第10話 夕暮れの港で

 オレンジ色の陽光が西から照らし、夕暮れ時が迫るサン・カリブ島。

 その台所とも言われる、飲食店や居酒屋が立ち並ぶ界隈を歩く、チョップとマルガリータ。

 おそらく夕方から開く店だろう、店員が今日のメニューを書いた看板を、入口に設置している姿がちらほら見られる。

 店の窓から流れ出る、さまざまな料理の香りが二人の鼻腔をくすぐり、胃袋を刺激するが。


「少し小腹が空いてきた感じだけど、ご飯どうしよっか? チョップくんはお腹すかない?」

「まあ、腹はすきますけど、食べないと決めたら食べなくても大丈夫です」

「へー。大飯食らいなのに、便利なお腹をしてるんだね」


 そんな会話をしていると、すでに開いている居酒屋から人影が現れ、こちらに気づいて近づいて来る。


「おうおうっ! そこのポンコツ水兵!」

「あっ、棟梁さん。こんにちは」


 チョップと顔見知りなのだろうか、ハゲ・ひげ・まゆの達磨のような顔をした筋肉ダルマの男が、大声を上げながらやって来た。


「おい、聞いたぞ! お前、服屋さんちの屋根の修理をしたそうじゃねえか」

「あ、はい。そうです」

「かあぁーっ! 全く商売あがったりだぜ!」

「す……、すいません……」


 大工の棟梁は酔っているのだろうか、荒い言葉を上げながらチョップを睨み付ける。


「いや、別に仕事を取られたからって文句を言ってる訳じゃねえのよ」

「はい」

「服屋さんとこの未亡人を俺が狙ってて、お近づきになるチャンスを潰されたから怒ってるんだ!」

「棟梁さん、だいぶ酔ってますね……」


 大工の棟梁は怖くて酒臭い顔をチョップに近づける。だが、すぐにニヤニヤと笑みを浮かべ。


「そんな事より、現場を見せてもらったが、お前ポンコツのくせに大した腕持ってんじゃねえか! 水兵よりよっぽど向いてるんじゃないのか、おう!」

「は、はあ……」


 どばんどばんと、大工はチョップの背中を叩きつつ。


「水兵を辞めたら、雇ってやるからウチに来いよ。どうせ役立たずのポンコツだから、もうすぐクビになるんだろ?」

「いや、今のところはそんな予定は……」


 がっはっはと笑う大工の棟梁は、白いつば広帽子を目深にかぶって顔を隠している、チョップに寄り添う女性を見つけ、小指を立てながら。


「お? お前、勤務中にコレとデートしてんのか? ポンコツのくせにやるなあ、ポンコツ!」

「あ、いや、これは……」


 なんとか言い逃れようとするチョップを差し置き、棟梁はマルガリータの方へ気を向ける。


「どれ、ポンコツの彼女はどんな顔をしてんだ?」


 マルガリータは覗き込まれる前に、自ら帽子を取って顔を見せる。

 金髪のくるくるサイドテールに、色白の肌の美しい顔。

 コバルトブルーのその瞳に大粒の涙を浮かべて、マルガリータは叫んだ。


「さっきから聞いてれば……、チョップくんはポンコツなんかじゃないよーっ!!」

「え……? ひ、ひ、姫様ーーーーーっ!?」

「チョップくんのこと、ポンコツポンコツ言わないでよーっ!!」

「す、す、す、すいませんでしたーっ!!」


 マルガリータの剣幕に、一気に酔いがさめた大工の棟梁は平謝りに陳謝する。

 二人の大声にそこかしこの店から、なんだなんだと野次馬がわらわら現れた。


「姫、行きますよ」

「え? う、うん……」


 チョップはマルガリータの手をグッと引いて、騒ぎになる前にその場を立ち去る。

 人混みをぬって走り、路地裏へ入ってひた走る。

 幼い頃に庭のように遊び回っていた街だけあって、二人は慣れたようにスルスルと縦横無尽に走り抜け、石積みで組まれた船着き場、西の港にたどり着く。

 チョップとマルガリータは、人気のない港の外れのベンチに腰を下ろして一息ついた。


「はぁ、はぁ……、なんとかけたみたいね……」

「もう、いきなり叫んだりしないで下さいよ。大騒ぎになるとこだったじゃないですか」

「はぁ、はぁ……。ごめんね、チョップくん。迷惑かけて……」

「迷惑なんてとんでもない。毎度おなじみ、ご存知、安定のクオリティじゃないですか」


 ケロッとした顔で言われ、それはそれで何だかなあと思いつつ。


「でも……、なんか懐かしいね。この感じ……」

「ええ……、そうですね……」


 二人は、主にマルガリータがやらかしたり、いたずらをする度に、ダッシュして逃げ回っていた子供の頃を思い出す。


「それにしても……」


 呼吸が落ち着いたマルガリータは、今度は怒りがぶり返し、拳を震わせながらベンチから立ち上がる。


「なんで、みんなチョップくんの事をポンコツって言うのっ?」

「うーん……、まあ、じいちゃんが伝説の水兵でしたから、僕もみんなに期待されてたと思うんですけど、それに全然応えられてないですからね。ポンコツと呼ばれるのも仕方ないかと」


 自己納得したように、うんうんとうなずくチョップ。


「僕にとっては、ただの面白いじいちゃんだったんですけどねえ」

「でも、ひどすぎるよ……。みんなも水兵団にはお世話になってるはずなのに。チョップくんだって、すっごく頑張ってるのに……」


 水兵団は海上の自衛のみならず、国内の警察や消防署の役割も担っている。特にチョップは人助けと称して、ボランティアや草野球の助っ人に至るまで、地域に密接な活動を行っているのだが。


「いやー、僕は全然気にしてませんよ。街のみんなは僕に良くしてくれてますから、むしろ親近感を持ってくれて嬉しいというか」

「でも……。わたし、なんかくやしいよ……?」


 たとえ、親しみを込められているとは言え、好きな男の子が『ポンコツ』呼ばわりされている状況に、マルガリータは声を震わせる。


「まあ、何もお気になさらずに。実際に戦えず、泳ぐことすらできない水兵は、役立たずのポンコツですから」


 それを聞いて、マルガリータは大きく首を横に振って。


「ううん、そんなことない! わたしは知ってるわ、チョップくんは本当はとっても強くて、すごい人だって……」

「やめて下さいっ」


 珍しく語気を強めた言葉をかけられ、ビクッとするマルガリータ。その様子を見て、しまったという表情を見せながら、チョップは沈うつな面持ちで。


「……僕は、そんな人間じゃありません」


 心配そうにチョップを見守るマルガリータに、彼はベンチに座ったまま言葉を続ける。

 

「僕は……、自分の『力』が怖いんです。いつかまた、誰かを傷つけてしまうかもしれないんじゃないかって……。だから、僕は『化物バケモノ』になるぐらいなら、ポンコツのままでいいんです……」

「……」


 二人が押し黙ると、ザザーン、ザザーンと波の音が響き、彼らに夕方の海風が吹き付ける。

 マルガリータはとびきり優しい笑顔を浮かべながら、うつむく彼の顔をふわんっと胸の中に抱きしめた。


「!」

「でも……、わたしはその力のおかげで救われた。あの時、帝国に連れ去られる事も身をけがされる事も無く、今ここにわたしが無事でいられるのはチョップくんのおかげ」


 マルガリータは子供をあやすように、チョップの頭をよしよしと撫でる。


「だから、そんなに自分を卑下しないで。チョップくんが優しくって素敵な人だって、わたしはちゃんと分かっているから……」


 チョップはマルガリータに身を任せながら、彼女と過ごした子供の頃の思い出と、母性を感じさせるような愛情にひたる。


「ふふふっ、これもなんか懐かしいね。チョップくんが泣いてる時に良くこうやってなぐさめてたっけ。昔は泣き虫さんだったもんね」


 彼女からほのかに香る、果物のような甘い匂い。そして、ふわふわとした柔らかさと、ぽよぽよとした弾力を兼ね備えた胸の感触を覚え、我に返ったチョップは慌ててマルガリータから頭を離す。

 護るべき人に甘えてしまった自分を恥ずかしく思い、思わず冷たく言い放つ。


「やめて下さい、もう僕たちは子供じゃないんですから」

「どお? わたし、おっぱい大っきくなったでしょ?」


 見当はずれの言葉に、チョップはガクッとずっこける。


「な、な……」

「そうだよ、わたしたちはもう子供じゃないんだよ」


 刺激的な言葉で迫りつつ、マルガリータはチョップを上目遣いで見つめる。


「その気になったら、わたしたちは愛し合うことだってできるんだよ?」


 夕闇が迫り、朱に染まる太陽がマルガリータの大人びた微笑を照らす。

 そして、彼女は真剣なまなざしで。


「具体的に言うと、セッ」「言っちゃダメです」


 とんでもない事を口走ろうとする所を、食い気味にツッコむチョップ。

 昔と変わらず、思ったことを全部しゃべってしまうマルガリータに、精神的にどっと疲れてため息をつきながら。


「まったく……、本当にあなたは王女様ですか?」

「そうだよ」


 マルガリータは石組みで積まれた防波堤に、ひょいっとよじ登ると、夕日を背にしてチョップを見下ろし、少し芝居がかったような声色で。


「わたしは、マルガリータ=グアドループ。サン・カリブ王国の王女。国と民を愛し、国と民を守る、グアドループ一族の末裔よ」


 日の光が輪郭を透過し、マルガリータの姿を王族の威厳と共に神々しく輝かせる。

 だが、マルガリータは表情を曇らせながら。


「でも……、わたしってあんまり王女様には向いてないみたい。普通の女の子だったら良かったのになって、いつも思うの」


 チョップは肯定も否定もできず、ただ無言でマルガリータを見つめる。

 海からの風が、海岸沿いのヤシの木の葉を静かに揺らしている。


「きれいな夕焼け……」


 マルガリータは赤から橙、黄色のグラデーションを奏でる西の空を仰ぎ見る。海岸線が金色の輝きを魅せ、西の海岸は魔法がかかったような、明暗のコントラストを描く。


「ねえ、覚えてる? 昔、チョップくんがここでプロポーズしてくれたの。その時もこんな風に夕焼けが綺麗だったよね?」


 チョップは少し考えるそぶりを見せて、後ろを向くと。


「すいません、覚えてません」

「ふーん、そっか……。だいぶ昔のことだもんね」


 マルガリータは寂しそうに、それでいて納得した様子を見せ、つまんないなーと防波堤の上で石ころを蹴飛ばす仕草をする。

 その時、強い海風が吹き、油断していたマルガリータの身体をあおった。


「きゃっ……!」

「危ない!」


 チョップはとっさに防波堤に飛び乗り、左手でマルガリータをつかんで引き寄せる。

 マルガリータはチョップにしがみつき、はからずも二人は抱き合う形になった。


「ありがとう、チョップくん……」

「どういたしまして……」


 チョップの胸にマルガリータは顔をうずめ、彼の心音と自分の鼓動を聞きながら、彼女は過去の記憶を蘇らせる。


「そういえば昔、わたしが崖から落ちそうになったところを、こうやって助けてくれたよね」

「あの時は、僕が代わりに落ちた上に、海で溺れて大変でしたよ」

「そうだったね……。あの時、本当にチョップくんが死んじゃうんじゃないかと思ったもん。わたし、すっごく怖かったわ……」


 マルガリータはギュッと腕の力を強め、抱きついたまま離れようとしない。


「えーと、そろそろ離してもらっていいですか?」

「んー、もう少しこのまま……」

「それは王女の命令ですか? それとも幼なじみとしてのお願いですか?」

「うーん……、両方」

「それはずるいですよ」


 チョップはマルガリータの抱擁に抗えず、かといって自分からは抱きしめる事が出来ずに、なされるがままで身動きが取れない。


「わたし、今日は帰りたくないな……」

「マル……。いえ、姫」

「ううん、マルガリータって呼んで」


 マルガリータはチョップの顔を見上げ、トロンとした瞳で見つめる。

 二人の心が、視線の距離が、ゆっくりと近づいていく……。


 そこへ。


「姫ーっ! 探しましたぞーっ! 何をやってるんですかーっ!」


 水兵団員たちのいましめをようやく逃れ、執事長のケイマンが西の港に姿を現す。彼は大声を上げながら、二人の元に迫って来ていた。


「ちぇっ。いいとこだったのに、タイミング悪いなあ。チョップくん、また今度ね」


 マルガリータはチョップから身体を離し、防波堤を飛び降りると、タッタッタと駆け出す。

 そして、思い出したように振り向きざま、両手をメガホンのように口に添えて一言。


「チョップくーん! わたしはあの時の約束、忘れてないからねー!」


 南国の花のような鮮やかな笑みを咲かせてそう言うと、マルガリータはスタコラサと走り去って行く。

 豆粒のようになった彼女のシルエットを見つめて、チョップは一人つぶやいた。


「約束……か」

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