第4話 マルガリータ姫

 まぶしい太陽が照り付ける、まっ昼間のサン・カリブ島。

 一人の少女と、日傘を持った黒いタキシードの男が石畳の道を歩いていた。


 薄桃色のドレスを身にまとったその少女。

 金細工のように美しい髪を、くるくる巻きのサイドテールで両側に垂らしており、そのシルエットは一見するだけで高貴な家柄の女性であることが分かる。

 肌は透き通るように白く、コバルトブルーの大きな瞳はまるで海の色を溶かしたように深く澄んでいる。

 片手で覆い隠せそうな小さな顔に、すっと整った鼻梁とさくらんぼを含んだような愛らしい唇。


 非の打ちどころがない、完璧な美少女。


 彼女はこのサン・カリブ王国の王女、名をマルガリータ=グアドループ。

 その美しさは『西海洋の真珠姫ペルラ・デ・マオエステ』と、近海の人々から讃え称されるほどである。

 背筋を伸ばして、豊かな胸を張り、しゃなりしゃなりと歩く姿は一国を統べる一族の矜持が伺える。


「あ~づ~い~よ~……」


 だが、彼女から発せられる言葉からは、その矜持を伺うことは出来なかった。


「ねえ、ケイマン。なんでこんなに暑いのに、ドレスを着なくちゃいけないの? もう、汗だくよ?」

「姫、これは公務です。暑くてもそれなりの格好をしていただかなければ」


 マルガリータ姫の不満に対し、黒髪をボマードで頭をカッチリ固めた執事長のケイマンは、眼鏡をくいっと上げながら淡々と返す。


「サン・カリブ島は常夏よ? こんなドレスを着て外を回るなんて非常識よ、時代遅れもいいとこだわ。いっそのこと、水着ビキニの方がいいんじゃない?」


 あろは~と、細い腰をふりながらフラダンスのような踊りをしてみせるマルガリータ姫。


「姫、はしたないですぞ。一国の王女がそのような肌が露出した格好をなさるなんて、王も私も許しませぬぞ!」

「えー、王女なんて国民のアイドルみたいなものだから、それくらいのサービス精神は必要だと思うんだけどなあ」

「なら、逆にいっそのこと、視察を取り止めにして帰りますか? 冷たい麦茶が待ってますぞ」


 王女の無茶な願望に、起死回生の一手を言上ごんじょうする執事長。しかし。


「だめよ。これは王族の大事な公務なのですから、それをおざなりにする事はできません。決して水兵団に会いたい人がいるからとかじゃないのよ?」

「姫はその、思った事を全部しゃべってしまう性格をどうにかした方がいいですな」

「ふーんだ、ケイマンのいじわる」

「あっ、姫! お待ち下さい、肌を痛めますぞ!」


 ベーっと舌を出しながら、熱い石畳の上を駆けていくマルガリータ姫を、執事長は日傘をさしながら追いかけて行く。


 彼女たちが向かう先は、闘技場を模した水兵団の剣術訓練場である。



 *



「どりゃどりゃどりゃどりゃどりゃーっ!」


 闘技場の中央、赤土のグラウンドで繰り広げられる激しい攻防戦。一方的に攻める茶髪の少年水兵チャカと、武器も持たずに防戦一方の黒髪のチョップ。


「あいつら、いつまでやるつもりだ?」

「もう、かれこれ三十分は経つぞ」


 思った以上の長丁場に呆れる隊員たち。

 だが、息も切らさずに避け続けるチョップに対して、攻めているはずのチャカの方が余裕が無いように見える。


「くっそーっ、かすりもせえへんやないか!」

「えーと、そろそろやめませんか?」

「やっかましいわ! こうなりゃ意地でも、どたまカチ割ったるで!」

『あっ、いたいたーっ! やっほーっ!』


 鈴の鳴るような声が響き、水兵団員たちが見ると、観客席には視察に訪れた国王の娘、マルガリータ姫の可憐な姿があった。


「おっ、ようやっとお姫さんが来てくれはったな。おーい、誰かオレに木刀を貸してえな!」


 その呼びかけに隊員たちは、一斉に木刀を投げてよこす。


「わっ」

「違っ!? 危なっ! 一本でええねん、一本で!」


 大量に飛んできた木刀をさばきつつ、一本だけキャッチしたチャカは野生の獣が獲物を狙うように、ぐっと腰を落として力をためる構えを取る。


「行っくでえ、チャカチャカ二刀流奥義! タコポルポ十六連斬ッ!」


 ドン! とチャカは一瞬で間合いを詰め、ズバババドバババと一秒間に十六発の斬撃を見舞う。

 だが、嵐のような攻撃をチョップは全て見極め、フラメンコを踊るようにかわした!


「なんやとっ!?」


 そして、チョップは剣の間合いの内に入ると、チャカの眼前に拳を突きつける。その風圧で、チャカの顔面が一瞬歪んだ。


「まだ、やりますか?」

「ま、まいったで……」


 チャカは、木刀を離して両手を上げた。


『わー、すごーい! かっこいい!』


 パチパチと闘技場に響くマルガリータ姫の拍手の音。

 チョップは照れた風もなく、呆然としているチャカに背を向けて歩きだす。

 そこへ、トーマス副隊長が近寄って来た。


「チョップ」

「はい」


 ドバキッ!


『!?』


 そこにいた全ての者が目を見張る。トーマスがなぜかいきなり、チョップの顔を殴り飛ばした。


「やれるなら最初からやれ! 訓練をおろそかにする奴は、実戦で真っ先に死ぬ。手抜きをするような奴は、水兵団にはいらんぞ!」

「すいません……」

「罰として、グラウンドの隅で素振り一万回」

「はい」


 チョップは特に不満も述べず、殴られた頬をさすりながら、グラウンドの端へ向かった。


「ふー、しんど。あんな体力バカにゃ、つきあってられへんで」

「チャカ、お前はスタミナ不足だ。罰としてロードワークに行ってこい」

「えっ!? いまからですかあ? せっかくお姫さんが来てはるのに、兄さんそりゃ殺生でっせ!」


 パカン!


「あいたあ!」

「口答えをするな。と言いたいとこだが、気持ちは分からんでもない。じゃあ、俺がいいと言うまでグラウンドの周りをランニングしてろ」

「兄さんおおきに!」

「誰が兄さんだ」


 王女の姿を見ながら走ることができるので、チャカは殴られた頭をさすりながらも、嬉々としてグラウンドを回り始めた。


「副隊長さん、ご機嫌うるわしく」


 罰に取り組む二人を眺めるトーマスの前に、マルガリータ姫とお付きの執事長が現れる。

 スカートの裾を両手で広げ、先ほどまでのおてんばな感じとはうって変わって、凛とした佇まいであいさつをするマルガリータ姫。


「姫、こんなむさ苦しい所へ、ようこそいらっしゃいました」


 先ほどまでの険しい表情から一転、柔和な顔でひざまずくトーマス。


「あっ、鬼の副隊長が笑った?」

「デレた、デレた!」

「デレてねえ! 姫に対して礼を尽くしているだけだ」


 トーマスははやし立てる隊員たちに対して、にらみを効かせる。


「前口上はよろしいですわ。どうして、彼は勝ったのに咎められなければならなかったのですか?」

「ああ、あいつですか……」


 剣の素振りをしているチョップを見ながら、不機嫌そうに問いかけるマルガリータ姫にトーマスは答える。


「さっき、奴は負けたふりをしてましたのでね。射撃訓練もほとんどやってなかったみたいですし、少々懲らしめてやろうと思いまして」

「ですが、彼は格闘戦に優れているように見受けられます。彼なら刀や銃などで無駄な殺生はせず、『素手』で敵を取り押さえる事も可能なはず。あのような罰は必要ないのでは?」


 チョップの罰を赦免しゃめんしようというマルガリータ姫に、トーマス副隊長は論理的に語る。


「いえ、『刀』の訓練は必要です。一対一ならともかく、船上戦は多数対多数の戦いがほとんどですから、敵の命を奪わず取り押さえるのはまず不可能です。それに銃による中距離戦を制さなければ、自船は不利に陥ります。ゆえに水兵団では刀術と銃、両方の腕を磨かなければならないのです」


 現場サイドからの意見に、むーとうなるしかないマルガリータ姫。


「さ、どうぞ我々の訓練を見てやってください、サン・カリブ王国が誇る水兵団の実力の一端をお見せしましょう」


 トーマス副隊長は、先導して賓客の案内をしようとするが、やにわにマルガリータ姫はポンと手を打つ。


「いえ、わたしは今日は城下町の視察があるので、ここで失礼させていただきます。これはたった今思いついた訳ではないですよ?」

「姫、執事の方が予定外の事に口をあんぐりされているようですが」


 トーマスのツッコミを気にせず、マルガリータ姫は。


「それで水兵団の方を、おひとり護衛に付けていただきたいのですけど……」

「そうですか、それでは誰か適当に見繕いましょうか。全員集合!」


 副隊長の号令に、ダッシュで二列横隊になる水兵団員たち。


「はいはーい! 護衛ならオレ行きまっせ!」


 さらに、どこからともなく現れたチャカが猛烈アピールをする。


 ドガッ!


「あいたあ! 蹴った!?」

「お前は特訓中だろうが。ランニングを続けてろ!」

「そない、おもくそ尻を蹴らんでも……」


 ぐちぐち言いながらすごすご引き下がるチャカ。隊員たちはもじもじしながら、自分が指名されるのではないかとそわそわするが。


「では、あそこで素振りをしているチョップくんをお願いしますわ」


 あー、やっぱりそうきたかー。とガッカリするマッチョな男たち。


「お待ちください。あいつは罰を受けている最中です。それは許されません」

「城下町で刀や銃を振り回すわけにはいきませんから、体術に優れた彼が一番適任だと思うのです。わたしは決してチョップくんと城下町デートをしたいなー、などと思ってる訳ではありませんわ」

「本音がだだ漏れですね。ダメです」

「グアドループ王家の名において命じます。チョップくんをわたしの護衛につけなさい」

「隊の決定権は現在、私にあります。王家の名前を出してもダメですよ」

「副隊長さんは、けちんぼでございますわ」

「何と言われようが、ダメなもんはダメです」


 目から火花を散らし合う、マルガリータ姫とトーマス副隊長。

 そこへ。


「いいじゃないか、チョップを護衛につけて差し上げろ」

「団長!?」


 ふらっと現れたのは、紺色の士官服をまとった口髭の中年紳士ナイスミドル。サン・カリブ王国水兵団長兼、第一部隊隊長のジョン=ロンカドル。


「王女の直々の御命おんめいだ、無下にするわけにもいくまいよ」

「しかし……」

「やったー! さっすが、団長さん話がお分かりですわ!」

「チョップ、ちょっとこっち来い。Bダッシュ!」


 団長に手招きされて、チョップが急いでやって来る。


「チョップくん、久しぶりー」

「お久しぶりです、王女様」

「チョップ、御指名だ。お前は今から護衛として、姫と一緒に城下町に行ってこい」

「あ、はい」

「あっ、そうだ。水兵団のみなさん!」


 いきなり王女に呼ばれ、あわてふためく隊員たち。


「グアドループ王家の名において命じます。執事長のケイマンを羽交い絞めにしなさい」

「姫!? 何を?」

了解シーセニョリータ!』


 マルガリータ姫の命令に忠実に応え、慌てる執事を水兵団員たちががっちり抑え込む。


「さっ、行きましょ。いざ、しゅっぱーつ!」

「えっ? ちょっと、王女様?」


 チョップはマルガリータ姫に腕を組まれて、狼狽しながらぐいぐい引っ張られて行く。


「チョップ、間違っても姫をラブホなんかに連れ込んだりするなよ。王女様なんだからな」

「おじさ……じゃなくて、団長? 何てこと言うんですか?」

「望むところですわ!」


 えっ、望むの? とマルガリータ姫のセリフに驚愕する、トーマス副隊長以下の隊員達。


「姫ーっ! お待ちくださーい!」


 執事長の悲痛な叫びも耳に届かず。わーい、デートだデートだー♪ と、カモフラージュをする事すら既に忘れているマルガリータ姫。

 チョップとマルガリータ姫の二人は連れ立って、闘技場を後にした。

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