第2話 幽霊船にようこそ
まず最初に見えたのは天井から降りそそぐライトの光だった。
眩しさに顔をしかめると徐々に視界が慣れてきて、ここが船の一室で、自分がベッドに寝かされていることを少年は理解する。
あの船――特徴的な灰色の船体からグレイゴーストと呼ばれる船から射出されたワイヤーを伝って船の甲板に辿りついたことを脳が思いだす。
グレイゴースト。
船員は全員死人で、もし見つかればガイコツの船員に殺されるとか、実は船そのものが亡霊の類で、見た人間は遠からず死ぬなど出所不明の噂が絶えない不可思議な船だ。
そんな船にいま、自分は乗っていることを思い返しながら体をゆっくりと起こして部屋をみる。
ベッド以外には木製の小さな机が置いてあるだけの小さく殺風景な部屋だった。
甲板に辿りついた後の記憶がないあたり、どうやら着いた直後に安心感から気絶したらしい。
無理もない。漂流している間、四六時中を気を張っていなければならなかったのだから。
その時、ガチャっとドアが開く。
顔を上げると少年と同じくらいの少女がトレイを持って立っていた。
身長は少年より低く、短い髪と太陽のように明るく澄んだ瞳が印象的だ。
細い顔のラインだけを見れば、美少年にも見えなくなかったが、ラフな服装の下にあるかすかな胸の膨らみが女性であることを主張している。
「大丈夫?」
「あ、あぁ」
なんとかそう答えたが、少年の声は自分でも驚くほどの掠れていた。
「お水、持ってきたんだけど……?」
少女が持つトレイには水の入ったコップが乗っている。
そういえば漂流している期間、飲まず食わずで死ぬほど喉が渇いていたことを体が思いだす。
視線で悟ったのか、少女はトレイを目の前に差しだしてきたので勢いよくコップを手にとった。
口に運ぶと冷たくて甘い液体が喉を潤し、少年は液体を一気に胃に流しこみ、空になったコップをトレイに置く。
いままで人生で一番美味しい水だった。
そのタイミングを見計らって少女が再び口を開く。
「そういえば自己紹介してなかった。私はシエル。あなたは?」
「俺は……バートンだ。助けてくれてありがとう」
「いいよ。私たちも仕事だったから。まさか生存者がいるとは思わなかったけど」
「自分でも生きていることが信じられないよ――」
そこまで言ってバートンの腹がグゥゥゥッと大きく鳴った。
目を瞬かせてからシエルはにっこりと微笑む。
「安心して。すぐに食べるもの持ってくるから」
そういって一度部屋を出ると、シエルは大量の料理を持って戻ってくる。
かなりの数がバートンの前に広げられたが彼のことを考えてかどれも胃に負担の少ない料理ばかりだ。
それらを遠慮がちに見ていたバートンだったが空腹の前では我慢する理性など簡単に吹き飛び、料理に手を伸ばす。
そこからは流れるように皿が空になっていき、気づけばバートンは満腹になっていた。
「腹は満たされたようだな」
そのせいでいつの間にか少女の後ろに立っている者に気づけなかった。
声のほうをみると、頭部の単眼カメラが特徴的なオレンジ色の二足歩行ロボットがジッとこちらを見ており、思わずギョッとする。
「こっちは操舵士のへームル。こう見えても頼れるクルーなのよ」
「へ、へぇ……そうなんだ」
シエルの言葉に歯切れ悪く返すとヘームルはスッと手を差しだしてくる。
最初それがどういう意味なのかわからなかったが、挨拶がわりの握手だとわかった。
人間ではない。武骨で冷たい金属の手だった。
「シエル。早速なんだけどこの船の船長と話がしたいんだ。案内してくれないか?」
手を離してバートンはシエルに言った。
自分は助けてもらった立場なのだからお礼だけでも言っておきたいと考えたのだ。
しかし、シエルはキョトンとした顔で首を傾げる。
「船長なら目の前にいるよ」
そう即答されて、バートンは周囲を見回した。
だがこの部屋にいるのは三人だけで見える範囲に人の姿は見当たらない。思わず苦笑いを浮かべる。
「からかうなよ。誰もいないじゃないか」
「私はいるよ」
「僕が会いたいのは船長だ。君じゃない」
「だから私が船長なの」
その言葉を聞いた瞬間、バートンは自分の耳を疑った。
「…………いまなんて?」
「私がこの船、グレイゴーストの船長です!」
さらりと答えて胸を張るシエル。
だがバートンはその言葉を一笑した。
「マジメな話をしてるんだ冗談はよしてくれ」
「冗談ではない。彼女はこの船の船長であり唯一のクルーだ」
後ろに控えたへームルが心を見透かしたように答え、思わずシエルに目をむける。
確かにその曇りのない目はとても嘘をついているようには見えない。
「失礼だけど……歳いくつ?」
「十八だけど、それがどうかした?」
それがなにか問題とばかりの顔で答えるシエルにバートンはついに声も出なくなる。
十八歳ということはバートンと同い年ということだ。
しかし、そんなことはあり得ない。というよりあってはならないことだ。
宙船の船長にはすぐれた判断力と決断力、それに乗組員たちから信頼を寄せられる人間でなければならない。
したがってどんなに若くても、基本的に三十代以降の人間が抜擢されるのが暗黙の了解でこんな若い少女が船長になれるはずはないのだ。
やはりからかわれているのだろうか。
疑いの眼差しをむけるバートンにシエルは語りかける。
「実は私たちがここに来たのは依頼主からあなたの乗っていた船の消息と積荷の行方を掴んで欲しいと依頼を受けたからです」
「じゃあそのクライアントってのはさしづめ僕たちが運んでた積荷の依頼主だな」
バートンの言葉にシエルは頷く。
彼女たちは善意でここに来たわけではないということだ。
「残念だが船も積荷も海の……いや空の藻屑さ。回収も無理だろうさ」
「回収のつもりはありません。あくまで私たちが依頼されたのは積荷がどうなったのかの確認だけですから」
「なるほど。船員の生死もどうでもいいってことか」
シエルは押し黙る。図星ということだ。
バートンは肩をすくめた。
「別に気にしなくていい。あくまで金で結ばれた関係だしな。僕が生きていても依頼主には特にメリットもないだろう」
「だと思います。だから提案したいことがあります」
そういってシエルはバートンに手を差しだした。
「私の、このグレイゴーストの
一瞬の沈黙。
バートンは真意を推しはかるようにジッとシエルの目を見たが、やがて笑顔で答えた。
「断る」
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