせ、結婚しろって言うんでしょ? あんな醜い豚みたいな男と一緒になるぐらいなら死んだ方がマシだわ」

「だが、姻戚関係を結ぶならこれ以上の相手はない。この縁談をまとめることができれば、サン・カリブ王国とバミューダ帝国間の争いに終止符を打つことができる。これは我々、グアドループ王家の五百年の宿願であるはずだ」

「それはまあ、そうだけど……。でも、他ならまだしも、あれだけ忌み嫌っていた国にハイそうですかと嫁ぐなんて、まっぴら御免だわ」


 マルティニク王は、ふーっと大きくため息をつくと。


「そうか……、仕方がない。ケイマン、ジョン=ロンカドル水兵団長を呼んでくれないか、今すぐにだ」

「はっ、かしこまりました」

「えっ? 何で、急に団長さんを呼ぶの?」


 王は、恐ろしく覚悟を決めたといった顔つきでこう告げる。


「今から、帝国との全面戦争の準備をしなければならないからだ」

「!?」


 求婚を断っただけで即戦争という超展開に、顔色が変わるマルガリータ。マルティニク王は続ける。


「帝国人は面子を重んじる民族だ。今回の話を破談にすれば、あの皇帝のことだ、顔を潰されたとして戦争の口実にするだろう。備えは早い方が良い」

「まさか……」

「これはもう、王家われわれだけの問題ではないのだ。水兵団はもとより、国民も戦火に巻き込む事になる。多くの者が命を落とすことになるだろう。国が滅ぶ事態にもなりかねない」

「チョップくんも、戦争に……?」


 マルガリータは無数の砲撃にさらされるチョップの姿を想像し、考えたくもないとばかりに首を振る。

 マルティニク王は窓辺に立ち、平和に佇む島の遠景を眺める。


「強攻派だった現皇帝が融和路線に切り替えたのは、東の大陸内で帝国とにらみあっている国々と連携した、『反帝国連合』が功を奏したからだろう。だが、まさかこのような事になるとは思ってもみなかった」

「……」

「結果として、お前に無理をさせてしまうことになるが、一つだけ忘れないで欲しい。民を守るのは、『聖者カリブ』から国を預かった、代々伝わるグアドループ家の使命。我々が第一に考えるべきは、国民の安寧に他ならないのだ」


 グアドループ家は、元はバミューダ帝国の臣下であったが、暴政に苦しむ民のために反旗を翻したもののあえなく敗れ、奴隷におとされた没落貴族であった。

 だが、彼らを始めとする奴隷たちを助け、現在のサン・カリブ島に渡海させたのは、聖者カリブ。

 本来、王になるべきカリブは、民を救うために力を使い果たし、その命を散らした。

 いまわの際の聖者から後事を託され、新しい国を興したのが当時のグアドループ家の当主。

 そして五百年の間、連綿と続いた王家はその末裔なのである。


 押し黙るマルガリータに、執事長のケイマンは、王の気持ちを代弁するかのように。


「姫、差し出がましい事を申しますが、王も苦渋の決断をなされているのです。誰が好き好んで、あのような虎狼の国に大事な姫を差し出したいと思いますか?」

「よい」


 執事長のケイマンを制し、マルティニク王は父親の顔を見せる。


「それでも、マルガリータが嫌だと言うなら、もうこれ以上無理強いはするまい。ワシは帝国からお前を守るために、全身全霊を注ごうではないか。姫のためならと、きっと民も命をなげうって戦ってくれるに違いない。お前は全ての国民に愛されているのだからな……」

「わたしの、ために……?」


 重い空気に包まれる王の執務室。

 すきま風にたなびき、燭台の灯が大きく揺らめく。

 マルガリータはようやく口を開き、声を震わせながら父である王に答えた。


「……しばらく、考える時間を下さい」

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