第4話 静かなる聖剣、赤髪の少女の胸に抱かれる

 次の日。

 日の高い時間ながら、忍者のようにルナは家々の屋根に飛び移りながら移動していた。


「待ってください! ルナさぁぁんッ!」

「……鬱陶しい」


 チラリと下の通りを見ると、ルナの視線の先には通りの人たちの間を縫って追いかけてくるロクスの姿がある。


「仕方ないだろ。あんなすげなく、ストレートに断られたんだ。逆に是が非でも言わせてやるってなる気持ちは分からなくもないな」


 よくこちらを追いかけながら他人とぶつからないものだなと感心しながら、俺が呑気にルナの呟きにそう答えると、ルナがジトッとした目を向けてくる。


「アルブも口だけじゃなくて手伝って」

「無茶いうな。ただの剣に何をしろっていうんだよ」

「あなたはただの剣じゃない。聖剣……」

「その聖剣も使い手がいなきゃ、ただのナマクラ刀同然だよ」


 肩を竦めながら(実際には何もしていないが)、俺が言うとルナはむくれたように頰を膨らませた。俺がロクスの肩を持っているのが気にくわないのだろう。


 こっちのことも知らず、雑踏と言うほど多くも少なくもない人混みの中でロクスは障害物のない屋根を走るルナに追随している。

 なんらかの魔法を使っているのかもしれないが、それでも大したものだ。


 しかし追いかけられる側にとっては面倒以外の何事でもないので、ルナは颯爽と屋根を降りてロクスとは反対側の細い裏路地に着地する。

 それなりの高さがあったが、魔力を使った身体強化を会得しているルナにとっては造作もない。


「そろそろ鬱陶しいからあいつ、全力で吹き飛ばしていい?」

「ダメだ」


 着地して裏路地を走りながらそんな物騒なことを言ったルナに、俺は子供を叱るように語調を強める。

 それに反応して頰を膨らませていた彼女がさらに不機嫌になったので、今度は優しく窘めるように努めた。


「アホ。本気で俺を使ったら、この町一つ吹き飛ぶことを忘れたのか?」


 俺とルナは普段は一般的などこにでもいる冒険者を装っている。だが、本気を出せば、ロクスの言っていたようにドラゴンを倒すほどの力を持っている――というより実際に倒したのだが、そんなものを一人のために無闇に町中でぶっ放して大量殺戮者の片棒を担ぐなど笑えない話だ。


 だがあくまで剣である俺は使い手の命令には逆らうことはできないので、使い手が虐殺を望めば俺の意思に関係なくその力を解き放ってしまう。

 俺は進んで虐殺の片棒を担ぐ気はさらさらないので、力を悪用されないために日頃から使い手に釘を刺しておかなければならない。


 言葉を交わしたことで頭が少し冷えてきたのか、窘められた意味を悟ったルナはしょげたようにため息をついた。


「それに私じゃない、私だ。俺たちは一心同体に等しいんだからな」

「……ん。そうだね」


 励ますようにそう言うと、ルナはきょとんとした後にしっかりと頷く。

 叱っても次には励ます言葉を与える。飴と鞭の使い分けだ。

 俺はそこで話を切り替える。


「それにしても、あいつもよく風の噂で流れてきた赤髪の聖姫の話だけで反対側と言っていいこの町に来たな。根性あるよ」

「ドラゴンを倒したのは私じゃないのに……」

「でも、お前が俺を全力で使ったせいでドラゴンがトドメを刺されたのは間違いないしな。そう考えればお前がドラゴンを討伐した英雄であることには変わりねぇよ。例え、たまたまだとしてもな」


 俺とルナの名が知れているのはただルナが綺麗だからという理由だけだからではない。

 俺たちは商人と旅をしていた時にある偉業を成してしまった。それがロクスの言っていた北の山脈に住むドラゴンを倒してしまったことである。


 実を言うと、あれはたまたま道に迷ってドラゴンのテリトリーに踏み入ってしまったところを襲われたので、俺とルナが全力を合わせて攻撃したら、倒してしまったという行き当たりばったりな話なのだが、吟遊詩人たちによって幼い少女が武者修行の最終試験として自らの手だけで竜に挑み、そして討ち取ったという英雄譚になっていた。

 伝説は美化されるというのは本当のようだ。


 そんな過去の出来事を思い出していると、ルナが何か難しいことでも考えているのかのように悩ましい顔をしていることに気づく。


「アルブは、あいつの話をどう思ってるの?」

「なんだ? いきなり藪から棒に」

「答えて。どう思う?」


 茶化したように応えてやると、ルナに睨みつけられたので俺は大人しく意見を述べた。


「信じるかどうかっていう話なら、あんだけしつこく真剣に勧誘してくるんだから事実なんだろうな。もしくは信じ込まされているか。けど、俺はそれを抜きにしても別に魔王討伐の旅はしてもいいんじゃないかって思う」

「どうして?」

「お前のためだ。お前、日常的に会話する奴って俺ぐらいしかいないだろう。他にいるか?」


 そう訊ねるとルナは視線を彷徨わせてから首を縦に振る。


 彼女は仲間というものを作ったことがない。

 心当たりがあるとしても仕事などで短期的に組むくらいの関係ばかりである。

 普段は俺が念話で喋りかけているのであまり気づかないが、ルナは実質的には一匹狼といっても過言ではないのだ。


 しかし世の中、そんな状態で渡れるほど簡単ではない。

 少なくとも数人くらいは親しい仲の友人を作るべきである。このまま拗らせてずっと一人でいられるのもそれはそれで困りものなのだ。


「まぁ、これは俺個人の意見だから最終的にはお前が決めればいいさ。じゃ、俺は少し寝るぞ。面倒事が終わったら起こしてくれ」


 最後に全ての判断を下すのはお前だと存外に告げてやった。



―――――



「ねぇ、アルブ……」

「……ん?」


 その夜。

 風呂から上がってきたルナは脱衣所で待機していた俺を手に持って簡素なリビングに戻ると不意に声をかけてくる。

 その訴えかけるような響きがあるのに気付いて俺はルナの言葉を待った。


「一人に、しないよね?」

「…………」


 そう言ったルナが、鞘を握った手にギュッと力を入れたのが伝わってくる。

 俺はまたいつものが来たかと内心思いながら、それをしっかりと感覚した。


 一時的な幼児退行とでもいうべきか、彼女はときたまにこんな感じになってしまう。


 外では物静かで澄ました顔をしているが、時々こうして発作的に仕事に行く親を引き止めるように震える声で問いかけてくるのだ。

 そんな彼女を安心させるように俺は優しく呟く。


「俺は剣だ。常に誰かと共にあらなきゃいけない。だからお前が俺を見捨てない限り俺も……、死が二人を分かつまでお前を見捨てないさ」

「…………うん。ずっと一緒にいてくれる?」

「むしろ俺の方からお願いするさ。一人じゃ、どこにもいけないからな」


 外でロクスと追いかけっこに興じているときの気丈な姿が嘘のようだが、これが本来の彼女の姿なのだろう。

 寂しがり屋で常に愛を求めている。

 それが俺に新たな名を付けたルナという少女の本質なのだ。


 そうやって思考が別の場所に逸れ始めた俺にルナがポツリと告げる。


「なら私、あの人と一緒に行く」

「いいのか?」


 ここでのあの人とはもちろん、ロクスのことだ。

 俺がその決断について訊ねるとルナはコクリと首を縦に振る。


「あなたがいるなら大丈夫。あなたと一緒なら、怖くない」

「……そうか」


 まるで恋人にでも言うような一途で甘い言葉に俺は苦笑した。

 彼女はそんな俺を両手で包むと、まるで誰にも取られないようにその胸に強く抱く。


「アルブ。私を助けてくれてありがとう。愛してる」


 そう言うとルナは全身で俺を感じるようにさっきよりも力を込めた。

 風呂上がりで薄着なおかげで彼女の生暖かい体温が伝わってきて、知覚できないはずの彼女の匂いまで感じることができるような気がする。


「…………あぁ」


 少し間を置いてから、俺は無感情を装って答えた。

 こういう時、聖剣でよかったとつくづく思う。

 元の体でそんなことを言われたら、俺の顔は真っ赤になっていただろうから。



―――――



 次の日の朝方。

 ルナを探すために町に出てきていたロクスの前にルナが立っていた。

 彼女の背には登山にでも出かけるかの如く膨らんだ革製のリュックを背負われており、ロクスはその意味を悟りながらもルナの言葉を待つ。


「別にあなたの話を信じた訳じゃないけど、あなたと戦ってあげる」

「それは良かった……、です。世界のために戦ってくれることを選んでくれて」


 にこやかに微笑んでそんなこと言うロクスに対し、ルナは無表情に応える。


「違う」

「はい?」

「世界のためじゃない。彼のために」


 ルナが帯剣された俺を見たので、俺はニヤッと笑ってやる。

 ロクスもその視線を追って俺を見たが、呆気に取られたように少しポカンと口を開けていた。正直写真に収めてやりたいくらい傑作な表情だ。


「た、大切にしてるんですね。その剣」

「ただの剣じゃない。私の恋人」


 フリーズから回復したロクスはその返しに乾いた笑いで応えたが、それを見ている俺はルナのその言葉に笑みから一転、内心冷や汗をダラダラと流す。


 俺は基本的にルナ以外の人間と会話をしないが、やろうと思えば目の前の青年に話しかけることが出来る。

 だが、無用な興味を持たれるだけのような気がするのと面倒だから話さないだけで、周りから見れば剣に話しかけるルナの姿は狂的に剣を溺愛する美少女か独り言を呟く怪しいやつに見えるだろう。

 どっちにしろ、残念な奴認定されることには変わりないが。


 だから恋人という表現も一種の比喩表現で、冗談であるはずだ……、冗談だよね?

 そう心の中で反芻しながら、俺はしばらく不安な気持ちに襲われるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る