第6話 赤髪の少女と聖剣、魔王と対峙する
「オラァァァァッ!」
見事な覇気と共にジョーンが大剣を力任せに振るう。
彼に相対している黒衣に身を包んだ男は、大剣に比べれば小枝程度にしか見えない細い剣でその重量のある一撃を受け止め、両者の体は硬直したように弾かれる。
そこに今度は無数の風を纏った矢と火球が降り注ぎ、舞い上がった爆炎と煙が剣を受け止めた男を飲み込む。
少し離れたところからそれを見ていたルナは俺の柄をしっかりと握ると、燃え盛る火球へと走りこんだ。地面すれすれの前傾姿勢で、まるでハヤブサのようにルナは走り抜け、俺をもうもうと舞い続ける煙の中へ突き放つ。
しかし、突然吹いた風によって煙が散らされ、俺は下から迫ってきた細剣によって軌道を逸らされてしまう。
目の前には、爆炎に飲まれたはずの男がマントをはためかせただけでまったくの無傷な姿で立っていた。
それを見た俺が舌打ちをすると同時にルナと他の面子も苦々しい顔をする。
百体のゴブリンの集団もやすやすと狩りつくすこのパーティが男一人に苦労するのも当然のはずだ。
何故なら、目の前に立っている黒衣の男こそ、俺たちが倒すべき魔王なのだから。
―――――
ロクスが四人目の魔王と倒す選ばれし者であるという衝撃の事実が発覚して数ヶ月後。
俺たち魔王討伐パーティ一行は魔王を探して各地を転々とした。
ここに至るまでにも疫病によって存続の危機にあった村を救ったり、救った村人から感謝されるも突然攻めてきた魔王の幹部たちによって、結局皆殺しにされたりと実に様々なことがあった訳だが、今回は割愛。
そんな色々なことがあった中で俺たちは魔王とおぼしき存在が昔の廃城に住み着いていることを聞かされ、隠密作戦の得意なルークを主として調査を開始。
得られた情報などから相対している彼が魔王であると断定し、現在進行形で体感している魔王の強さに歯噛みしていた。
それなりの連携をとって攻撃しているはずなのに、魔王が態勢を切り崩せる気配は全くなく、どれだけ攻撃しても魔王にダメージらしい一撃は見られない。
逆に魔王のほうは時々ふっと姿が消えたかと思うと、ロクスやジョーンの背後などに現れ、攻撃を仕掛けてくる。
こちらが追い詰めるどころかむしろ変則的な動きをする魔王にこちらが追い詰められている状態だった。
―――――
ルナの突きを逸らした魔王は、一度距離を取ると深呼吸をするように息を吐く。
戦闘の合間に詰まった空気を吐き出すようにルナも同じようにし、そして剣を構え直す。
魔王は剣を構えることなくダラリと垂らしていたが、次の瞬間その姿が再び搔き消え、ルナの背後に現れる。
「ルナ、後ろだッ!」
そう俺が叫ぶと同時にルナは振り向かずに手首の動きだけで俺を移動させ、真上から迫っていた斬撃の軌道を逸らす。
ガチンと剣同士がぶつかり合う大音響の後、魔王の剣はルナを捉えることなく下へ抜けていく。
しかしそれで魔王の攻撃が終わるはずがなく、すぐに振り下ろされた剣が跳ね上がってきた。
ルナはそれをクルリと回転しながら俺で受け止め、魔王の剣の勢いを使って距離を取るが、完全には防ぎきれずに肩口を浅く切り裂かれてしまう。
「まだだッ!」
だが俺の目はルナの取った距離を一瞬で詰めてきた魔王の姿をしっかりと捉え、僅かな隙が出来ているルナに
俺の声に気づいたルナはとっさの動きで死の剣筋を身をひねって躱す。
だが、そこから魔王の剣は鋭さを増して幾度もルナを斬りつけようと迫り、そのたびにルナは躱すか俺を使っていなしていく。
しかしその連続攻撃にルナは押され始め、最後には防戦一方となってしまう。
ロクスたちもルナの劣勢を悟り攻撃を仕掛けようとするが、魔王は巧妙にルナと距離を取ってそれを封じていた。
そして魔王の攻撃をルナが受け止めた回数が二十を超えた時、ピシッという嫌な音が聞こえ、瞬間俺の体を強烈な違和感が襲う。ルナがこちらを見やって驚いたように目を見開く。
「バカッ! 変なことに気を取られるな!」
俺が怒鳴ると、ハッとしたような顔でルナは顔を上げる。そこにはルナの隙を見逃さずに剣を振りかぶった魔王の姿があり、ルナはとっさに俺を魔王の剣に向けて突き出した。
「ぐっ……」
直後、鼓膜を破裂させるような爆音とともに地面が爆ぜ、食いしばった歯の間からうめき声を漏らしたルナは城の壁に叩きつけられる。
一方の魔王はルナの攻撃によって剣を半ばあたりで折られ、その破片が掠めたのか頰に小さな切り傷が出来ていた。
「ルナッ!」
その隙にロクスが叫び、魔王に魔術を放つ。しかし魔王は蝿でも払いのけるかのようにロクスの攻撃をあしらう。
そこにルークが魔王に目くらましの閃光玉を投げつけ、同じように接近していたジョーンが踏み込んで振りかぶった大剣を魔王にぶつけるが、魔王は障壁を作り出すことで防いだ。
「おいッ、ルナ。大丈夫か!?」
彼らが気を引いている間、俺は地面にうつ伏せになったルナに呼びかける。
最初は無反応だったが、やがて呻くような声が聞こえ、ルナが地面に手をついて体を起こした。
「大丈夫か? ルナ」
「私は……大丈夫。それよりも、アルブのほうが心配」
そう言ってルナは不安げな顔で俺を見つめる。
魔王の攻撃をルナに代わって受け続けた俺の刀身には亀裂が走っていた。
さっきの異音は俺の体に亀裂が入る音であり、違和感は久しく感じることのなかった痛みだったのだ。
今のところ、亀裂自体はまだ微々たるものだが、おそらく同じような攻撃を受ければ確実に折れることが理屈抜きで分かった。
そんな自分の痛みの具合を感じながら、俺はルナに告げる。
「俺は、大丈夫だ。それよりもルナ。あれを使え。あのバケモンを倒すにはあれしかねぇ」
その言葉にルナは驚いたように目を見開く。
「あれってもしかして……」
「そうだ、昔ドラゴンを屠ったあの技だ」
「でも、今あれを使ったらアルブがッ……」
「言われなくてもそんなことはわかってる。自分の体なんだから今の傷がどれだけヤバいかもな。でもやるしかないだろ」
そう言ってやるが、ルナは不安な表情を崩さない。仕方ないと内心で苦笑しながら俺は続ける。
「安心しろ、死にはしねぇよ。俺は自分をお前の親がわりだと思ってきた。だからお前の結婚式もウエディングドレス姿も子供も孫も。その他もろもろを含めてなんも見てねぇのに死ねるかよ。死んでも死にきれるか」
強がりにも聞こえる言葉を吐いて俺は一呼吸置くと、最後の背中を押してやる言葉を述べた。
「だからお前は全力を振るえ。俺が壊れる? 上等だ。壊せるもんなら壊してみやがれッ、
挑発的な俺の言葉を噛みしめるかのような悲痛な表情を浮かべたルナだったが、やがて決意を固めたように頷いて顔を上げると、目を閉じ、両手で剣の柄を持って掲げる。
途端にルナの魔力が柄から俺に流れ込み、俺は聖剣としてその魔力を増幅し力を溜め込んで、同時に周囲の魔力も吸い上げた。
集まり出した周囲の魔力が蛍の光のように俺とルナの周囲を漂う。
使い手の魔力を周囲の魔力と混ぜ合わせて、その溜め込んだ魔力を光の奔流として一気に放出する。このが聖剣であるはずの俺が唯一持ちえる聖剣らしい能力だ。
これだけは他の剣ではできないし、真似も不可能だろう。
そんな一撃なのだから当然放つまでには時間がかかる。だが特撮ヒーローの変身のように敵がそれを待ってくれるはずはない。
異様な魔力の高まりを感知したのか、ロクスたちの相手をしていた魔王がこちらの顔を向けた。
そして拳による打撃だけでジョーンを吹っ飛ばすと、詠唱も行わずにつららのような氷の塊を周囲に生成し、ルナに向けて一斉に放つ。
放たれた氷の塊たちはそのまま無防備なルナに迫ったが、到達する寸前で見えない壁にでもぶつかったように砕け散る。
ロクスが障壁を構築する詠唱をし、ルナに飛来した氷塊を全て防ぎきったのだ。
さらに魔王に吹っ飛ばされたジョーンが飛び出してきて、ロクスの張ったその障壁を踏み台にして高く飛び上がると大剣を魔王に叩きつける。
さすがの魔王も重力も味方したジョーンの剣を真正面から受け止めるのは無理らしく、すぐにその場を退くことで躱すが、そこを狙っていたかのように炎を纏った無数の矢が飛来し、魔王の姿が火に飲まれてしまう。
ルークの魔術的な加工の施されたお手製の魔術矢で、並みの人間なら普通に跡形もなく燃やし尽くせるほどの火力を持つ。
しかし、魔王は自らのマントを翻しただけでまとわりついた炎を払いのける。
それを見てもルークたちは一切驚いたような顔は見せず、同じように持てる限りの力で魔術や斬撃を放ち続けた。
魔王がどれだけチート的な強さを持っているかはもう理解しているし、これが付け焼き刃でしかないことを知っている。だがこの攻撃は魔王を倒すためのものではなく、魔王に攻撃をさせる暇を与えぬための時間稼ぎだ。
ロクスたちはルナがこの一撃で決めることを理解し、そのための時間を稼いでいるのである。
その思惑通り、ロクスたちが攻撃している間にルナは俺に魔力を注ぎ込み続け、周囲の輝きは一層増していく。
俺はその流れ込む魔力に混じって彼女の断片的な記憶が見えていた。
近くの町で魔王の情報を探った時のことやジョーンとルーク、ロクスと共に強くなるために迷宮に潜った時。
王都に向かう街道でルークと対峙した時の記憶もあれば港町でジョーンと戦った時のものもある。
そしてロクスと出会う以前、俺とルナが初めて出会った時。
遡られていくルナの記憶に俺は懐かしさを覚えながら、注がれる魔力を機械的に処理し、そして臨界点を突破した俺の刀身が光の奔流ともいえる光の刃を纏って長く伸びる。
それはもはや光そのものであり、勝負を決する大技の準備が完了したことを意味していた。
ルナはゆっくりと目を開け、倒すべき敵の姿をその目に収める。
魔王もこちらを見て、最後の悪あがきに魔術を行使しようとするが、もうすでに遅い。
「全てを断て。聖絶剣ッ」
振り上げた聖剣の輝きに対して、遥かに小さく短い技の名がルナの口から漏れ、そのまま剣が振り下ろされる。
瞬間目もくらむくらいの光が俺の剣から解き放たれ、暴竜如く射線上にある物体を飲み込んで襲いかかる。
爆ぜるような光の輝きは魔王にも襲いかかり、その姿を一瞬にして飲み込んむとそのまま天高く伸びてやがて尾を引きながら収束した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
それを見届けてから、ルナは力なく地面にへたり込んで荒い息をする。
他の面々も同じようにしていたが他の奴よりも身体的ダメージの少ないロクスがルナの元に駆け寄ってきた。
「大丈夫か、ルナ」
「……うん。大丈夫」
なんとかそう絞り出すルナにロクスはお疲れ様とばかりに微笑む。
「倒したの?」
「あぁ、やったよ」
そう言ってロクスが視線を向けた方向をルナも見た。
目の前はまるで隕石でも激闘したかのように盛大に抉れており、廃城に大穴を開けている。
言わずもがな、ルナが俺を使った天絶剣によるものだ。
二人は目前の大惨事から再び視線を戻す。
互いに見つめ合う視線には仲間同士友情や戦いの終わった後の空気の緩みとはまた違う何か熱っぽいものがあるように思える。
もしなにも知らない人間が見ればカップルに見えるかもしれないな、なんてことを考えながら俺はわざとらしく咳払いをした。
「あー、少し甘い雰囲気のお二人さん? 悪いが時間だ」
俺が冗談めかしたように言うとルナはキョトンとした表情で、ロクスは聞き覚えのない声で名前を呼ばれたことに目を白黒させながら俺の方を向く。
「あ…………」
俺の姿を目に止めたルナの言葉にならない声を漏れた。
「剣が、消える……」
言葉を紡げないルナの代わりにロクスが俺の現状を表すような一言を呟く。
ロクスの漏らした通り、今の俺の体はボロボロと崩れていた。
聖絶剣のような大出力の攻撃にはそれなりのデメリットがあるものだ。
本当なら聖絶剣を使ったあと、俺はしばらく体を休めなければならない。
そんな一撃を刀身に亀裂が入った状態で放ったのだ。無事でいられるとは考えていなかった。
聖絶剣の威力に耐えられなかった俺の体は余った魔力を霧散させながら、生物が脱皮するように壊れ、剥離していく。
簡単に言えば自壊しているのだが、不思議と痛みはない。相応の痛みがあるものだと思って覚悟していたが、今の俺が感じているのは全てを包み込むような――まるでお天道様の下で日向ぼっこをするようなそんなふわふわとした感覚だ。
そんな少しずつ壊れていく俺を見ていたルナが呟く。
「嘘……だよね。ねぇ、嘘だよね? 一緒に帰るんだよね? これからも一緒にいてくれるんだよね?」
かつてオルディナの町を出る直前に問われたのと同じ言葉。あの時俺は絶対に一人しないと言ったが、今は何も言えることがなかった。
俺はそのまま黙ったままであったが、ポツリと母親に怒られた子供のように呟く。
「……すまん」
「ッ…………嘘つきッ!」
「…………」
そう叫んでからルナは強く唇を噛み、いままでに見せたことのない程感情を露わにする。
「嘘つきッ! 一緒にいるって壊れたりしないって言ったのにッ……」
そう言って俺に掴みかかろうとするのを、それをロクスが止める。
彼の複雑な表情から察するに、色々と突っ込みたいがこの場は本能的に止めた方がいいだろうという判断だろう。
そうやってロクスの腕に制止されながらもルナは嘘つきと俺を罵りながらもがく。
訴えかけてくる彼女の目の端には光るものが溜まり、宙を舞う。
俺はただ黙っていたが、内心では彼女を鳴かせてしまった自分にひどく腹が立ち、同時に不甲斐ないと思っていた。
最初はそうやってひどく暴れていたルナだったが、やがて魔力切れのせいもあってすぐにぐったりとしてしまう。
俺は彼女に何かを告げてやりたかったが、本当に言いたいことは見つからず、口を噤むしかできない。
心が急く。
もうかなりの感覚がなく、意識もぼんやりしてきた。
だが俺は頭を振り、深呼吸をして平常心を保つ。
「すまない、訂正させてくれ。前にお前が俺を見捨てない限り俺も……、死が二人を分かつまでお前を見捨てないって言ったの覚えてるか?」
落ち着いた声で訊ねるとルナはぐったりと赤髪を垂らしたままこちらを向くことなく小さく頷く。
「悪いな、あれは正確じゃなかった」
「…………」
ルナは何も答えず、代わりに俺の体が崩れる音だけが木霊するが俺は続ける。
「本当はこうだ。例え死が二人を分かとうとも、俺はお前のそばにいる。俺がここで消えても、それは別れじゃない。少しの間休ませて貰うだけだ。だからいつになるか分からねぇが会えるさ。これが……お前に言う最後の言葉だ」
そう言ってもルナは顔を見せてくれなかったが、俺の視界は既に白い世界に囚われてしまっていた。
最後に俺はルナのそばにいるであろうロクスに向けて叫んだ。
「おい、ロクスッ! 少しの間そいつを頼む。意外に寂しがり屋だから、たまに様子を見てやってくれ」
その瞬間、俺の体が一気に消滅に向かう感覚が襲ってきて、急速に世界が遠のいていった。
「待ってッ!」
ルナがそう言ったのが聞えたような気がしたが、ぼんやりとしていた俺の意識はそれが本当に彼女の声なのかそれとも幻聴なのかの区別が出来ず、俺は最後の最後に言っておきたかった言葉を告げる。
「俺も、好きだったよ。ルナ……」
悲痛なルナの声に俺は一方的に告げると同時に、俺の全ては白い虚無の中に飲まれた。
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