第7話 死した聖剣、白き世界の先で……

 いつまでそこにいたのだろうか。

 突然、電気が走ったようなピリッとした感覚の後、唐突に白い闇が終わりを告げ、目の前が真っ暗になった。

 同時に内的、外的問わず脳の中に一気に情報が流れ込み、死んだように停止していた意識が強制的に覚醒させられる。


 唐突に流れ込んできた情報に頭が痛むなか、ゆっくりと目を開く。


 最初に見えたのは魔法陣のような何かしらの刻印がなされた地面で、魔法陣は淡い光を宿している。

 それを見てから俺は、自分に瞼があることを自覚した。


 視線を落とすと白っぽい二本の手が映り、力を入れてみれば指は思った通りに握り込まれ、はっきりと両手の感覚が脳の刻み込まれる。それは紛れもなく自分のもので、そのまま手で体をペタペタと触った。

 俺が着ているのは死者に着せられるような白装束の着物一丁だけらしく、薄い生地の感覚が肌に伝わってくる。

 だがしかし、突然聖剣としての姿から何年ぶりかの人としての肉体に戻っているこの状況に分からず、俺は内心首を傾げた。


「お目覚めですか? 〇〇〇〇さん?」


 そうしてペタペタと体を触りながら、自分の自由になる肉体があることを実感していると不意に声をかけられる。


 俺は生前の名前で呼ばれて少し驚く。

 どうやら死後のふわふわ日向ぼっこタイムは終了らしい。

 ゆっくりと顔を上げると、俺のいる魔法陣の上に大和撫子という言葉が具現化したような姿の黒目黒髪の美人が立っており、聖女のような微笑みをたたえていた。


「〇〇〇〇さん?」


 そう女性に問いかけられ、俺はコクリと頷く。


「こんにちは。私はせつと言います。生まれた時代は違いますが、あなたと同じ日本出身の者です」


 雪と名乗った女性は薄く微笑んでお辞儀をする。それがあまりに見事なので、俺には目の前の雪が旅館の女将のように見えた。

 俺は会釈を返すと視線を雪から外して部屋全体を見渡す。周りは巨大な地下貯水槽か地下神殿のように高くそびえる白亜の柱と照明代わりの炎しかないので遠くまで見渡すことができない。


「ここは……、どこです?」


 雪は俺と同じように視線を上に向けた。


「ここはオーブと呼ばれている場所で、あなたの生前いた世界でも剣として暮らしていた世界とも違います。ここで説明するよりも実際に見てもらったほうが早いですから。どうぞ、こちらに」


 俺は彼女が剣として転生していたことを知っていることに驚きつつ、クルリと踵を返して歩き出した雪の後ろをついていく。

 まぁ、考えてみれば俺の人間だった頃の名前も知っていたのだから俺の人間だった頃と聖剣だった時の全て知っているのかもしれないなという考えに行き着いた。



―――――



 薄暗く長い階段を上って地下から地上に出ると、非常に広い大理石っぽいカーブした廊下を歩く。

 ちなみにここは城かなにからしく、左手の柵の外には青空の下に町が広がり、人々が往来している姿が見えた。


「このオーブはあちこちの世界から優秀な技術や才を持った人材の魂を集め、霊体としてここに呼びあつめています」


 雪から俺がいる世界――オーブのことをそう説明され、眼下に広がる通りの人々を観察してみると、実際にそれを示すように通りには黒人や白人はたまた日本人など様々な人種がおり、服装も全身を黒で固めた現代風の眼帯青年や冒険者のようなフルフェイスの甲冑を纏っている者もいる。


「つまりここにいるのは、色んな世界から呼び出された人たちだってことですか」

「その通りです。詳しい目的は後で教えられるでしょうが、まぁ簡単にいうなら、あちこちの世界に人を派遣して世界を救っている規模がとてつもなく大きい派遣会社とでも認識してもらえればよろしいでしょうか?」

「ず、随分と身も蓋もないですね……」

「事実ですから。ここでは人種差別もへったくれもないんですよ。〇〇〇〇さん」


 足を動かしながらにっこりと俺の方に笑いかけてくる雪。

 おしとやかそうに見えて実際は毒舌家なのかもしれないなと思いつつ、俺は申し訳なさそうに頭を掻く。


「あのー、それなんですけど。昔の名前はやめてもらえませんか?」


 ふと足を止め、雪が振り向き首を傾げる。そこにあるのは純粋な疑問を示す顔だ。


「なんというか、どうにも人間だった頃の昔の名前が慣れなくて……おかしいですよね。十年も使っていない名前の方が馴染んでいるなんて」

「いいえ。そんなことありませんよ」


 何を言っているだと言われると思っていた俺は、その言葉で視線を彼女の方に向けると、彼女は変わらず薄い笑みを浮かべた表情で答える。


「実は私の雪という名前も元は妹がくれた名前で本名じゃないんです。だから偽名を本当の名前のように思う気持ちは不思議なことではありません。ここではあえて偽名を使っている人もいますし。それに素敵だと思いますよ、あなたの名前は」


 お世辞ではなく、本心からそう言ってくれる雪。

 何故だろう。俺はそんな素敵な言葉をくれた彼女に、別れ際に泣きながら手を伸ばした赤髪の少女の姿が重なってしまう。

 それに一瞬戸惑いを覚えたが、俺はすぐに頭を振って思考を切り替え、また歩き出した雪の後ろに引っ付いていく。


「とりあえず、ここのことはなんとなくわかりました。それでどこへ向かっているんです?」


 俺はそう訊ねる。

 雪について行っているだけの俺は、彼女がどこに行こうとしているのか知らない。

 振り向くことなく雪は質問に答えた。


「あなたに会って欲しい人がいるのです。あなたを必要としている人に」

「俺を、必要とする人?」


 反芻しながら俺はそんな人物がいるのかと首を捻ったが、特に思い当たる人物はいない。

 そうして俺は思い当たる人物を探しながら足を進めていたが、しばらくするとピタッと雪が足を止める。


「ここです」


 雪の視線を追うと、右手の壁に趣のある黒っぽい木製の両扉のドアが立ちはだかるように存在しており、俺はそれをポカンと眺めた。

 そんな俺を一瞥してから雪は進み出て、ドアをノックする。

 すると中から返事が聞え、雪が「連れてまいりました」と一言告げてからドアに手をかけた。


 そして扉が開かれた瞬間、正面を向いた俺の目の前に広がったのは部屋の内装でも待ち人でもなく、霞むくらいの速度で振るわれた鉄拳で、俺はまともに正面から顔面に食らう。


 バキッと何かが折れるような異音がした後、声を上げる暇もなく俺は吹っ飛ばされてゴムボールのように地面を跳ね返って、最後には反対側の柵に背中を強打する形で停止する。

 その光景は我ながらギャクマンガのようだった。


「ゲフ…………」


 なんとも無様な呻き声を漏らしつつ、どうにか気絶せずに意識をしゃんとさせようとする俺。

 どうやら本物の肉体ではないのは本当のようで、確実に折れたであろう鼻がなんの違和感もなく繋がっている。代わりに殴られた痛みは全く消えないが。


 痛む鼻先を押さえながらノックアウト寸前のボクサーの如き俺の前にカツンとあからさまな靴音が響く。

 殴った相手に文句を言おうとぐらつく視界で睨もうとしたが、相手の顔を見た瞬間、俺は睨むどころか逆に目を見開いてしまった。


「…………ルナ?」


 目の前にいたのは鮮やかな赤髪にエメラルドのような目を持つルナだった。


 しかし、雰囲気が随分と違っており、あの最終決戦の時のルナに比べ、胸も含めて全体的に成長しており、ただ伸ばしていただけだった髪も編み込みなどが入っているおかげか前より随分と女っぽい。


「へぇ、疑問符なんだ。私の名前の聞くのに」


 少女のあどけなさが抜けた顔でこちらを見下ろすルナの口からひどく冷たく乾いた声が漏れる。その声の持つ妙な圧力に俺はわずかに居心地悪そうに身じろぎし、変な汗をかいてしまう。


「い、いや! わかってたよ。あまりに綺麗だから一瞬判断が遅れただけで――」


 言葉の途中ながら、ルナは俺の白装束の首元を掴むとそのまま持ち上げて柱に押し付けた。

 余りに勢いが強くて、肺の空気が口から軽く漏れる。


「長すぎるし、遅すぎるのよッ。私が……、私がどれだけ待ったと思ってるのよ」

「…………」


 独り言のように呟きながらルナは俺を見た。その目には単純な怒り以外にも様々な感情が混ぜ合わされて複雑な色を作り出している。

 俺はギリギリと装束を締め上げられる首元の手を感じながら、彼女を真っ直ぐに見返す。


「ルナ、俺は――」

「だからもう数発、殴らせろ」

「え? それはちょっと勘弁してもらえません……?」

「無理。これは決定事項」

「ちょッ、マジでやめて! シャレになんないから!」


 真顔で拳を握るルナに、俺は冷や汗をダラダラと流しながら必死に制止する。


 ちなみに視界の端には雪がいるが、彼女は口元を手で押さえて驚き半分面白半分といった表情でこの修羅場を傍観しているだけで人数として数えてはならない。

 何とかあれやこれと言ってルナを宥めてから、俺はさっき言いかけた言葉を告げる。


「すまない。長い間待たせてしまって、お前がこうなるのも分かる。俺の責任だ。悪かった」


 そう言って俺は謝罪した。ありきたりだが、今の俺にはこの程度の言葉を言ってやることぐらいしかできない。

 ルナはしばらく俺を持ち上げたままだったが、しばらくして装束を掴んでいた手から力を抜く。同時に俺の体はストンと落ちるが、両足が地面につく前にルナが俺を両手で抱きとめる。


「…………会いたかった」

「……すまない、長い間君を一人にした」


 そう呟くと俺は彼女のされるがままになったが、肩口に顔をうずめてみると、聖剣の頃には感じることが出来なかった彼女の匂いを感じとることが出来た。


 こうしていると、まだ別れる前の頃を思い出す。

 あの時からルナは成長したようだが、肝心な部分は変わらないでいてくれたようだ。


 互いに抱き合いながらチラリと目だけを動かして見ると雪の姿がなくなっている。どうやら空気を察して立ち去ったらしい。優秀な人だ。

 俺は抱擁を解いたルナの手を引いて彼女のいた部屋に入り、傍に寄り添い彼女に話しかけた。


「なぁ、俺が消えた後の話を聞かせてくれるか?」

「その前にもう一回、あの時の最後の言葉を言って」


 ルナの言葉に彼女がどんな言葉を欲しているかを理解した俺は僅かながら面食らう。


「聞こえてたのか?」


 そう訊ねた俺を見たルナはいままでに見たこともない悪戯っぽい笑みを返してくる。

 ほとんど独り言のように呟いた一言が聞かれていたことといままでに見たことない表情をされて俺は顔が赤くなるのを感じた。これまでクールに振る舞ってきた分、とてつもなく気恥ずかしい。


「ここで言うのか?」


 ルナは頷く。

 あの時、俺があの言葉を言えたのは場の雰囲気で自制心を押し切ったからで、あの時より落ち着いてい今の状態では、口にするのも憚られた。

 そんな俺の様子をみて、ルナがこちらを覗き込む。


「ダメなの?」


 そのセリフを言うのに俺は恥ずかしい一心だったが、至近距離で上目遣いにお願いされてはそんなちんけなプライドなど吹き飛ぶというもので、俺は真剣な眼差しでルナの肩を掴んだ。

 つくづく俺は彼女に甘い。


「愛してるよ。ルナ」


 その場の雰囲気ではない。自分の言葉で俺は彼女に告げ、口づけをしたのだった。

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