第5話 ゲンコツ水兵ナックル伝説

「望むんかーい!」

「うわっ、ビックリした」

「くそっ! 行ってしまいよったか……」


 息を切らせて戻ってきたチャカは、ツッコミが間に合わずに肩を落とすが、それもつかの間でジョン兵団長に食ってかかる。


「納得いかーん!」

「うん? 何がだ?」

「チョップの奴、なんで、お姫さんにあない気に入られとんの? ひいきやひいき、えこひいきやで!」


 憤慨するチャカに、ジョンは嘆息しながら。


「しょうがあるまい。姫とチョップは幼なじみの間柄だからな」

「幼なじみって……」


 後ろの方では、幼なじみだからしょうがない、幼なじみだもんなと、うんうんうなずく団員たち。


「いや、あんたら幼なじみシチュに理解ありすぎやろ。え? お姫さんと、あのポンコツチョップが幼なじみやって?」

「姫の祖父、先代の王とチョップのおじいさんが親友だったからな。その縁で昔からの知り合いって訳だ」

「そのチョップのじいさんが、王のツレってのが意味が分からへんな。そんな偉い人なんか?」


 チャカのセリフを聞いてドヨドヨとなる団員たち。


「ん? オレなんかおかしな事うた?」

「お前、ホントにチョップのじいさんの事を知らないのか? あの伝説の水兵だぞ?」


 トーマス副隊長は半ばあきれながら、チャカに聞くが。


「あー、なんか昔ごっつい水兵さんがおったいう話は聞いたことありますけどね。ただ、オレは元々この島の人間やないですから、そういう伝承とかには疎いんすわ」

「ふむ、なるほどな」


 その言葉を聞いて、しばし考える様子を見せるジョン兵団長。


「……よし、今日は訓練を取り止めて、座学に切り替えよう」

「団長!?」

「たまにはいいじゃないか、トーマス。それに、どちらにしろこんな様子じゃ訓練に身も入らないだろう?」


 マルガリータ姫の訪問などで、浮き足立っている団員たちの状態を見て取る副隊長。


「まあ、確かに」


 ジョン=ロンカドル兵団長は、昔を懐かしむような目で遠くを見つめる。


「久しぶりに、皆に語って聞かせようじゃないか。大戦の英雄『白鷹しろたか』こと、ゲンコツ水兵ナックルの伝説を」



 *



 鎧を纏った端正な顔立ちの青年が、金髪を靡かせながら、船首に佇み周囲の船影を見据えている。


 時は遡ること五十年前。当時のサン・カリブの若き国王、ウィンドワード=グアドループはかつてない危機に陥っていた。


「国王! 全方位、敵艦に囲まれました!」

「水兵団は、ほぼ壊滅! 援軍もすでに期待が出来る状況ではありません!」

「万策尽きたか……」


 泣き出しそうな曇天の空模様、灰色の海は波が荒れている。


 不法占拠された自国の領島を帝国から解放するため、船団を派遣したウィンドワード王。

 自らも白帆はくはんの船を駆って親征を行うも、血気にはやった彼は敵の奸計に陥り、帝国の黒船に多重の包囲を受けていた。


「ペドロ=ロンカドル兵団長」

「はっ!」

「私の首をはねよ」

「はっ………………えっ? 国王、今何と!?」

「残されたのはこの船のみ、これ以上の抵抗は無駄に命を落とすだけ。ならば、私の首を差し出し、助命を嘆願するがよい」


 突然の申し出にペドロは困惑するも、その命令はとても聞き入れる事はできない。


「何をおっしゃいますか! 我々は最後の一人まで死兵となって、王をお守りいたしますぞ!」

「だが、私のせいであたら多くの将兵の命を失ってしまった。私に出来ることは、もうそれぐらいしか残っておらぬ」

「ですが、王は国の象徴でございます! 王の命が失われるような事をあれば、この国は終わりでございます!」


 だが、ウィンドワード王は首を横に振る。


「グアドループ王家は国民を愛し、慈しみ、守るための存在。民を犠牲にしてまで生き延びる事があってはならないのだ」

「国王……」

「民があれば、心の中に国は残る。お前たちが生きていれば、また浮かぶ瀬もあるだろう。さあ、一思いにやってくれ!」


 王命を受け、ペドロ兵団長は湾曲刀カトラスを構える。その双眸からは涙が溢れていた。


 おお、神よ! 何故にこのような仕打ちをなさるか!

 この王は稀代の賢王。彼を失えば、この海域は帝国に蹂躙され、罪もなき民の血で紅蓮に染まるであろう。

 願わくば、奇跡を!


「だーっはっはっ、負け戦だなあ!」


 全員が声のする方向。メインマストの見張り台を見ると、一人の若い男が白いマントを靡かせて、高らかに笑い声を上げていた。


「よっと」


 男は見張り台から飛び降りると、国王たちの前にドスンと降り立つ。

 筋骨隆々の大柄な体つきに水兵服をまとい、漆黒の髪が特徴的なその男は。


「ナックル! お前今まで何をやってたんだ!?」

「あー、ずっとあそこで寝てました」


 見張り台を指差して、起きたらボロ負けしてんだもんなあとしゃあしゃあと言い放つ。


「なんだと!」

「ペドロ兵団長、この者は?」


 王は、突如現れた黒髪白マントの男に興味をひかれて問いただす。


「こいつは我が水兵団の一員、ナックル」


 ふああ、よく寝たあ。などと言いながら、王の御前にも関わらず大あくびをするナックルに、兵団長は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。


「あまりにぐうたらで大喰らいなものですから、私たちも手を焼いている問題児です」

「だはは、ひどい言われよう」

「そもそも、なんだそのマントは!」

「要らなくなった、船の帆だ!」

「材料は聞いとらん!」


 もうやだ、こいつと頭を抱えるペドロ兵団長と、だはははと笑う水兵ナックル。


「こんな俺なんで、今後ともひとつよろしく!」

「今後ともと言われても、私は今から死ぬところなのだがなあ」


 達観したようにツッコむ国王の肩を、ナックルはバンバンと叩き。


「だっはっは! あんた、若いのに良い王様だな!」

「は?」


 年の頃が同じような水兵に、若いと言われてしまうウィンドワード王。


「普通、王様ってエラそうにして、毎日ばくばくステーキ食って、民の事なんて搾取するもんとしか考えてない奴らばっかだと思ってたんだけど」

「貴様っ! 王に向かって何て事を!」

「よい」


 ウィンドワード王は、いきり立つ兵団長を片手で制し、ナックルの次の言葉を待つ。


「でも、あんたは違った。自分の命を盾にして、部下や民を守る王様なんて聞いたことないぜ。俺のじい様や親父から、この国を守れ守れって口うるさく言われてウンザリしてたけど、やっと意味が分かったよ」

「……?」


『サン・カリブ王国の犬どもをぶち殺せー!』

承知デアクエルド!』


 ついに、帝国の船が包囲を狭めて最期の攻撃を仕掛けようとして来る。

 水兵ナックルはウィンドワードに背を向けて、肩越しに獰猛なスマイルを見せながら。


「あんたは死なすにゃ惜しい男だ。だから、俺が護ってやるよ。この国も国王あんたもな」


 そう言って、ナックルは接近する黒船のマストに、ロープを投げて絡み付かせると、獲物を狙う猛禽類のように敵艦の敵陣のど真ん中に飛び込んで行く。

 ブワッ、と白いマントを広げながら着地するナックルに帝国兵の一人が襲いかかる。


 ドゴオッ!


 ナックルが反射的に殴り返すと、敵は悲鳴すら上げることなく船の外へぶっ飛び、海の中へ消えて行った。

 驚愕する帝国の軍兵たちに、ナックルは握り拳をチラつかせながら、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。


「俺の拳は『大槌』だ、当たると痛えぞ?」


 ナックルはその場で拳を大きく振りかぶる。


「『雷神の大槌ミョルニル』……」


 そして、甲板に強烈な一撃を打ち込んだ!


「『船割り』!!」


 ドガバアアアアアーーーーーンッ!


 帝国の黒船は着撃点から真っ二つに裂け、海の中へと沈んでいく。

 ナックルは再びマストにロープを絡みつけてげたに飛び乗ると、次の船に跳び移り、船を割ってはまた跳び移る。


 ドッガァ! バッゴォ! ドッゴォ! ズッガァ!


「将軍! 我が軍の船が次々に沈められております!」

「何だとぉーーーーーっ!」

「あんたが、この船団の大将だな?」


 周りの船は全て沈め落とし、黒船艦隊の旗艦に現れるナックル。


「そんなキンキラの勲章みたいなもんを、偉っそうにゴテゴテ着けてるから一目で分かったぜ」

「何をボーッとしている! とっとと奴を殺せー!」


 将軍の号令を受け、敵兵の集団が襲いかかってくるが、ハエをあしらうかのようにあっという間に蹴散らされる。

 そして、ナックルは一人だけ残った指揮官の前に立つ。


「……ま、待ってくれ! 話せば分かる!」

「よくも、俺の国に手を出しやがったな……。ただで済むと思うなよーっ!!」


 ナックルが力をためた拳を繰り出すと、敵の将軍は「へぶっ」と悲鳴ですらない声を上げて、遥か彼方の空へ消えていった。



「奇跡が起きた……」


 見渡せば敵の艦隊は影も形もなくなり、あっという間の大逆転劇。開いた口がふさがらない、ウィンドワード王と水兵団の残兵たち。


「あらよっと」


 王国の船に戻ってきたナックルは一言。


「帝国軍って、案外弱っちいのな」

「いや、それはお主が強すぎるからでは……」


 いつの間にか空は晴れ渡り、常夏の太陽が再び白い船の帆を照らす。

 ウィンドワードはナックルの側へと近づき、頭を下げて謝辞を述べた。


「お主のおかげで私も国も救われた、本当にありがとう。この功にはどのように報いれば良いか……。お主には騎士ナイトの称号と相応の地位を授けようと思うが」

「あー? そんなもんいらねえよ。俺は家訓に従っただけだし、腹の足しにもなりゃしねえし、第一そんなもん貰ったら、道端で立ち小便も出来なくなる」

「こらっ!」

「ふむ、そうか……。ならば、私の親友ともとなってくれないか?」

「お? それいいな! あんたみたいな面白い王様なら、友達ダチになるのも悪かねえ」

「貴様っ! 王に対して失礼にも程があるぞ!」

「よいのだ」


 顔を紅潮させて、憤るペドロ兵団長をウィンドワードはたしなめる。


「元々、サン・カリブ王国は奴隷だけで立ち上げた国家。王と民の間に上下の差などない。命の恩人なら、なおのことだ」

「国王様……」

「なあ。そんなことより、なんか食わせてくれよ。腹が減って死にそうだよ。肉をくれ、肉を」


 ぐー、きゅるるるーと腹の虫を響かせるナックル。


「貴様っ! 王が今、素晴らしい事を言っておられるのに、そんなこととは何だっ!」

「あいにく、この船には食糧が載ってないのでな。食事は国に戻ってからになるが」

「えー、マジかよー……、岸に着く頃には、俺はもうミイラになってるかもしれねえ」

「そんな大ゲサな」


 はははははと笑い声が上がり、ウィンドワード王とサン・カリブ王国水兵団に、再び笑顔が舞い戻る。



 熾烈な帝国からの侵略を、政治と軍事の両面を駆使して幾度となく退けた、正義の賢王『ウィンドワード=グアドループ』。

 大戦の度に白いマントを靡かせながら、拳一つで王国に勝利をもたらし続けた、英雄『白鷹しろたか』こと『ゲンコツ水兵ナックル』。

 彼らがこれから築きあげる伝説は、二人なき今もなお、この海域に轟き渡る事となるが、その前に。


「何でもいいから、何か食わせろーっ!」


 ぐきゅるるるーっ! と、ナックルの叫びと盛大な腹の音が、コバルトブルーの大空に轟き渡った。

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