第1話 空の漂流
目を開くと、海の底のような夜空と泡のように所々に穴のあいた灰色の雲が広がっていた。
闇夜の世界をうっすらと隔てる空と雲は遥か彼方まで伸び、この
その空の上で歪な形の鉄板に仰向けになって、少年はぼんやりとその光景を眺めていた。
彼の顔を照らすのは空にポツンと浮いている月の光だけで、周りにはちらほらと残骸のような物が浮いている。
少年は上半身を起こし、鉄板の下を見た。
真下には厚い雲の大地があるが、もちろんそこに足をつけることなどできず、踏みしめることもできない。
ただあるのは果てしない落下と死だけだ。
この高みの空を漂流してそろそろ一週間が経つ。
ふと昔の人々はこんな世界が訪れることを想定していただろうかと考える。
陸地が失われ、世界が海に閉ざされて数百年。
海上に無数に作られた
いや、予想などつかないだろう。予想していれば、もっとマシな世界になってたはずだ。
どっちにしろ答えは出なくていい。こんなのはただの暇つぶしだ。
ひとり漂流しながらどうしてこうなってしまったのかと過去をふりかえる。
数日ほど前。
宙船乗りであった少年の乗る宙船は指定された場所へと積み荷を輸送している最中だった。
積み荷は寄港した浮島で採れた果物や郷土品に金品などで、それらを別の浮島に持ちこんで見返りとして受けとった品々を再び最初の浮島に持ちかえるのだ。
航海は順調で空の荒れもなく、目的地にはあと数日で到着できると予想されていた。
しかし突如現れた正体不明の宙船から攻撃を受けたのだ。
混乱の中で少年は宙船のマストに骸骨を見る。
海賊だった。
反重力エンジンを搭載した宙船は、この時代の物資輸送では重要な役割を果たす。
そんな宙船を襲い、物品を強奪する賊の存在は脅威であり、対策として商船もそれなりの武装を与えられている。
だが幾多の宙船を襲ってきた百戦錬磨の海賊たちにはなす術もなく、少年の乗る宙船はあっさりと占拠されてしまった。
その時、冷静に降参の姿勢を取りながら思ったのは不安でも焦りでもなく、落胆だ。
海賊は自らの足跡を消すために襲った船の乗組員を殺す。
両親に金銭目的で売り飛ばされた頃から運のなさは自覚していたが、まさかこのような形で最後を迎えることになるとは思わなかったのだ。
だが本当の不幸はここからだった。
少年の上司が海賊に対して反抗的な態度を取ったのだ。
それだけならまだ良かったかもしれない。
しかし銃を持って乗りこんできた海賊は興奮しており、上司の態度は彼らの興奮を怒りに変えた。
そして手に持っていた銃の引き金を引かせたのだ。
さらに悪いことにその場所は機関室だった。
不用意に発砲された銃弾は部屋内を跳弾し、デリケートなエンジンを傷つけるとそのまま数名の乗組員を巻きこむ小爆発を起こし、機関室を火の海と変貌させる。
こうなっては海賊も物品を奪うどころの話でなく、海賊たちはすみやかに船から去っていく。
少年もなんとか生き残って甲板まで脱出したが、直後、船は盛大に爆発を起こし他の乗組員と共に空へと投げ出された。
落下の恐怖を抱えながら死に物狂いで手を伸ばす。
そして飛散した反重力物質の付着する破片に掴まって九死に一生を得たのだ。
だけど後のことを思えばここで死んでおいたほうがよかったのではないかと思う。
最初の頃は少年と同じように船体の破片に掴まった乗組員もいた。
しかし、遙か空の上でいつ落ちるともしれない足場で放置されれば、人の気もおかしくなる。
最初に落ちたのは共に機関室で働いていた同僚だ。
彼は「天国が見える」と言って破片の上を歩き出し、そのまま真っ逆さまに落ちていった。
そこから先はドミノ倒しのごとく劇的だった。
ある者は反重力物質がなくなった破片と共に、ある者は酸素の薄さに耐えられず錯乱して、ある者はこの状況で生きることに絶望して消えていく。
その死をまざまざと見せられるのは地獄以外の何者でもなかった。
それでも少年は生きた。
なにがそうさせたのかはわからない。
自分は彼らとは違うと証明したかったのか、ただ死ぬ勇気がなかったのか。
だが飢えと渇き、そして足場となる破片が随分と減ったことでそんな気持ちにも限界が来ていた。
待っていても助けは来ない。
どうあがいても人は死ぬ。結局は死ぬ時が遅いか早いかの違いである。だからここで死ぬとしてもそれは仕方のないことだ。
自分も他の乗組員たちのように落ちていくだけだ。
さながら塔から落とされたリンゴのように風切り音だけを伴って。
少年がそんなことを思いながらぼんやりと風景を眺めていた時、ふと風切り音とはまた別の音が微かに聞こえたような気がして周囲を見渡す。
だが周りの景色に変化はない。
幻聴が聞こえ始めたのかと少年は一瞬考えたが、それを確かめるために目を閉じる。
しばらくは何も聞こえなかったが、やがて雷のような、しかしそれとは別種の低音がはっきりと聞こえ、破片の下に広がる雲を覗きこむ。
ジッと目を凝らしていると、やがて雲の表面に黒い影が現れ、その影は次第に濃く大きくなると、まるでクジラが海面に飛び出すようにその巨体を雲の大地から露わにする。
雲から姿を現したのは一隻の灰色の船だった。
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